私小説について

 日本の私小説は、フィクションの世界を構築しそこで文学的真実を求めていくのではなく、フィクションを廃しありのままの世界を描くことで真実を求めるもの、と言われる。またそれは語り手「私」が作者とイコールであることが読者との間に暗黙の前提としてあるような小説である。(仮に「私」が登場せず三人称「A」が主人公であっても、Aをそのまま作者に置き換えられるような小説なら、私小説と呼んで差し支えない。)
 「私小説」を「私」を語り手とする小説と解すれば、西洋の近代小説にもそれはあり、小林秀雄はルソーをその始祖としてジイドやプルーストを自然主義後の「私小説」と考えているし、福田恆存はゲーテもロレンスもジイドも偉大な「私小説」作家だと言ってそれを理想としている。しかし西洋の小説は、「私」が語り手であってもそれはあくまで小説の方法としてであって、かなりの程度作者自身と思われる場合でも、その「私」は厳しく相対化され客観化され、小林秀雄の言う「社会化された私」となっている。他方日本の「私小説」は「私」と作者の距離がゼロに近いことが特徴である。
 日本の私小説についての論議は、西洋近代文学のリアリズムを支えていた実証科学の精神が日本の自然主義文学に欠けていたこと、そして明治の強権政治の下で知識人があらゆる社会的なものを否定して虚無のうちに私的領域へと撤退せざるをえなかったこと、要するに近代日本の市民社会化の未成熟に帰せられるのが基調であるようだ。これはマルクス主義的な批評家に限らない。また日本の芸術の長い伝統として「生活への依拠」あるいは「生活の芸術化」が挙げられたりもする。
 小林秀雄も「私」と社会の封建的残滓の一致の上に日本の私小説が爛熟していったと論じている。小林秀雄は、日本に自然主義文学が輸入されたが、この文学の背景たる実証主義思想を育てるためには日本の近代市民社会は狭隘であったことが、独特な「私小説」を育てるに至った、と言う。西洋では、あらゆるものを科学によって計量し利用しようとする近代実証主義がフローベールやモーパッサンに実生活からの訣別を決心させ、実生活の上で死んだ「私」を作品の上で生かしたが、こういったことは田山花袋には理解出来なかったし、ジイドやプルーストの「私小説」が、自然主義思想の重圧のために形式化した人間性を再建しようとして「私」を研究して誤らなかったのは、彼らの「私」が「十分に社会化した私」であったからだが、日本では社会との激しい対決なしに、その技法のみが受け入れられただけなのだ、と言う。
 福田恆存は神との対峙なき日本人に「理想的人間像」は欠如するしかなく、その日本においていかに生くべきかという文学の基本は、かえって「私小説」においてこそ実現され得るとする。ヨーロッパ文学の本道はあくまでヨーロッパ文学の本道であり、ヨーロッパの現実に深く依存している、「私小説を追放するためには私小説のうちに没落するよりほかに道はない。……近代日本文学の私小説的伝統のうちからのみ、真の私小説否定が期待しうるのであって、その外部からの高飛車なものいいは一切つつしまねばならない。」、と。
 佐伯彰一は日本の私小説は「私」を押し売りする小説ではなく、「私」を通して語り描くという文学的な装置であり、日本の「私」は己を虚しくした観察者、写し手に近いと言う。そして「私」に執しながら「私」を超えようとする根源的な衝動をもつとして、人間も動物も植物もすべて平等の相の下に眺め、生と死、夢と現との境界のない日本的心性の伝統というものを強調している。
 大正末期の心境小説論争では、心境小説に対する否定的論説は少なく、実作者の多数は心境小説を客観(本格)小説への文学修行上の段階ととらえたり、「本格と心境の一致」とか「主観と客観の交錯」と言ったりして、心境小説と本格小説を区別していない。西洋の本格的小説に憧れ、いつかは自分もそんな作品を書くんだと自らに鞭打ち叱咤激励して、日々精進している姿を描いたのが日本の私小説だと言った人もいる。心境小説論議では俳句のことがよく引き合いに出されているが、これは佐伯の言う日本的心性を俳句も小説もまた随筆も共有していることを実作者たちが認めていることを物語っていよう。
 中村光夫は、田山花袋の「蒲団」にはじまる日本の「私小説」の発生、展開を跡づけたあとで、「私小説」の行き詰まりに主張された「文芸復興」のかけ声は、結局風俗小説に結果しただけだと言う。それは私小説のリアリズムで、外部や他者を、作者が内面から血をそそいで生かすことなく描写しただけにすぎない、と。
 中村は、西洋自然主義のリアリズムは、小説を実生活から離れた仮構の世界とする明瞭な意識から出発して、この仮構の世界に「事実」または「事実らしさ」をつくりあげるための技術であり、それを根本において支えるものは、作者の人生に対する「思想と判断力」であったと言う。このように小説の仮構性と、思想性または社会性は不可分の一体だとして、日本の私小説の近代小説としての欠陥をこうしたものの欠如に求める中村は、思想の欠如の批判という点ではでは小林、福田と同じだが、虚構の強調は小林にはなく、福田はむしろ虚構のかげに自己の生活的真実の責任をまぬかれようとする安易さを戒めている。
 「戦後派」の作家たちが試みた本格小説は、中村光夫が夢見た近代小説のようやくの実現とも言えるかもしれないが、いくつかの作品を例外として大勢は意外に収穫少なく終わったのではないだろうか。
 日本の「私小説」では明白に作者その人と思われる「私」が登場し、「私」の単一視点で外界や他者を眺め、「私」はいわば絶対者のように外部から批評されない存在として書かれる。「私小説」の「私」は大まじめに自己を信じて疑っていなかった。すなわち日本の「私小説」は「私」を相対化できない単眼的私小説であった。「私」が登場しても、それが作者その人ではなく、何らかの仕方で仮構された「私」であったり、また「私」が作者であるのが明白でも、その「私」が作者の批判、懐疑、自己韜晦、自嘲、諷刺、翻弄の対象となり、作者と「私」の距離がはっきりとられている小説もあり得る。すなわち「私小説」を乗り越える道は、一見私小説のように見える技法を逆用するという手もあるのである。
 福田恆存は「私小説の道にそって墜ちようとする坂口安吾」を高く評価するが、奥野健男もまた太宰治、石川淳、坂口安吾などの戯作派と言われる作家たちの可能性を称揚している。戦後派作家の本格小説の試みの後に登場したいわゆる「第三の新人」たちは、技法的に「私小説」を踏襲しており、中村光夫は「時代の現実からくみとる野性」に欠けた「あまり文学らしい文学」と評しているが、そこでの主人公たる「私」はもはや自信も権威もなく、大衆化社会のなかで他者たる「妻」や「隣人」による浸食にただ身をさらしているにすぎない。しかし「第三の新人」たちは「私」を相対化させ、と言うより相対化させられて、その限りで複眼的私小説への可能性を孕んでいると言うことができる。 
 福田は、めいめいの芸術家がその個人的理想を追うならば、結果として総体価値の最頂点が出てくるというジンメルの論を援用して、責任をもって時代と民族との課題にこたえる私小説の道を説くのだが、しかし「時代と民族」などと表立って気負わなくても、「私」を通して普遍への道はありうるのではないか。
 今日写真家自身と彼が撮影した写真が分かちがたく結びついている「私写真」なるものが生まれているが、これらもひとつひとつはスナップ(スケッチ)程度であってもその連続は明らかに作者の何かを語っており、このような私的ドキュメンタリーが作者の私性を超えて普遍性を得ることが可能であることを示していると思う。

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