全詩集

目次

無題
無題
早朝
終わりと始まりと
葡萄
檸檬
夕暮れの坂で
無題(風が……)
折り返しの——白石
御茶の水、淡路坂
林檎
無題(卓上灯が……)
四月の末のぬけるような……
通りは人々が無名の……
断片(肩に、葉桜の……)
六月に
梅の実
八高線
無題(きみはただ……)
秋津
明治通りにて
夕暮れの露地で
仕事——所沢航空公園で
楽しい贖罪
<不幸>の異名同音は——グールドの死を聞いて
Kさんへの挨拶——伴淳の死を聞いて
鎌北湖——一九八二年晩夏
江南村——父逝く
あじさい寺——松戸、本土寺
木苺
この椅子に座り、この恣な花を前にして
出会い損ね
所感
一人になる


無題

悪戯に
初老の婦人は厳しかった
男の子はちらっと青空を見やり
素直になった

 平日の
 スーパーマーケット前の
 閑散とした広場

婦人は紙袋を抱え直し
片手を
男の子に与えると
歩いていった

 広場には
 うすあおい秋の冷気が
 あかるく流れているばかり

おばあさん
 ぼくは病気です
  休めない
   だれにも診てもらえない……

無題

 考えて
  考えて

  考えた
   寂しさが

    ぽとっ
    夕暮れの灰皿に墜ちる

   働いて
  働いて

  働いた
 悲しみが

つううー
夕暮れの空を昇りつづける

 こんばんわ
    さようなら
 さようなら
    さようなら
    (夕闇は深まり)
 こんばんわ
    さようなら
 さようなら
    さようなら

早朝

あっ
あたりいっぱい
檸檬の光が飛び散ったような

 (信号が青に変わった)

おはよう、朝の娘さん
さよなら、通り過ぎた娘さん
これからお勤めに行くのですね
ごきげんよう、あなたのものでさえないような
あなたの笑い顔さん
さあ、ぼくは
あなたの来た方へでも歩いていってみましょう

終わりと始まりと

あなたは まだ
しろい
やわらかな
あなたのやさしさに
触れてみたことはないのではないですか

あなたの 肩の
届きそうに
遠いところから
しずかな息づかいが
ぼくに戻ってくるようです
知らず知らず遠くまできてしまった
こころが
ほんとうはぼくのものだったかもしれない
からだに
還ってゆきたくなるようです

あなたは また
そんなすました顔でぼくのまえにいる

  ひとのものをもち去っておいて

あなたを いえ
あなたのなかのぼくを いえいえ
ぼくそのものを いえいえいえ
ぼくにつながってぼくでさえないものを
ぼくに
返してくれませんか

葡萄

白い皿に
みどり色の葡萄

年上の友人が
勧めてくれる

掌に
もぎ取ろうとはしたのだが

 うすみどり色の
 記憶のなかの
 葡萄棚

さあ
ひとつ食べればはじまるのだから

 さわさわと空気がうすくなりはじめる頃
 葡萄たちはいっせいに甘酸っぱい液でからだを被いはじめ
 ぼくによそよそしくなる季節がきた

さあ
眺めては戻ることさえ適わないのだから

 ずっとぼくは
 葡萄のことばかり思って生きてきたのだった
 それだからぼくは
 長い病のあとの子供のうすい胸のようだ

おまえに触れることなしに
おまえのその甘酸っぱいからだを抱くことはできないか
おまえがおまえであるままに
季節のなかいっぱいにおまえのその甘酸っぱさを解き放つことはできないか
その拡がりのなかに
なぜおまえがぼくによそよそしくなったか
それでどんなに寂しかったかを
ぼくは話しだすだろうに

檸檬

うす黄色の
檸檬

掌に
握りしめ

夕暮れる
通りを歩けば

ああ あかるい
あかるい重さだなあ

夕暮れの坂で

  夕暮れる坂で
  突然ピアノの音!
  ふりかえると
  夕暮れ色の屋根屋根が低く遠くつづく、そのどこからか
  ——なんと勢いのよいこと!
  屋根を越え、電線を越え、けやきの梢を越え、うす紅色の雲を越えて
 上の方へ
上の方へ

ああ、明るい
明るい明るい音だなあ

無題(風が‥‥)

風があるようだった。

敷石の上に木漏れ日がその斑模様をたえず変えていた。
バスケットを手にこちらに歩いてくる婦人は顔見知りだった。
私はここだと思うところで大きく息を吸い込み、明るく大きな声で挨拶した。しかし婦人は気づかなかったかのように通りすぎ、遠ざかっていった。
右方から姿を現しこちらに歩いてくる髪の長い若い男も私は知っているはずだった。私はまた、考え、考え、しかし今度はわざと一言も発せず通り過ぎてみた。
ようやく私はこの広い敷石の道を何人もの人が歩いているのに誰一人挨拶を交す者がいないことに気づいた。
突然、少し前を歩いていた背広姿の勤め人ふうの男が崩れるように倒れ、その場に蹲った。
私が考え始める間もなく歩行中の三人が駆け足で近寄り、その男の傍らに膝を落としていた。
眼鏡をかけ黒いコートを着た男と白髪の婦人は言葉を交しながら二人で男を仰向けにすると、シャツのボタンを外し、若者に指示を与えた。若者は駆けていった。
駆けながら若者は手を大きく横に振った。するとそれぞれの位置で立ち止まっていた歩行者たちは皆また歩き出し始めた。そのなかには先ほど私とすれ違った髪の長い若い男もいた。
やがて若者は紙の包みを手に戻ってくると、それを眼鏡の男に手渡した。そうして七、八分もしただろうか、倒れた男は夢から覚めたとでもいうように目を開け、周りの人の顔をゆっくり見回した。それから納得したように笑顔になり、大丈夫です、もうよくなりました、どうもご迷惑をおかけしました、とはっきりした口調で言った。
やがて眼鏡の男と白髪の婦人と若者とそして倒れた男は、何事もなかったかのように思い思いの方向へ歩き出した。
道にはかすかに風が吹き、人々は静かに歩行していた。
私は歩き出した。風がこころもち強まったようだった。樹木のにおいがした。

そのなかを私は歩いていた。
私は幸福だった。

折り返しの
  ——白石

小さくなった町
ぼくは歩いていた
病のあとの気恥ずかしさに
くすぐられながら
記憶のなかのふるさとの町は
冷気を含んだ光の拡がりとともに
そのあるがままのところに戻っていった

 ぼくが望んでいると思っていたもの‥‥

だれもいない
昼の城址公園
石段のむこうの斜面に
高等学校の校舎裏がむかしのままで

 そこに年上の少年たちがいて
 近づくと
 だれか声をかけてくれる‥‥

ふりかえると
家々の前の掘割を流れる水が
音をたてて
渡り石の縁に盛り上がり
道沿いの
土塀や生垣や格子戸に
傾きかけた陽射しがいっそう明るい

 ぼくが望んでいないと思っていたもの‥‥

城の石垣が残る坂を高校生が降りてくる
近づき、通り過ぎたとき
川縁のうすみどり色の柳の芽がかすかに揺れた
さようなら、君たち
ぼくは今朝君たちが行こうとしているところから歩きはじめた
君たちに何か手渡せるものがあればと思うのだが
さようなら、ぼくが生まれた町の君たち
ぼくは少し疲れているが
元気だ

御茶の水、淡路坂

二つの手に
三人の手はあまってしまうので
年長らしい男の子は後ろから歩いている
夕暮れの、御茶の水、淡路坂
白っぽい古びた背広を着た
小柄な父親の
その左の手は兄と弟のあいだで何度か交替をした
右の手の、小さな妹は
——けんかしないの
何度も健気で厳正な調停者であった
ふっと、柔らかな
生命に弾き出されるように
小走りに坂を駈け降りては
右の手に、全身の主張で駈け戻ってくる
夕暮れの、高架線ガード沿い、下り坂
父親は差し出された手を握ることだけをする
幼い問いのひとつひとつに答えることだけをする
ひとつずつ
小さな包みを手にした
子供たち
遠く、近く
小さく、大きく
暗く、明るく
勤め帰りの電車がひっきりなしに通り過ぎ
振り返れば
後ろは
夜の闇が深まっているばかりです

林檎

イルミネーションと細い男たちが立つ街を通り過ぎると
一歩で
路地は午前のような静まりだ
今日また無形のままにどっぶりと疲れ
とりわけて暗いビル裏へさしかかった
夕な夕な苦しい闘いであった
私の鞘を失った刃は
粗末な露台に並べられた青い林檎を完璧に分析していたのであるが
とりわけてひっそりとしたこの夕べ
私は見たのである
露台の後ろに白いものが降り積み
割烹着の老いた女が無言のまま青い林檎を私に勧めるのを

長い長い
渇きに
私は両の手を差し伸べていたのである

無題 (卓上灯が‥‥)

卓上灯が
果物籠に拡がる影を与え
小さな砂糖壺に小さな影を与えていた
アパートの部屋の内も外も静まりかえっていた
食卓のむこうの
黒く潤んだガラス窓の外にもうひとつ卓上灯が灯り
もうひとつの果物籠ともうひとつの砂糖壺の食卓が用意されている
するとやってくるのだった
なにもかもあるがままに好いと
ぼくはこたえるのだった
ぼくは許されているのだった

四月の末のぬけるような‥‥

病気のあと
西武池袋線沿いの小高い雑木林を歩いた
林のなかは細やかなうすみどり色に溢れていた
足を止めると
小鳥の声が聞こえ
光と影が歩いてきた小径の遠くまでつづいている
四月の末のこのぬけるようなうすみどり色の横溢のなかを
なぜぼくは歩いているのか
息が切ないほどだった
秋津へ降りていってみよう
ひと月まえ
急ぎ足に通り過ぎたとき
秋津は梅の香りがいっぱいだった

通りは人々が無名の‥‥

夕暮れる
郊外の広い通りを歩いた
知らない人ばかりが歩道を歩いているのに
遠ざかる車まで潤んで見えるのはどうしたことだ
病気のあとの気恥ずかしい両足で
静かに静かに歩いていると
誤っていた
静かに静かにそんなことも思えてくるのだった
夕暮れた
通りは人々が無名の歩行をつづけている
恥ずかしいことはない
挨拶を覚えることから始めるべきだ

断片(肩に、葉桜の‥‥)

肩に
葉桜の季節、
歩くことのなかでしか休めなかった
ぼくに
どんな季節があったろう、
街はずれの
このまっすぐなうすみどり色の道を
いまは歩くだけだ、
多くの家と畑と時のむこうに
街路樹のように挨拶を交し合う人々がいる、
ぼくはそこで仕事をみつけよう
何事にも傷つきやすかった両の手をポケットから取りだすのだ、
営々としたいちにちの終り
ぼくの長い影を鐘の音が横切るとき
‥‥‥

六月に

五月のみどり色の饗宴のあと
人々は日々の勤勉に帰っていった
靴の先ばかり見て歩いているから同じところにしか帰れない
通り抜けてきた数え切れない雑木林よ
静謐がぼくの肩を打つ
通り抜けてきた数え切れない静謐がぼくの背中を打つ
もう夏が来るのだと

梅の実

五月の
みどり色の
カーテンに隠れて

  着物を脱いだ子供たち

八高線

  八高線は、関東平野が山地に移行しようとするあたりを、一時間に一本ほどの間隔で運行するディーゼル線である。窓の外には田畑や山林が拡がり、夏から秋にかけ線路の土手の斜面には丈高い草がいっぱいに繁茂する。

夕暮れ、
土手の斜面では
白い綱引きである。
風がいっぱいに吹いて
なにやら楽しげな耳打ち話である。
夕闇がすっかり急ぎはじめている
この裏関東を快走するディーゼルの高い響きよ。
窓の下では
白い団欒のひとときである。
押し寄せ、
押し返し。
寄せ、
返し。

無題(きみはただ‥‥)

きみは ただ
そこに いればよかった
何かである
必要は なかった
きみの椅子も用意されていたのだったから
きみは
ただ そこにいればよかったのだ

秋津

明るい秋の
自転車に乗って

赤蜻蛉が
飛び交っている

光へ
陰へ

「だれにも挨拶なんかしてやらない」
「だれにもつかまえることなんかできない」

閑散とした、午後の
武蔵野線、新駅前広場

見え
隠れ

植込み壇は
深緑色

遠くの雑木林は
うす枯れ色

おや、あんなところに
現われた

明治通りにて

私の足もとより低い窓から
大きな木のテーブルと
四つの湯呑み茶碗が見える
油汚れの機械を背に腰をおろした下着姿の男たちが
四人して湯気の音に聞き入っている
そこだけ
とり残されたよう
あるいは
先に行ってしまったよう‥‥

坂の向こうを都電が下ってきて、「学習院下」に停車し、また動き出した

いっせいに機械が動き出した音に
ふりかえると
逃げるような午後の日差しの坂の上を
いそがしげな車が行き交っているのである

夕暮れの露地で

右へ折れていく
露地の、突き当りの
台所の窓に人の影と水の音が動いていて
その窓の下に、だ
右手から
日没間近の陽光が
燦燦と差し込んでいたのである

いそいそと
ぼくの夕暮れは
動きはじめたのである

仕事
  ——所沢航空公園で

風を
娘はつかまえようとする。
公園の
通路沿いに
つつじの群れの明るい五月祭。
その
あかむらさきの
豊穣のなかを歩いていると
ぼくが
何を望んできたのか
妻の背で娘がつづける喃語のようにも思えてくる。
 (ぼくの仕事‥‥?)
そしてぼくが仕事をするのは
今朝の
娘の二本の前歯のように
明快だ。
そして、おお
五月の風が吹く。
あかむらさき色がいっせいに氾濫して
妻の背で
娘の両手はいそがしくなる。

贖罪

——もう行こう
と言えば
おまえは素直に頷いて
歩き出す
けれどすぐに立ち止まり
マンホールの蓋の上に坐り込んで
通気孔へ小石を押し込み始める

よその家の門柵に顔を押し付け揺すったりもする
と思うと大きく手を振って
さっさと歩いていってしまうのだ
露地のむこうの声に立ち止まったおまえは
ラケットを抱えた少女が二人つれだって現れ
小走りにおまえの脇を通り抜けていくと
ぶらんと両手を下げたまま
二人の後姿をいつまでも追いつづけている
ぼくの生涯が走るようにぼくの前を通過するときがくるだろう
単純に、明快に
きょうも部屋の掃除を始めたおまえの母親に追いたてられ外に出ただけのことなのだが
露地の真ん中に両足を少し開いて立ち
手をぶらんと下げ
走り去っていく少女たちをいつまでも見送りつづけている
胴長の
赤桃色の上っ張り姿の後ろで
おまえが生まれてくるのを希望しなかった日々への
遠近法の
頼りのなさに戸惑っているだけのことなのだが

——もう行こう
と言えば
おまえは素直に頷いて
また歩き出す

<不幸>の異名同音は

お気に入りの玩具を相手に
子供が遊んでいる。
ときおり法悦の声を挙げ
一人倦むところがない。

ニューヨーク、三〇番街、
限りなく雑踏から遠い
スタジオの衝立のかげで
お気に入りの塗装の剥げたスタンウェイ製ピアノに向かうと
きみの孤独は完璧になった。

きみの右手が旋律を弾くとき
左の手は指揮をするかのように動いて
きみの孤独は歌まで歌い出した。
山猫のような聞き耳で
テープのプレイバックをチェックし終えると
きみは手袋を引き寄せ
オーバーコートの襟を立て
ハンチング帽を被って後はよろしくと
街の雑踏にまぎれていった。

オーバーコートの襟を立て
ハンチング帽を被って
きみは一人
カナダの自宅とニューヨークのスタジオの間を歩きつづけた。
聴衆の拍手の音から限りなく遠い
衝立のかげで
お気に入りの一九三七年製スタンウェイに向かうと
きみは歌い出した、

 <不幸>
  の
   異名同音
  を
 探してごらん

Kさんへの挨拶
——伴淳の死を聞いて

 活弁士見習の
若者が
親方の娘と恋愛し
結婚して、
そうして仕事がなくなっていくのだった。
 階段を昇ると
仙台の
夜空いっぱいにネオンサインが競い合い
(おとなの映画だったね)
ぼくの頭の上でKさんが言った。

 十一年ぶりに訪ねてきたKさんは
 新しい職場で結婚した奥さんと子供をつれていた。
 ぼくの母は息子の就職が内定したと明るい声で話した。

 目的もなく歩いた白石の町で
 父とKさんが勤めていた工場の門柱に
 見知らぬ表札が掛けられていた。

仙台の
地下映画館の
若き伴淳。
一生懸命で
おかしくて、物悲しい
結婚して、仕事がなくなっていく男。
無器用で
どこかふてぶてしくもあった
若き伴淳。
あの日、ぼくは
通りに面した洋菓子店の
窓際のテーブルで
生まれてはじめてコーヒーを飲んだ。
カップをそおっと戻したぼくに
テーブルの向こうから
(映画、観てもいいかな)
遠慮がちに声をかけた十代のKさん。

あのころ
仙台の街は
いつもお祭りだった‥‥!

鎌北湖
  ——一九八二年晩夏

東武越生線東毛呂駅から
バスは日に二度の運行だった。
窓の外に
まっすぐな杉の暗い木立を眺め
山道を登った。
湖岸の斜面にボートが数隻引き上げられ
周囲に釣り人たちが点在している。
対岸に
人の気配のないキャンプ小屋が並び
露呈した湖底を川が流れていた。
音もなく
山の空から細かな雨が降りはじめ
道端の売店に駆け込むと
石段を降りた階下の休み処は
白いテーブルクロスを張ったボートが店の半分だった。
雨が小止みになり
水玉模様の合羽を子供に着せ
渓流を登り
小石を掘り沢蟹を追いかけて時を過ごす。
一歩も歩こうとしない子供を抱き
湖岸沿いに道を戻ると
雨に濡れたオオバコの群れが足もとに揺れた。
——おまえの記憶に残らないこの揺れ‥‥
水門の壁際に
紙屑、缶、白い夏帽子が粘つく泡に漂い
周囲に釣り人たちが黙々と座り続けている。
杉の木立のまっすぐなのを見て道を降り
バス停に親子三人
日に二度運行のバスを待つ。

江南村
  ——父逝く

ペダルを、強く
踏む。
向かってくる
風はいいにおいをつれている。
道端の側溝の斜面で
小さなあお色ともっと小さなしろ色の
イヌノフグリの花が
無数の挨拶をあお色の空に返している。
そして
農家の土塀は
溢れるしろ色の梅の花に隠れてしまった。
十日前
電車の窓から
枝ばかりの木を見たのだったに。
いま
こんなにもあおい空の下
證大寺まで
砂利敷きの村道に自転車を走らせる。

春なのに‥‥

こんなにも明るく花が咲き‥‥

あじさい寺逍遥

あじさいの花がうす青

うす紅色とりどりにこの境内を彩るとき
おまえは私の前になり後になり
私の光となり影となっていく
私はおまえに話しかけ、おまえの手を捕まえようとする
おまえは身を捩じらせ、微笑んで
うす青、白、うす紅いろとりどりに消えていく
腰を屈め
渡り廊下を潜って、坂を降りると
湿田では花菖蒲たちが季節の饗宴の真っ最中だ
渡り板を数歩歩いただけで私たちが通り抜けてきた数え切れない影が豪奢な静謐の光に変えられていることがわかる
私は細く真っ直ぐな茎の先の濃紫、淡紫、無地、絞りの花々を見つめ、傍らのおまえに同意を求める
私が見たいのはおまえの湿田に長い年月潜んでいた水中花だ
急速に括れ、張り出していく花蘂だ
大輪の自らの重さに俯いている乳紅色の花房だ
おまえの花が朝な夕なに分泌する甘い水も苦い水もすべて飲み干そう
光と影
幸福も不幸も
私にはもうそれらの区別がわからない
私が知っているのは私たちが遠くから歩いてきたこと
そして遠くまで歩いていくしかないことだ
坂を登って、再び渡り廊下を潜る
あじさいの花がうす青、白、うす紅色とりどりに通路の両脇を彩り
私はおまえの手を捕まえようと虚空をまさぐる

木苺

塀の上から溢れた
枝の先に
淡い、橙色の、顆粒状の木の実。
(食べれるの、お父さん?)

夕暮れの露地を
おまえは軽い足取りで歩いている。

遠いある日、まだおまえの母親も
おまえの名前も知らなかったころ
葉隠れに垂れる
淡い、橙色の、木の実をひとり見て
山道を急いだ。
急な昇り道が終わり
眼下に
通り過ぎてきた里の風景が一瞬に拡がったとき
(見ろ、木苺だ
これは食べれるぞ)
突然の記憶の不意打ちに足先を踏みしめ
沢の斜面を降りた。
——父と会話を交わすことがあったのだ‥‥

だれも責めてこない
暗い木立のなかで

湿った六月の風に吹かれ
木々のざわめきのように震えた。

遠いある日、父親と歩いて
木苺を見て名前を教えられたこと
おまえは思い出すことがあるだろうか
それはどんなとき
どこでだろう
そのときおまえのそばに
なにがあるのだろう

いま、おまえの
帰りを待っている家に向かって
父親の無口にまるで無頓着に
軽い足取りでおまえは歩いていく。

この椅子に座り、この恣な花を前にして

花のない藤棚を見て
亀戸天神の境内から
錦糸町へ向かう
途中
溢れ咲く菜の花を見て足を止める。
——都立猿江公園、もと御料地
と、立て札に見る。
草原に犬を遊ばせる人、
木卓の脇に車椅子を止めている人、
幼児を乗せバギーを押す人、
野外堂、
貯木用池跡、
時計塔、テニスコート。
広い通路の中央にある四阿に
植え込みを挟んで向かい合うベンチに座り
小さな半開の八重の花を無数につけた小高木を前にする。
桃、あるいは杏、
桜としても時季が過ぎているか。
青い中空に
勝手気ままに不揃いな枝を張り出し
恣に淡紅色の花の盛りを誇っている。
小刻みに両足を運んできた初老の男と付き添いの婦人が
海棠の名と
二年前の今に劣らぬ爛漫と
一年前の見ることの適わなかった不運とを問わず語る。
二人の後姿を見送り
静かに満ちてくるものあり。
この椅子に座り、この恣な海棠の花を見て
いま
限りなく、好し。
回向院から
国技館、
隅田川の
両国橋を渡ろうとして
寄せる川波の如く打ち寄せるものあり。
そのときのために歩いているのか。

出会い損ね

もう日が暮れる
おまえたちは早く家へお帰り
私には行かなければならない所がある
私の後ろ姿が見えなくなったとき
おまえたちを前に絵本を読んだり
遊園地に一緒に行った
蒼い顔でおまえたちの看病もした
父親の姿が残るだろう
だから悲しむことは少しもない
日の光が溢れる所なんぞで
そんなことやってられるかい?
家を出れば七人以上の敵がいたし
油断すれば明日の仕事が消えていった
銀も金も玉も何にもまされる宝に見えたし
白い顔の女たちの夜会服は帰る時を忘れさせた
あっという間の回転木馬
午後遅くの窓の下に古いアルバムを広げ
おまえたちの写真を眺めて可愛いとはじめて思った
だけどもう日が暮れる
私の変身のために聖なる時がくる

所感

君のその返答はいったい何だ
遠い昔の話さとは何だ
君にはずいぶん罵倒されたもんだ
ぼくもぼくだったが
いま気心の合う十人が一緒に活動しようとしたとするだろう
時がたつと一人二人は異分子のようになる
自分から離れていかなければ追放だ
だが少しするとまた一人二人気に入らなくなってくる
一〇〇人以上もの集団なら組織的歯止め機構が働くと言っていただろう
少数者に権力が集中するのは論理的必然ではないけれど経験的必然だと断言したい
追放された者が生きにくくなることも
長い歴史は人類の「こころ」の中に「社会主義」があることを教えている
だがこの世にそれを実現してはならない
なべてこの地に同質なるものを営んではならない
「虚」の世界に理念を掲げ異質の人と今日の挨拶を交わすのだ
マルクスもフーリエも少しも色褪せてはいない
それにしても
君のその相変わらずの優越者的態度は何だ
ぼくの生涯の全挨拶をもってそれを拒絶する

一人になる

会えてよかった
あの日からは話すべき何ほどのこともない
くだらない儀式が何度かあっただけ
灯りを点けて家を出るだろう
すると白々しい部屋の畳が迎えてくれるだけ
灯りを消して外へ出るだろう
すると闇に黙礼して壁を手でまさぐるだけ
だからこうして遠回りして家へ帰るのさ
会えてよかった
ごらん
街はあの日と同じ人と色どりとざわめきに溢れている
通りをいっしょに歩いて帰ろう
手をつないで帰ろう
同じ場所へ帰ろう
——だけど
そんなに早い足で歩くなよ
後ろ姿ばかり見せるなよ
俺を置いて行くなよ
一人にするなよ
何ほどのこともなく日が暮れていくだけにするなよ
闇に黙礼して壁を手でまさぐるだけの俺にするなよ

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