音楽ノート

音楽、思い出すまま

 フルトヴェングラーの名前は、その演奏を聴くずっと前に高校の同級生から耳に入れられていたので、まあ伝説の人だった。そのころLPレコードは高価で、半額ほどの値段で廉価盤を買うのが私はやっとだった。作品が主で、演奏は二の次だったから、聞いたこともないような指揮者、オーケストラでも不満はなかった。どうにかレギュラー盤を買えるようになって、フルトヴェングラーのレコードも買って聴いたが特別の感慨はなかったと思う。というより、このころからオーケストラよりピアノに関心が移ってしまっていた。エドウィン・フィッシャーのピアノで、フィルハーモニアを指揮した「皇帝」には感激したが、その程度である。
 大分たって、あるとき買ったままほとんど聴いていなかったベートーヴェン「コリオラン序曲」を聴いて、本当に参ってしまった。私がそこに聴いたのは、人間の威厳とでもいうものだった。しかも無信仰の私にもその人間の威厳は、神を前にしてのものだと感じられたのである。神よ、どうぞ見てください、人間としてわたしたちはこれだけのことをやってきました、と訴えているような……。こんな演奏が—宗教曲ならいざ知らず—あったのか、と。(60歳を過ぎてワーグナーを少し聴くようになったが、何種類かの演奏を聴いてみると、やはりフルトヴェングラーは特別だと思わせる。)
 フルトヴェングラーで思い出したが、大学の学生街のある古ぼけた名曲喫茶店でシューベルトの「交響曲第九番ザ・グレイト」が流れているのを聴いて、思わず店主に演奏者を確かめたことがある。ヨッフムなどの指揮のレコードをもってはいたが、ほとんど聴くことはなかった。店主からフルトヴェングラーの名前が返ってきた。
 戦後失意のフルトヴェングラーに手を差し伸べ、その復活に協力したメニューインのことは語り継がれていくだろうが、純粋に演奏家としてはどうなのだろうか。私はメニューインには、跳び上がるような喜び、声を挙げて踊り出すような幸福感の表現に不足があるように思うのだが。

 ピアノは私の一番好きな楽器だが、最もよく聴くジャンルはピアノ独奏曲ではなくピアノ協奏曲である。独奏曲は作曲者の思想表現の器といった趣を感じさせるものが多く、ピアノとオーケストラが付いたり離れたりしながら楽器的な遊び心の多分にある協奏曲の方が気楽に聴けるからである。
 モーツァルトのピアノ協奏曲はどの曲も魅力的で特に20番以降は管弦楽が厚みを増し傑作揃いと言われているが、いま言った理由から私はむしろ20番以前のものを聴くことが多い。ところでモーツァルトは何曲ピアノ協奏曲を残したのだろうか。9歳のときの作品とされる三曲は他者のものの編曲で普通数に入れない。1番から4番までも他者の作品の編曲だが、通し番号が付けられているし、リヒテルが来日したときこの中の1、2曲を弾いたのは好かった。(前の三曲はのち改作されたので、ケッフェル番号はこれら四曲より後になっている。ラクロワのピアノ演奏のレコードがある。)なお全曲録音をするピアニストには、後出の二台三台用の作品だけでなくこれら初期四曲も収録しない人もいる(アンネローゼ・シュミット、マズア指揮ドレスデン・フィル)。
 5番は最初のオリジナルだが、颯爽とした佳作である。ブレンデルの演奏がよく曲の性格をとらえているが、昔廉価盤(ターンアバウト)で聴いたフランクルも好かった。6番7番(三台用)8番もそれなりに愛らしい曲だが、あまり演奏されないようだ。
 9番はジュノーム協奏曲と呼ばれ、短調の中間楽章の美しさは異様なほどである。10番は二台用だが、7番よりずっと優れていて演奏される機会も多い。(7番は後モーツァルト自身によって二台用に編曲されている。)
 11番12番13番以後はウイーン時代のもので、12番は躍動感のある佳作で、後モーツァルト自身によってピアノ四重奏曲に編曲された(ブレンデル、アルバン・ベルク四重奏団)。11番は12番と13番に挟まれ(制作もこの順)、小振りだが、耳に心地よい曲で、前述のフランクルの演奏がよかった。13番は祝祭的な気分の横溢した曲。晩年のハスキルがルツェルン祝祭管と共演したレコードがある。若いバレンボイムがイギリス室内管を指揮振りした演奏は気負いすぎの感じ。12、13番をソリスティ・ベネツィと共演したブーニンもいい。14番は管楽器使用が任意の長調ながらやや暗く重い感じの曲。15番はバーンステインがウイーン・フィルを指揮振りした知的で洗練された演奏に感心した。16番は交響曲のような響きとスタイルをもった曲だが、14番15番16番は演奏される機会が少ないようだ。17番は終始管楽器の活躍する幸福感と肯定感に満ちた曲で、10番台中の傑作だろう。18番は、第二楽章の短調の変奏曲が一度聞いたら忘れられない美しさをもっている。ただピアノと管弦楽のバランスが問題で、後者を控えめにした演奏がいい。19番は戴冠式を当て込んだ演奏会で26番と一緒に演奏された曲で、「戴冠式」のニックネームの与えられた26番より優れている。
 さて最初に言ったように、20番以降は傑作揃いである。当時協奏曲が短調で書かれることはほとんどなかったが、モーツァルトは二曲の短調作品を残しているが、そのひとつ20番は暗い情念を表出した前代未聞の傑作で、ハスキル、マルケヴィチ指揮ラムルー管をはじめよい演奏が数えきれないほどある。21番は対照的に行進曲風のテーマで始まる明るい曲で、中間楽章は映画音楽にもなった美しいメロディーで知られる。アニー・フィッシャーのピアノ、サバリッシュ指揮フィルハーモニアの演奏が記憶に残っている。廉価盤がブームになるはしりのころの発売のもので、聞いたこともない名前ながら買って、得したと思った。演奏は知的で、端正な、品のいいものである。(その後フィッシャーが来日したとき、ワルトシュタイン・ソナタなどの演奏会を私は聴き、別の来日のときはテレビでシューマンのピアノ協奏曲を聴いた。)22番は堂々とした第一楽章、魅惑的な短調の変奏曲形式の中間楽章をもつ佳作。ブリトゥンがこの曲にカデンツァを書いており、リヒテルがブリトゥンの指揮で録音を残している。23番はやはり短調の中間楽章をもち、人気のある、また完成度の高い曲だが、やや通俗的な印象を禁じえない。ショパンやラフマニノフ、スクリャービンなどを得意とするホロヴィッツが、この曲の録音を行うシーンを—ホロヴィッツ追悼番組として—テレビで観たが、ホロヴィッツの好みそうな曲だと思った。モーツァルトは、官能性と敬虔さが同時にあるのが特徴だが、この曲はどちらかと言うと感傷性が目立つと言えないだろうか。『ショスタコーヴィチの証言』に、スターリンがこの曲を好んで彼のため一晩でレコードを作製したというエピソードが紹介されているが、この曲の性格を考えるとありえそうな気がしてくる。
 24番は20番と並んで短調の曲で、しかも20番が最後に長調に転じて暗さを払拭しているのに、最後まで暗い性格的な曲だが、手放しで好きといえないところがある。特に中間楽章は睡眠薬でも呑んで書いたのじゃないかと思うほどに焦点が曖昧である。ハスキルのほかエドウィン・フィシャーの演奏が記憶に残っている。25番はスケールの大きさで有名だが、愛らしさに欠ける。26番は前述のように「戴冠式」のニックネームで知られているが、モーツァルトの作品をコンピューターに覚えさせてつくらせてみたような曲だ。27番は最後のピアノ協奏曲だが、こんな音楽が生身の人間からつくりだされたのだ。ハスキルのピアノ、フリッチャイ指揮バイエルン国立管のレコードを私は愛聴してきた。来日したワルター・クリーンがN響—若杉弘指揮—と演奏したのもよかった。
 なおピアノとオーケストラのためのロンドが二曲ある。前述のシュミットの全曲版は、この二曲を収録している。本当のところを言うと、協奏曲以外でもモーツァルトのピアノ曲はみんな好きだ。ソナタも二重奏(バイオリンと)・三重奏・四重奏(弦楽器と)・五重奏(管楽器と)も、変奏曲や幻想曲、ロンドのような小品も。

 ベートーヴェンは変奏曲を得意としたが、その変哲のないぶっきら棒な主題から出発し、音という客観的な組織体のなかでああも試みこうも試みしながら、次第次第に浄化された世界へ昇っていくその過程に付き添っていると、人間精神は自由に向かおうとするものなのだとつくづくと感じさせられるものがある。しかしまた、その境地に向って作者とともに進んでいくことが聴き手の要件となり、その意味では気ままに道草を食う自由がないともいえよう。
 ベートーヴェンは決して旋律性に恵まれていなかったわけではない。求めるものが、違っていたのだ。このへんのことは彼の初期のピアノソナタとバイオリンソナタを比べてみるとわかるだろう。ハイドンやモーツァルトの影響を脱して独自のものを打ち出そうとした試みの道標である初期のピアノソナタ群に比べて、作品12の三曲や「春」などのバイオリンソナタは旧来の枠組みの中で安んじてのびやかに艶やかに歌っている。これはまたバイオリンという楽器の機能によるところも大きいだろう。バイオリンとオーケストラのための二つのロマンスやバイオリン協奏曲など、何とも美しい。(私はピアノソナタは8番「悲愴」が最初の傑作であって、7番までのものはよいところも部分的にあるけれど、全体としてまだ習作であると思っている。このへんのところはバックハウスの演奏がよく示してくれる。バックハウスは優れた作品を真に優れたものとして演奏するが、つまらない作品はつまらないままにする演奏家だからである。いつだったかたまたまFM放送をかけるとバレンボイムの7番が流れてきて、その生き生きした演奏に惹かれ最後まで楽しく聴いたことがある。しかしやはりこの曲は、私にとっては退屈な部類に入るものである。)
 ベートーヴェンの音楽の美しさは、自由に向かって憧れ戦い努力する人間理性の美しさといってよいのではないだろうか。バッハはその音楽でも実生活でも必然の此岸にとどまった人であるのに—バッハが二度目の妻に贈った「アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集」は、バッハ家の家庭音楽帳ともいえるもので、心暖まる一家団欒の情景を彷彿とさせる—、そこから聞こえてくるものはベートーヴェンの求めた自由—ベートーヴェンが実人生の幸福と引き換えにあがなったもの—と別のものではないということは皮肉であろうか。
 60歳に近づく頃に私はショパンを聴き出した。ずっとピアノを中心に聴いてきたのに、これまでショパンを聴かなかった理由は何だろう。私の西洋音楽への傾倒は教養主義的なものに導かれていたことは間違いない。ピアノが弾けなくても、楽譜が読めなくても、ベートーウェンが好きになることには無理がない。しかしショパンは自分の指で鍵盤をたたいてみないとわからないのではないかという気がする。そしてそのわからないというのを、教養主義は、サロンの音楽にすぎないとか、ロマンティックで女性向きだとか、もっともらしい理由を用意してくれるのである。私は早い時期に廉価盤でアシュケナージのピアノ協奏曲2番(ワルシャワ・フィル)を聴いて感動したはずなのに、それ以上は進まなかった。パステルナークは、ショパンをロマン主義というよりリアリズムだと言っているし、遠山一行もそれを受けて「ショパンが当時の西欧のロマン主義者たちとちがっていたとすれば、…他者の意識の明晰さの点である。それは彼が音楽家として自分の唯一の素材である音に確実な他者を発見する道につながっていくだろう。」と言っているのが少しづつわかってきたような気がする。
 べートーヴェンは本当に聴かなくなったが、そのなかでは晩年の30、31、32番のピアノソナタをときに聴く。孤独が歌いだしたような音楽だ。ベートーヴェンにしてもモーツァルトにしてもシューベルトにしても、孤独が音に変換され、作曲者も聴き手もともに癒されるものがある。ところがスカルラッティの音楽は救いようのない孤独に終始していて、聴いていてつらいものがある。こんな音楽もめずらしいのではないだろうか。
<追記>
 70歳を過ぎたころからまたベートーヴェンを聴き出した。交響曲を聴くことはまずないが、晩年のピアノソナタやディアベリ変奏曲、晩年の弦楽四重奏曲のほか、昔あまり聴かなかったピアノ協奏曲1番2番、チェロソナタ1番2番など。バッハやモーツァルトは相変わらずよく聴くが、ガーシュインやラ ェルのピアノ協奏曲をよく聴くようになった。なお高校生のころよく聞いたイッポリット・イ ァーノフの「コーカサスの風景」とかグローフェの「グランド・キャニヨン」など、いま聴いても楽しい。こういった音楽を吉田秀和氏は軽蔑的に話すことが多かったが。そう言えば私が高校生のころ知って、大学に入って好きになったショスタコー ィチについても、吉田氏は長く冷眼視していた。前者の音楽は黒澤明の映画「夢」に使われていた。スメタナの「モルダウ」もテレビなどから流れてくると胸が熱くなる。年少のころの好みは、音楽にしろ文学にしろ幼いなりに自分の本質的なものを先見しているのかもしれない。

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