濃密なとき


 小学校の学区を外れると顔見知りの人に会うこともなく、子供がそんな遠くに用があるはずもありませんでしたが、私はそんなようなところまで歩いて行くことがありました。
 その日もふらっと一人で歩いているうち、寺や古くからの家の多い屋敷町のあたりに足を踏み入れていました。ふと気づくと、自然石を敷いた広い門前路の奥の厚い板の門が開いていて、たくさんの人がその中で動いているのが見えました。
 門前路の途中まで行って眺めていた私を、門の入り際に立っていた紋付羽織を着た男の人が手招きしますので、近寄ると、
 「坊ず。お祝いだから、中へ入って餅を貰って来いや。」
と言います。
 渡り板を踏んで長屋門の中に入ると、池や岩や石燈籠のある庭を紋付羽織の男女や割烹着の女の人や印半纏の男が往来しています。誰かに言われるままに裏へ廻ると、台所の中は足を踏む音や食器のかち合う音や人を呼ぶかん高い声で騒然としていましたが、入口に突っ立っている私の姿に気づいた普段着の男の人が土間に降りて来ると、「さあ」と言って熨斗を付けた紙包みを手渡し、すぐ上がり框に戻って行きました。
 包みを手に庭に戻ると、庭に面した廊下の前に人だかりができていましたが、池に沿って廻り込んで見てみると、高島田の髪に紫地の着物を着た花嫁が椅子に坐ってお披露目をしているところでした。
 踏石を囲むように立ち並んだ人だかりの端に立って、私は時折横にいる羽織着の年配の男の人の話に顔を挙げて耳を傾ける以外は伏目のまま坐っている花嫁の化粧した顔を眺めていました。すると花嫁の横の男の人が私の方を見て手招きします。
 横にいた誰かが私を促すように突きますので怖々と踏石の脇に近寄ると、
 「ご祝儀をあげるから、挨拶をしてごらん。」
と言います。私がもじもじしていると、後から
 「花嫁御寮がまぶしすぎて言葉がよう出んと。」と声が掛かって、どっと笑い声が挙がりました。
 男の人は笑顔になり、袂を探ってのし袋を取り出し私に手渡すと、廊下伝いに奥に行ってしまいました。
 見物の人は入れ替わり立ち替わりしていましたが、私は一時間ほどもそこに立っていたでしょうか。その間花嫁は一度も椅子から立ち上がらず、時折奥の方を見るだけで伏目のままじっと坐っていました。
 つと奥の方に目を遣った花嫁が、顔を戻しながら私の顔を見ました。
 「坊ん。」
 その声が花嫁の口から出たとはすぐにはわかりませんでした。花嫁は口をきかないものと思い込んでいたからです。周りを見廻すと花嫁の身内のような物腰の何人かの大人が奥の方を伺うように立っているだけです。
 「坊ん。家は近いんか。」
 今度ははっきり聞きとれました。
 「桜町や。」私は答えました。
 「そか。そんな遠くから一人で来たんか。」
 「もう帰る。」
 「ほな、また遊びにおいでな。お菓子あげるに。」
 そう言うと花嫁は立ち上がり、着物の裾を合わせると、廊下伝いに奥の方へ歩いて行きました。


 その屋敷の前の道を通ったのは、浄山寺で書道の展示会があり、同級の何人かの子供と出掛けての帰りでした。
 瓦屋根の厚い板戸の閉まった門の前に立ってじっと私たちの方を見ている割烹着姿の若い女の人を見たとき、私はすぐには思い出せなかったのです。その人が足早に近寄って来て
 「坊ん。」
と声を掛けて来たとき、はじめて思い出したのでした。一年ほど経っていたでしょうか。
 「なかなか来いへんかったな。」
 そう言ってその人はにこっと笑いました。花嫁姿のときの白塗りの顔とは随分違って見えましたが、声は記憶にありました。
 「うん。」
とだけ言って俯いていると
 「ちょっと待っててな。お菓子あげるから。皆んなもな。」
 そう言って門の脇の潜戸から中へ入って行きました。子供たちに「知ってる人?」「親戚の人?」などと聞かれ、曖昧な返事をしていると、女の人は戻って来て、紙包みを一つずつ私たちに手渡して寄越しました。
 「ありがと。」「ありがと。」
 子供たちは口々に礼を言って受け取りました。
 「坊ん。またおいでな。」
 そう言って微笑むと、女の人は門の方へ戻って行きましたが、中へ入らず、門の脇の掘割沿いに歩いて行きました。
 私たちは歩き出すとすぐ紙包みを開け始めました。白い卵形のお菓子が三つずつ入っています。口に入れると糖を固めた皮の中に餡をつめたお菓子でした。そんな上等なものは私たちはめったに口にすることなどないもので、道から屋敷の塀が見えなくなる頃には誰の手にも丸めた紙が残っているだけでした。


 それから一年ほども経った頃でしょうか、その女の人が何かの事情で離縁され、実家に帰されたという噂を耳にするようになりました。その実家のあるのが大沼の近くということで、学区が変更されてそのあたりから通って来るようになった子供たちの口を通してその噂は伝えられて来ました。
 バカお嫁——子供たちはその人のことをそう呼んでいました。その頃でも若い人が普段着に着物というのは珍しくなっていましたが、その人は一年中派手な色の着物を着、濃い化粧をして、家の周りを歩いているということでした。
 そのうち何の機会だったか、離れた物陰から水色の地に紅の矢模様をあしらった単衣の着物に細帯を締めたその人の姿を見ることがありました。それは色彩の乏しい周りの風景からは際立って、遠くからも容易に目につくようなものでした。近在の子供たちが囃しながら遠巻きにするのを、その人は取り合わず濃い化粧の顔に薄笑いを浮かべて早い足で歩いていました。
 そんなある日、私は近所の人から駄賃を貰って使いに行き、帰り道を間違え、噂に聞いているその人の家の前の道を通るしかないという具合になってしまうことがありました。
 片側が桑畑の道に沿った長い生垣が切れると、そこがその家の門で、前を通り過ぎようとしてふと覗き込んだ瞬間、すぐ脇の土倉の前に立っていたその人とばったり目が合いました。私ははっとして一瞬目を伏せましたが、足が動かなくなったようでした。
 その人は私の方をじっと見ていましたが、
 「坊ん。」
と聞き覚えのある調子の声で言いました。その人はいつか遠くから見たときと同じ派手な着物を着ていましたが、化粧はしていないようで、どこかほっとさせるものがありました。
 女の人はしばらく私を見ていましたが、
 「お菓子はないけど、生みたての卵あるけん、あげよ。おいで。」
 そう言うと、長いベルトコンベア付きの作業機や根菜を並べた筵が置かれている広い庭を先に立って歩き出し、茅葺屋根の屋敷の前まで行くと、ぐるりと脇へ廻って離れとの間の通路へ入って行きました。
 屋敷の裏は椿や樫の大木が立ち並んで薄暗く、木箱が高く積まれ、梯子や板が立て掛けられている板戸のガラス窓から家の中は殆ど覗けません。そこらじゅうに山吹の黄色い花が咲いていて、落葉の上に散り積もった椿の花は足で踏みつけるのがためらわれるほど紅い色を残しています。
 生垣際にぽつんとある鶏小屋の前まで行くと、女の人は立ち止まり、振り返って私を見てから端の粗末な木戸を開けました。腰を屈め、顔を入れて覗き込むと、
 「坊ん、見てみ。ちょうど生むとこや。」
と言って私を誘いました。
 そこは地下へ降りる土掘りの階段になっていました。階段の天井裏には旗竿に使う位の太さの丸木が積まれています。
 降り口の右手に浅い木の箱が二つ置いてあり、その一つに鶏が一羽後向きに蹲っていました。私をその前にしゃがませ、女の人は着物の裾を端折って手で押さえながら地下へ降りて行きました。地下底から電球の弱い燈色の灯りが漏れています。
 女の人は新聞紙で作った袋を手にして昇って来ると、私の横に並んでしゃがみ込みました。
 「ほら、そこのお尻のとこから、今出て来る。よく見ててみ。」
 一つ下の段にしゃがんだ女の人の顔は私のすぐ横にありました。私は息を殺して、疎らな羽がうっすら土色に汚れている尻のあたりを見続けていましたが、何も起こらず、鶏はときおり首を傾げ頭を左右に振るだけです。
 「ほらな、な。」
 そう言うと女の人は私の手を取りました。その人の手に導かれて蹲っている鶏の尻の軟らかい和毛状の羽を撫で降ろすとすぐ、肉の露出に触れました。
 女の人の手が強張ったと思ったとき、私の指は肉の中に突き入っていました。そこは狭く、乾いて、温かな場所でした。
 その一瞬の後、鶏が起き上がりかけ、私の指は外に出ていました。鶏はすぐ元の姿勢に戻りましたが、尻の位置は遠くなり、かわって鋭いクチバシが近くに来ました。
 女の人は私の手を離すと、外に出て行きました。
 外の別の戸口から小屋に入り、床に生み落とされていた卵を集めると、膨らんだ紙袋を戸口に立っている私に手渡して寄越しました。
 女の人は先に立って歩き出しましたが、屋敷の表へ出ると立ち止まって、戸口に背を向けたまま、放心したように佇んでいます。少しして私が
 「帰る。」
と言うと、一瞬私を見ましたが
 「そか。また来てや。」
と言って、また放心の顔つきに戻ります。
 門のところで振り返ると、女の人は私の方を見ていました。私が立ち止まったままでいると、やがてぷいと横を向いて歩き出しました。


 その後私はその人にもう一度会ったようにも思いますし、それきりだったようにも思え、記憶がはっきりしません。
 やがてその人が入水自殺をしたという噂が伝わって来ました。私に駄賃をくれた近所の大人の人もそう言ったので間違いないのでしょう。脳膜炎——心の病気を持った人たちを私たちは一様にそう呼んでいました——ということでした。
 ——私は自分は不幸だったと、ずっと思って来ました。しかしあるとき、「一体、愛の経験は、あとではそれがなくては堪えられなくなるという欠点を持っている。だから主人公たちは大抵身を持ち崩してしまう。」と、ある作家が書いたものを読んで、「愛」の定義はしばしともかくとして、あるいはその逆だったのかもしれないと思うようにもなりました。

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