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『神の愛としか言いようがない』【バトンリレー企画 2022】~心に残るあのエピソードをあなたへ~

60年ほど前に、私が講談社の「お使いさん」をしていたころ、東京・豊島区の漫画家・故桑田次郎先生宅でお会いしたことがあると、お互いに信じている kaze さんから、突然、この企画へのお誘いをいただいてから、すでに6日もたってしまいました。

その間、トレイル歩きで転倒して足腰を痛めたり、絵を描くワイフのアウトドア・ショー(ヘッダー写真は彼女の作品です)があったりで、落ち着いて時間を取れなくて、気ばかり焦っておりました。こういうリレー企画のようなものには参加したことが皆無だったものですから、まだ緊張しております。

9月30日が最終日だそうで、下手したら私が最終走者になってしまうかもしれません。一応、バトンを渡したいと思っている方はいるのですが、その方の残り時間が少ないし、受けてくださるかどうかもわかりません。ともかく手短にまとめたいと思います。

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自分のことを紹介する場合、「昭和前・中期の狭間、東京が焼け野が原だった戦中に生まれ育ち」とよく言います。これはほんとうのことで、東京都北区西ヶ原というところで、終戦の前年の3月に私は生まれました。

親父は明治生まれの畳職人、小学校を終えたら畳屋さんに奉公に行って修業を積んだ人で、仕事と酒とたばこと釣りがすべてという、寡黙な人間でした。私が子供のころ、時々、親父に釣りに連れて行ってもらったことがありました。その経験がもとで、今頃、私が釣りに夢中になっているのかもしれません。

おふくろは酒飲みの親父に手を焼いていたこともありましたが、畳屋としての親父の店の裏方として、いろいろ苦労もしていました。親父は仕事一筋の人間でしたから。

小さいころの私は、両親が深い悲しみを背負って生きてきたのだということをほとんど知りませんでした。それを知ったのはたぶん中学生になったころだったでしょうか。

実は、私がこの世に生を受ける前に、両親には二人の娘、すなわち私の姉たちがいたのです。しかし、悲しいことに、いちばん上の姉は3歳のとき、2番目の姉は5歳の時に、今の時代なら抗生物質で簡単に治るような病気で亡くなってしまったのです。

現在、私は一人の4歳の孫(男児)のじいじとなって、一緒に暮らしています。3歳と5歳の子供たちが、私の親父とおふくろにとって、どんなに可愛く大切な存在であったか、それを思うと今でも深い憐憫の情を禁じえません。

二人の幼子を亡くし、時代は太平洋戦争前夜の暗い日々が続いて、やがて日米開戦。親父はもう軍隊に引っ張られるような年齢は過ぎていました。ミッドウエー海戦を機に日本は敗色濃厚となっていき、米軍機による本土空襲が国土の荒廃化を進めていきました。

そんな最悪の状況下に、まさに奇跡的に私が生まれたのです。二人の女の子の後の男の子。親父が43歳、おふくろが42歳でした。たぶん、母乳も満足に出なかったのではないでしょうか。戦災で痛めつけれた東京、食料も物資も何もかも不足していた時代。幸い私たちの家は戦災を免れましたが、乳幼児を育てるには全く適していない、最悪な状態だったと思われます。
でも、戦争が終わって、私たちは生き残りました。親父は畳屋を続け、おふくろは私を育て、親父を助けたのです。

しかし、私が4歳になったとき、再び両親に試練が訪れました。食べたものが腸の中を通過していかない、腸重積という重い病気にかかったのです。私はおぼろげに記憶しています。親父のリヤカーに布団を載せてその上に私が横たわって、近くの病院に駆けていった光景が。。。
その時の両親の気持ちを思うと、私の心も張り裂けそうになります。
「上の二人の娘が3歳と5歳、今度は4歳の息子が!」

後になっておふくろから聞かされたことですが、その日は日曜日で病院には休日スタッフしかいなかったのです。しかし、近所でも名医として知られた先生がそこにいて、すぐに私を診察し、ただちにスタッフを集めて手術を行いました。あとで、その先生が私の両親に「あと1時間遅かったら、この子の命は救えなかった」と言ったそうです。

その後、私は13年間、親父とともに過ごし、おふくろとは18年間をともに過ごすことができました。私は1972年に単身、カナダに渡り、30歳の時、バンクーバーで聖書に出会い、クリスチャンになりました。今はトロント郊外でワイフ、息子夫婦と孫と一緒に暮らしています。

「神は愛なり」 

神は、二人の幼子を亡くした私の両親を愛して、その悲しみを慰めるために私をこの世に送ってくださった。そして、私の命が危うくなった時も、私たちを憐み、愛してくださって守ってくださった。
これらのことはすべて私がクリスチャンになる前に起こったことです。
信じる者も、信じていない者も神様は愛しておられるのだということを、日々思いながら生きている昨今です。

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kaze さんから受け取ったバトンは、私が敬愛するこの方にお渡ししたいと思います。何分、お忙しい方なので受けてくださるかどうか。。。ご本人のお気持ちもうかがっておりませんので、一応、おことわりしておきます。

梅熊大介さん、もし可能でしたら、バトンを受け取ってください。


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