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些細な幸せ探し。

まだまだ冷え込む季節だが、春の近づきのお知らせ…。
梅の花が少しだけ咲き始めました。

抜けるような青空の下に咲き誇る梅の花……。っとまでいかなかったが、今年もこの景色が見れて良かった。
些細な幸せを少しだけ感じれた。

幸せを感じるのは…。
人それぞれ違うと思うが、人は沢山の思い出を蓄えられる。
その思い出と同じ景色を観たり、悩みも忘れて仲間と語り合い、笑い合い、話題に尽きることなく過ごす時間も、幸せを感じる事が出来る。
そして独りきりであっても、ゆっくり過ぎる時間を過ごしたり、また何も変わらぬ平凡な暮らしでも、些細な幸せを感じる事が出来る。

裕福だけが幸せじゃない。
そりゃ〜
富と名誉が有れば、それはそれに越した事は無いが。
だが、それだけが幸せとは限らない。
富や名誉を手にしても、悩みは尽きない。
自分にとって何が幸せなのか?
幸せとは自分で見つける物で、幸せが勝手に訪れる物では無い。

物は考えようで。
例えば、出掛け前に下駄の鼻緒が切れたらどう思うか?
出掛け前に運が悪いと思うか。
うゎーーー!。
旅先で切れなくて良かったと思う事が、出来るので有れば、些細な幸せを感じれる。

また他にも、秘すれば花では無いが
事実を知る事が幸せなのか?
事実を知らないままの方が幸せなのか?
何事も事実を知る事だけが幸せじゃない。
確か………?
ドイツのヒトラーの右腕でもあった、宣伝部長を務めていたゲッベルスが、
『嘘も百回言えば事実となる』と言う言葉を残しているように。
騙されていても、事実を知らなければ、騙されている人にとっては、それが事実で有り、それはそれで幸せなのかも知れない。
とにかく嘘をつく人は、出来る限り相手にバレないよう騙し続けてあげること。
相手を想いやるつもりで嘘を着くのなら、最後の最後まで騙し続けて上げなければ、何の意味も無くなる。
嘘がバレたら、それはただ単に信用を無くすだけです。
そう思うと、嘘には二種類の嘘が有ると思う。
優しい嘘と偽りの嘘。
相手を想う嘘なのか、相手を欺す嘘なのか、
しかも、それは嘘をつく者が、バレるかバレないかによっても変わってくる。
だが…『知らぬが仏』って言うことわざが有るように、全ての事実を知る事よりも、
知らなかった方が、幸せと思う事も多く有るのかも知れない。
それに付け加えると。
嘘を付かれてる事に気付いても、騙されているフリをする事も、大切だと思う。
我輩は、それも相手を思う優しさで有ると思う。
だから人は騙されているフリもする。
それが互いにとって、互いの幸せを維持できるのであれば……。
しかし薄々その嘘に気付いてる事を、気付かれてしまう事もありますが、
全てを知る事で、全てを無くす事もあるからこそ、騙され続ける。。。

何度も書いた事があると思うが。
手に入れた喜びや、幸せが、大きければ大きい程
、失う時の悲しみも大きくなる。
恋愛も永遠には続かない。
失恋もするだろうし、その失恋をどう乗り越えるか、我輩には別れた時のその悲しみや、苦しみを乗り越えるだけの気力や勇気が備わっていないから、極力恋愛はしたく無いと思っている。
出来れば避けて通り過ぎたいが……。
それは、それで上手く物事は運ばない。
ある日、その別れが突然やって来る時が来る。
予期せぬ別れが。
そんな時は大抵、相手も悩んだ末に、
その別れを、告げてくると思う。
それも、相手を気遣って出した答えだから、真摯に受け止め無ければならない。

我輩の経験上……。
失恋は恋愛でしか、解決しないと思う。
別れた人よりも、素敵な人と巡り会う、
それが最終的な失恋を乗り越える手段だと思うが、
これはあくまでも我輩、個人的の考えなので
参考になりません。

恋愛が上手く行き、結婚して永く続いても
やがて、どちらかを残して永遠の別れが来る。
その悲しみを乗り越えるには、その悲しみよりも多くの、楽しかった思い出を沢山蓄え。
思い出しながら、その悲しみを乗り越えなければならない。

思い出を残す手段として。
僕の好きなフリーランスさんと言えば良いのか?
大切な人の声、大切に思う親の肉声をビデオに残す事を目的として、ビデオを撮影してもらいながら、父親との何気無い会話を残しておられる方が居ますが、それも素敵な思い出の残し方だと思う。
どのような形で残すのか、人それぞれ違うと思いますが、永遠に続く幸せが無いからこそ、人は些細な幸せを探し続ける。
そして悲しみや苦しみを乗り越えて行く。

やがて自分が、やり遂げれなかった悔いを残しながらでも、楽しかった思い出を沢山、思い描きながら深い眠りに付く時がくる。

人は言葉を残す術と、思い出を残す術が有る。
その術を存分に使い、些細な幸せを感じながら、残された者も、残す者にとっても、今を大切にする

『あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいったものがあれほど生きたいと願った明日』
「カシコギ」という小説より……
この深い言葉を胸に、今日も明日も明後日も、そして来年も。
変わらぬ、平凡な暮らしの中で。

些細な幸せを探します。





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