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言える自由・言わない自由

 筋ジストロフィーの城本さんは、いつも私の話しを聞いてストレートに意見をくださいます。ある時、コミュニケーション機器について話しをしていた時に次のような話しになりました。

 「自由に文字を選べる」ということと「自由に意思を伝える」ということは、同じではないんです。つまり、伝えたい意思があったとしても、それを実際に伝えるかどうかは別な話しです。

 だから、コミュニケーション機器を渡して、「ほら、これで自由になんでも伝えられるだろう?どんどん言ってくれ。言ってくれたらその通りにするから。言ってくれないとこっちはわからないんだから、何かしようと思ってもできない。」という感じで言われると、強いプレッシャーをかられている感じになります。

 誰かと話しをしていて「あ、この人、鼻毛伸びてる」「汗臭いなぁ」「お、笑顔が素敵な人だな」など、いろんなことを思いますが、それを実際に口にするかどうかはまた別な問題です。それと同じで、「頼まれたことをするのが私の仕事ですから遠慮なく言ってくださいね」と言われても、これを言ったら相手はどう思うだろう、さっきもお願いしたのに悪いなぁということを考えてしまうことだってあります。
 コミュニケーション機器を与えられたから、思っていることを全部伝えろ、心の中身を全部さらけ出せ、ということにはならないんです。 

 言える自由は大事ですが、それとともに、言わない自由があることを忘れてはいけないです。そして、病気や障害で自分の声で話しづらい人に対しては、最初に言えない不自由を感じてるかもしれないという思いやりを持って接することが大事だと私は思います。
 スマートスピーカーやロボットに命令すれば言ったことをやってくれる、自動販売機にお金を入れれば欲しいものがでてくる、最近のコンビニはセルフレジを使えば誰とも話しをしないで物が買える。誰かと話したくない時もあるし、話せない時だってあります。機械相手は便利なこともたくさんあります。
 だけれど忘れてならないのは、人は命令すれば言った通りに動くという存在ではないことです。相手は人間です。自分と同じ人間です。コミュニケーションは人と人とのやりとり。会話は双方向であって、一方通行の命令ではありません。
 話す方も聞く方も人間です。必要なのはコミュニケーションであって、コミュニケーション機器を使うことではない。コミュニケーション機器はあくまで会話のきっかけです。
 大切なのは、機械ではなく機会です。

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