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ことばだけがコミュニケーションではない

 講演会でお話ししているネタから。

スマートスピーカーに話しかけて電気をつける

 この動画は、iPadで使うコミュニケーションアプリ・指伝話メモリを操作し、合成音声でAmazon echoに話しかけ、Hueの電球のオンオフや色の変更を行っている例です。

 自分の声を出すことができなくても、指伝話があれば合成音声を使ってスマートスピーカーを操作することができます。もし、画面をタップすることが難しくても、iPadに標準でついているスイッチコントロールの機能を使えば、身体のわずかな動きでこの操作を行うことができます。

 少し前なら「環境制御装置」と呼ばれていたものが、世の中に多く広まっているiPadでいとも簡単にできるようになりました。昔だったら、色別の電球を用意する必要がありましたが、いまは1つの電球で様々な色にすることができます。

紫にして、の意味

 身体が自由に動かせず、自分の声で話しができない病気の子どもが、スイッチを操作しながら電球を紫にした時、「すごいねー」ではなく、「何故ここで紫なんだろう?」と考えます。

 紫色。学校で習いましたよね、紫を選ぶ時の気持ちってどんなのだったか。

 そう、欲求不満です。(注. ネタです。)

 つまり、自分はいま満足してないという状態をことばで伝えるのではなく、灯りの色を変えることでさりげなく伝えたのかもしれません。「ちょっと満足してません」「やだなぁ」ということばは、あまりにストレートで相手の気分を直撃してしまいますが、灯りの色が変わったら「お?これは?」と相手の気持ちの変化に気づき興味をもって接することになります。

 ことばを使わないで気持ちを伝える、とても高度なコミュニケーション方法だと思いませんか?

 大好きなお母さんが部屋にきたから明るい太陽の色にしよう、友だちが遊びにきたからオレンジ色にしよう、静かに考え事をしたいから緑色にしよう、というように自分の気持ちを色で伝えているかもしれません。紫は欲求不満ではなく、高貴な色として厳かな気持ちになっているのかもしれません。

 そうじゃないかもしれません。

 どうしてそうしたのかな?と相手の気持ちを想像することは、相手に興味を持って一歩近づくことです。そうすると相手も一歩近づいてきます。そうするともっと興味を持ってまた一歩近づきます。相手を知れば誤解や偏見がなくなります。お互いに相手が尊敬できる人であるとわかったら、差別はなくなります。

決めつけない。そして、考える

 講演会に参加するために新幹線に乗ってきてくださった親子がいました。話しをすることができず、車椅子に乗って上肢の不随意運動がある小学生の男の子でした。初めての新幹線だったそうです。

 お母さんは「新幹線の中でもずっと声をだして騒いでいたんです。いつもこうだから、他の人に迷惑をかけてしまうと思って、出かけられなくなるんです。」とおっしゃいました。

 私は「初めて乗った新幹線。男の子ですもんね。嬉しかったのでしょう。しかも大好きなお母さんと一緒なら、興奮しない訳がありません。きっと嬉しかったのでしょう。よかったねー。」と彼を見たら、へへーんという顔をしていました。

 お母さんは「そんな風に考えればいいんですね。騒がないで欲しいとばかり思っていたけど、どうして声をだすのかと考えるといいですね。」とおっしゃいました。

 病気や障害で自分の声で話せない子どもが、大好きなお母さんに何かを伝えたい時は、全身の力を込めて「ねぇねぇ、みてみて〜」って表現するのは間違いないとわかります。そうすると、その行動は「騒いでる」のではなく「伝えたい気持ち」だと理解できます。そうなんだ、と反応すれば、そうだよーって伝えてきます。

 私たちはつい「ことば」を求めてしまいます。伝えたいのは「気持ち」です。テレパシーが使えないからことばを使っていますが、そもそも、ことばが第一にあるのではなく、気持ちを伝えるためだったことを思い出さないと間違ってしまいます。

 だから、決めつけない。そして、考える。これをいつも忘れないようにしたいと思います。これもまた、機械ではなく機会です。

2019 機械ではなく機会10.001


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