PPC反転学習2回目で振り返るDDTの実例
PPCの反転学習2回目で、BORでDDTの実例をシェアする際に私の過去のDDTの例・私と親との関係について話しました。
BORの場では詳細は話さなかったのですが、私の場合のDDTの入れ替わりを振り返ってみようと思います。
統制的な親と内向的な私。
私がポジティブ心理学に出会う前までは、
統制されて嫌な思いをしながらも、反論するとより強い感情的な反応が返ってくるのであきらめていました。しかし、ポジティブ心理学を学んでから、関係性が変わりました。
学ぶことによって、自分の考え方が変わり、親との関わり方に意識的な変化をもたらしました。変わらないものは変わらないと認識しながらも、自分が選ぶことは変えられると理解しました。
DDTの役割は常に入れ替わる
基本的に普段の生活では、気を遣わないといけない親が迫害者となり、私は犠牲者。私が言い返す時は私が迫害者、親は犠牲者と言うようにDDTの役割は入れ替わる。
救済者は子どもたちだったと思う。子どもたちの存在によって、私の心が救われていました。
・迫害者:統制的な親
・犠牲者:気を遣う私
・救済者:子どもたち
ときどき
・迫害者:言い返す私
・犠牲者:言い返される親
・救済者:子どもたち
私の苛々は子どもたちに向けられることもあります。この場合は、私が迫害者、子どもたちは犠牲者、親が救済者となります。親が子ども(孫)をかばったり、私を攻撃したりするので、子どもたちは親(祖父)を救済者とみなします。
・迫害者:子どもに苛々をぶつける私
・犠牲者:子どもたち(孫)
・救済者:親(祖父)
そして、何か大きなトラブルがあったときの構図は以下のようになります。
・迫害者:統制的な親
・犠牲者:統制される私
・救済者:私の愚痴を聞く夫
親は夫がいないときに私に感情をぶつけることが多く、後から出来事を愚痴りながら報告していました。
あるとき、同じく夫に話したときに、
「また同じことをやっているの?」
と返されました。この時、夫は救済者からコーチに変わっていたのだと思います。
夫のキツイ忠告を受けた後の構図
・迫害者:統制的な親
・犠牲者:統制される私
・救済者:??
この夫の一言は見放されたような気持ちにさせましたが、痛いところを突かれたこともあり、私の視点が少し変わった出来事でもありました。
約1年前、ある事件が発生。
この出来事がきっかけで、一緒に親と住み続けるのは難しい・危険だと考え、その後から、別居を念頭に話し合いを進めました。
この時の構図は以下です。
・迫害者:親
・犠牲者:夫と私
・救済者:???
しかし、別居を念頭に話し合いを進める段階になると、ずっと同居して老後を共に過ごすと期待していた親からすれば、
・迫害者:夫と私
・犠牲者:親
・救済者:??
となりました。話し合いの中でも犠牲者と迫害者は絶えず入れ替わりました。私からすると夫も時折犠牲者に見えましたが、夫がコーチ・クリエイターとして私を支え続けたおかげで、途中で挫折せずに無事に別居に至りました。
私も難しい・苦しいと感じながらもクリエイターになる方法を考えたり、親をチャレンジャーとしてみる方法を模索するようになりました。そして、関係性を戻して同居をすること=後戻りすることが最善ではない、と気づき、この気付きが前に進むエネルギーとなりました。
振り返ってみると、夫がいつの間にかコーチ・クリエイターになっていたことに気付きました。私もポジティブ心理学やPPCを学ぶ中で考え方や視点が変わっていったのだですが、この今に至る状況の中で、夫の貢献度が大きいことを実感し、夫がいたからこその今に感謝しています。
PPCを学ぶことは自分の幸せになる覚悟を持つこと
荒波を乗り越えている最中は明確に意識していませんでしたが、
『PPCを学ぶことは自分の幸せになる覚悟を持つこと』
という言葉が基盤にありました。
講義の中で出てくるワードが自分の出来事にも当てはまることに気付くと、自分の人生に学びをより一層活かせるのではないかという希望が湧いてきました。学んでどう実践していくか、という楽しみになります。
PPCまだ2回目。ここからますます面白くなっていきます。