「頭を使わせるには学習者に打開してもらうしかない」という考え方

いまだに覚えている、小学生の頃に通った中学受験の塾。

めちゃくちゃ授業が面白い理科の先生がいた。

ただし、叱るときには怖い先生だった。

とある理科の授業中。

世界地図をざっくり黒板に書いて一言、

「この地図を見て、昔の地球についてどんな予想ができるか?」

とクラスに問いかけた。

誰も答えられず、沈黙の時間が流れる。

するとその理科の先生は突然自分たちを叱りつけた。

「もっと頭を使えよ!!!!」

何を言われているのか当時はサッパリだった。

ここからもう少しして、頭の良いクラスメイトがなんとか「今は離れている大陸は全てつながっていた」と模範解答に辿り着いた。

「こんなに大勢いるのに、頭を使える奴は一人だけか!!!」

それでもまだ怒っていた。

たしかに大陸の形を注意深く観察すれば、特に南アメリカ大陸とアフリカ大陸はパズルのようにピッタリ合うように見える。

当時は「なんで怒られてるのかわからん」状態だったけど、今になると痛いほどわかる。いかに言われたことをこなしたり覚えたりするだけだったか。

つまるところ、学校だろうが塾だろうが、教える側に立つ人間というのは「いかに学習者に頭を使ってもらうか」が勝負になる。いかに自立してもらうか。そのために何ができるか。何を用意できるか。

そして、「頭を使う状態」に到達してもらうには、学習者自身に気づいてもらうしかない。これが少し前から文科省が進めている「主体的な学び」というやつだ。

特に英語ライティングの授業をしていて痛感する。英語レベルに関わらず、大抵の人は全く同じ英文法のミスを繰り返す。前に習ったはずなのに、三単現のSを忘れる、時制が混ざる、同じ表現を繰り返す・・・。

こうしたミスを指摘するたびに思う。「どうすればもっと頭を使ってもらえるだろうか?」自分の授業では、まだまだ学習者の頭を忙しくさせることができるはずだ。

結局、学習者本人が「絶対なおす!完璧に書く!」と強く決意して頭をフル回転させないと、学習効率は悪いままだ。そのためにはどんな仕掛けを打つことができるんだろうか?

「もっと頭を使えよ!!!!」

授業中に昔の恩師のように声を荒げてみたらどうなるのか、たまに思う。

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