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僕とポケモンカード。

どうも凱です!
先日発表がありました通り、本日から第3期ポケカ四天王に就任することになりました。

ここまで来れたのは、家族の支えや一緒にポケモンカードをしている仲間や自分のことを応援してくれている人たちのおかげです。
この場を借りてお礼したいと思います、ありがとうございます!!

今後も自分は挑戦し続ける気持ちを忘れずに高みを目指します。

応援よろしくお願いします!!


いい節目なので、僕のポケカ人生を振り返りたいなと思います。



・ポケモンカードとの出会い

当時僕が5歳の頃。
よくわからないままポケモンカードのパックを手にしたのを覚えています。
家で大事そうに触っていると親父が『なんだこれは』と。
せっかくならルールを覚えて遊んでみるかとなったので、家の近くにポケモンカードが盛んな駄菓子屋のようなカードショップ(後藤商店です、今もあります。)があったので足を運ぶことに。
僕よりも4つか5つぐらい年上の息子さん(A君)を持つお父さんの方がルールを丁寧に教えてくれたこともあり、僕はポケモンカードの世界に引き込まれていきました。
その後も後藤商店に通い、ポケモンカードで遊びながら、周りの人たちとも交流を持つようになりました。
今思うとこのような温かい環境でポケモンカードを始められたのは恵まれていたんだなと今になって実感します。


・初日本一決定戦

小学3年生の頃です。
当時は春の大会、夏の大会があり、それぞれの大会の優勝者のみが日本一決定戦に出場できるという仕組みでした。
夏の大会で優勝し、日本一決定戦出場の権利を得ます。
ここからは親父も未知の領域だったので、師匠であるK氏に色々と教えてもらうことに。
かなり絞られたプールで戦うレギュレーションだったので、ひたすらデッキを組むも、K氏の組んできたデッキに成すすべなく負け続けました。
それが悔しかったのですが、作ってもらったデッキを使って練習し、本番を迎えることに。
結果は3位。
この大会でイタガキタクト選手との出会いがあり、ジュニア、シニア時代をともに過ごすことになります。

翌年の公式大会の一部が中止になったこともあり、初めて日本代表として世界大会に臨むことになりました。



・初世界大会

世界大会も当然親父にとって未知の領域だったので、デッキを決める段階からK氏に付き合ってもらうことに。
デッキを決めてからはひたすらに練習する日々。

そしていよいよ本番。
惜しくも4勝3敗で32人のトーナメントに残れず。
自分の精いっぱいをぶつけたつもりだったので涙が止まらなかったのを覚えています。

この大会でイタガキタクト選手は準優勝し、とても嬉しかったのと同時に悔しさとは違うのですが、何とも言えない感情でいっぱいになったのを覚えています。

アメリカ滞在の最終日は、大体の人が観光をするのですが、当時の僕はカードがしたいと泣きついていました。
ガキンチョの僕1人の意見で家族全員が動くものでもないので、観光についていきましたが、心の底からは楽しめなかった記憶があります。
このころからじんかけポケカ星人の片鱗はあったのかもしれません。

こうして最初の世界への挑戦は幕を閉じます。



・ジュニアリーグ最後のチャンス


この頃は、県代表を決める→(各エリアごとに敗者復活戦)→日本一決定戦→世界大会というシステムで日本代表を決めていました。

僕は県代表を決める決勝で敗れてしまい、敗者復活戦に全てをかけることに。
敗者復活戦では、最初の1戦で1敗してからのスタートになりましたが、グループ2位になんとか滑り込み、日本一決定戦に望みをつなげることができました。
県代表を決める決勝に敗れて、悔しい思いをしましたが、小さかったなりに諦めずに練習を続けることができたのは自信になりました。

そして、日本一決定戦。
ここまで来たら絶対に日本代表を勝ち取りたい。
そう強く思い、練習を続けました。

いよいよ本番。
初戦はマナフィの帽子を被ったZくんでした。
地上波を荒らしたときに隣にいた彼です。
※彼がこの大会の優勝者でした。

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負けました。
試合は全部で7回戦で、ここから代表を勝ち取るには負けられて後1回。

そして2試合目はなんとか勝利するものの、3試合目に負けてしまい、後がない状況に。

ジュニア最後の年だったので、絶対に代表入りしたい。その思いとあと1敗もできないという崖っぷちで追い詰められていたので、昼休みは涙を流しながらご飯を食べていました。

気持ちを入れ替え、午後を全勝で終えられたので、全体6位でなんとか代表を勝ち取ることが出来ました。

1度は県代表を逃したものの、敗者復活戦、日本一決定戦ともに追い詰められてから力を発揮できたのは練習の甲斐あってのことだと感じました。


・2度目の世界大会

この年の世界大会の練習はSkypeを導入して遠くに住んでいるライバルたちと主にやることに。
皆小学生だったので、学校に行く前の時間や学校から帰ってきてからの時間を使いながら切磋琢磨した記憶があります。
この時にイタガキタクト選手や日本一決定戦で戦ったZくんとも調整をしました。
国内ではライバル関係だった同年代のプレイヤーと共に練習をする日々は幸せでした。

夏休みもポケカ漬けの日々を送り、いよいよ本番。
予選は難なく抜けることができました。

32人のトーナメントで1回戦が一緒に調整もした日本人の子でした。
対面したときは心苦しいものがあったのですが、勝負の世界ではそのような気持ちは不要です。
いい勝負をしよう、と言わんばかりの熱い握手を交わしました。
その試合は勝ちましたが、後からこみ上げてくるものがありました。


次の試合、サドンデスまで続いたゲームでしたが、負けました。

前の年の世界大会よりも良い成績を取れた喜びもありましたが、やはりもっと上に行きたかったと悔しい思いもありました。

この年はシニアリーグでイタガキタクト選手が優勝しました。

めちゃくちゃ嬉しかったです。
前の年のときは色々な感情も混ざっていましたが、練習、苦楽を共にした仲間の勝利はとても感動的でした。

こうしてジュニアリーグ最後の世界への挑戦を終えました。


・シニアリーグ時代

国内で実際にシニアリーグとしてプレイできたのは1年間だけでした。
シニアリーグのときは国内で代表を勝ち取れませんでしたが、親父にお願いしてLCQ(世界大会の会場に行けば今で言うday1の出場権があった)に参加しました。
LCQは突破したものの、予選は4勝3敗でトーナメント圏外。

今までは負けたら悔しさが全面に出ていましたが、この大会はそうとはならず。

また、この年以降は国内の公式大会をオープンリーグとして参加するしかなかったので、当時の自分が世界大会を目指してポケモンカードを続けていくに限界を感じ、ポケモンカードからは距離を置き、中学生高校性してました。
ポケモンカードに全く触らないのも寂しかったので、時々デッキを作ったりはしていました。


・復帰、そしてチムゴリ加入

復帰してからは今ほど練習もしていなかったし、デッキの調整を1人でしていた期間が半年以上続きました。
家で親父とカードをしても2戦ぐらいで疲れてしまうので、満足に練習できない日々を送っていたのを思い出します。
ある日、ポケモンカードをするなら大須がアツいという情報を耳にして、足を運んでみることに。
ここで、チームゴリラの人たちと出会うのですが、最初から上手く溶け込めたわけじゃありません。
やっぱりよく知らない人に声をかけるというのは物凄くハードルが高いw

大須の中でもダイスロールがいろいろな意味でやばい。ということを耳にしたので、1度行ってみることに。
そこから何度か通って、フリー対戦をそこそこやるようになり、ある日の帰り際にサイコロ振ろうぜと誘われます。
ある意味このサイコロが僕のポケカ人生の転機の1つでした。

同い年だったメガちく(現在活動休止)にとりあえずラインのグループ誘うわ!と言われてからチームゴリラとして活動することになりました。

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・2019シーズン 夏

2019シーズンのCLからサンムーンシリーズのみでの戦いとなるので、ゲームのテンポやどんなデッキが強いのかが誰にもわからないまっさらな状態からスタートしました。

このタイミングで500円スタートデッキの発売があり、ポケモンカードのブームが来ていました。
僕の地元の友達も何人かポケモンカードを始めていて、特に仲の良かったJくんはポケモンカードの虜になっていて、ポケカ教えてよ~。と家まで来ました。
そこから何故かJくんと一緒に毎日のようにデッキを作ることに。

この時、ポケモンカードを始めたての頃の自分を思い出しました。
目を輝かせながら知らないカードを手に取り、どうやって使おうかなと試行錯誤していた小さかった時の自分自身を。
ポケモンカードに熱中し、何より楽しんでいました。
友達の作るデッキも粗削りだったものの、自分にはない考えを持っていて新鮮でした。
何が強いのか探りながらデッキを作っては崩しての繰り返し。
机の上もアトリエのように散らかっていましたw

出来上がったデッキをチームの人たちとも回したりしながら、より実践に近いレベルまで引き上げていきました。

この生活を続けていて、自分なりに決めたことがあって、
2019シーズン、世界大会に行けなかったらポケモンカードを辞める。

この夏だけでも尋常じゃないぐらいポケモンカードに時間を使って、自分のすべてを出し切って練習してそれでも結果が出なかったなら将来のことを真剣に考えよう。
自分なりの本気の決意でした。


・2019シーズン秋冬

この頃から僕のポケカ人生が加速し始めたように感じます。
ちょうど1年前ぐらいですね。

大阪のシティリーグの前日に飛〇新地で洗礼を受けました。
大会前日にこんなムーブしてたなんて今では考えられませんが、自分のコンプレックスがめちゃくちゃしょうもなかったんだなって気づけました。
泊まっていた場所までの帰り道には、晴れやかな気持ちになりながらも色々と人生について考えていました。
シティリーグは、同率8位でトーナメント行けず。

ここから新潟に向けて調整が始まり、シティリーグでマッチしたデッキからインスパイアを受け、当時では珍しいぶん回すウルネクが出来上がりました。

そして、CL新潟当日。
予選はほぼ想定したマッチで8連勝し、トーナメントいける!と気を抜いた矢先2連敗。
上がれないだろうなあと順位確定まで待っていると12位。

16人上がりだと順位的に5位の人と当たるので誰かなあと見ていると、
イトウシンタロウ
ゴリラデビュー戦のCL京都を思い出しました。
盾をかけた試合で負けているので今回こそはと。

カエループの情報を予選の被害者の1人であるセキタケトに聞いてからトーナメントに臨むことに。
いきなりクライマックス、これがあるからポケモンカードはやめられない。

最後に出てくるケッキングのなまけがおをケアして1ターン遅ければ負けていた。
そんな試合でした。
そこから2試合もズガドーン、レックガノンと戦いましたが、ウルネクの180がハマっていたもあり、決勝へ。

VSシマダダイチ。
ここで初めての対戦。
実は、復帰してから僕自身が対戦相手に困り果てていたときにスカイプしませんか、とシマダにDMを送っていました。
断られましたけどw
全てはこの日のための伏線、予兆。

結果は負けてしまいましたが、復帰してから初の盾(9年ぶり)はめちゃくちゃ嬉しくて、あの感覚を今でも覚えています。

韓国に行ってから徳島に行ってウオギシコウスケ選手の家で年越ししたら正月ってなんだったんだ、、って感じで高速で過ぎていきました。


ここから先は大体noteに残っている感じの僕のポケカ人生です。
(気が向いたら追記することにします。)



・ポケモンカードから学んだこととこれから

長々と書いてしまいましたが、そのぐらいポケモンカードが僕の人生に与えた影響は大きいです。
ポケモンカードに深くのめりこむきっかけを与えてくれた大人の人たちとは、普通に小学生として生きていたら会うことはなかったはずです。
ポケモンカードをしていなかったら出会えなかった人たちもたくさんいます。
遊びでありながら、世代を超え、人と人とが繋がっていけるものなんだと人生かけて実感しています。
ジュニアの頃から勝つことの喜びと負ける悔しさを幾度となく経験しました。
勝負には誰だって勝ちたいし、勝ちたいからこそ頑張れる。
しかも公式大会は死ぬほど緊張する、でもそれが楽しい。

そして、
ジュニアリーグ最後の年では勝利は1人のものではない、勝利の喜びは他の人とも分かち合うことが出来る。
今までジュニアリーグでプレイしていてそんな気持ちにはならなかったのですが、大事なことを絶好のタイミングで教えてもらえた、そんな気がします。
そして復帰してからは以前とは比較できないぐらいポケモンカードに夢中です。
中学生、高校生のときも楽しかったし、充実した日々でしたが、今ほど本気で夢中になってまで遊んだことって何かあったかな、と考えさせられます。
今後もポケモンカードを楽しむ姿勢を忘れず、最高の仲間と共に世界一を目指してこれからも全力でカードしていきます!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました 凱

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!