那智勝浦町昔懐かし話 第55


第55話『南紀湯川温泉』
 
 
はい、少し間が空きましたが、第55話であります。本当は55話なのでコント55号のこと(古いかな、今の若者知ってるんやろか)でも書きたい気持ちでありますが、ここはぐっとこらえて、第54話でちょっとお話ししました南紀湯川温泉のことを書きたいと思います。ただ、僕は郷土史家でもなんでもないのであくまでも僕の記憶装置に任せて書きます。ご了承ください。またまた前置き長くなりましたが、でわでわ第55話でございます。
 
改めまして、南紀湯川温泉であります。那智勝浦町は南紀勝浦温泉として有名だが、実は、もうひとつ温泉地があります。それが南紀湯川温泉であります。俗に湯川温泉といいますが、全国で他にも湯川温泉という所があるかも知れないのであえて南紀湯川温泉と書きます。南紀勝浦温泉も名湯が多いが、ところがどっこい南紀湯川温泉も劣らないのであります。この南紀湯川温泉、歴史はものすごく古く、平安の昔、熊野詣に向かう旅人達が、参拝前に湯ごりをして身を清め、旅の疲れを解きほぐした場所と言われ古くから湯治場としても栄えてきたのである。南紀勝浦温泉の開湯が江戸時代であり、南紀湯川温泉が平安の時代(約1500年前)だからどれだけ歴史があるかおわかりであろう。紀伊勝浦駅から大阪方面に1つめに湯川駅があり、その湯川駅から勝浦の方に戻る形で徒歩約5分の所に湯かし潟がある。新宮市出身の詩人佐藤春夫が湯かし潟と命名した。海水と淡水が混ざり合う珍しい汽水湖であり、その湖畔沿いに数件の宿が営まれてきた。僕が観光協会に入社した平成5年当時には、この湯かし潟の入り口付近に湯川温泉ホテルがあり、湯かし潟では、家族連れやアベック(僕も古いね~、カップルの事です)が手こぎのボートに乗っていたりした。また国道を挟んで対面沿いや1本道を入ったところに小さなこじんまりした旅館が数件あった。すべての宿が趣があり良いのだが、特に昭和23年には、当時の皇太子(現天皇陛下)が喜代門旅館(現在のきよもん湯)にお泊まりになった記録があり、皇族の方々もお泊まりになるほどの名湯なのである。
また、温泉地の中に熊野七薬師で有名な湯泉寺もあり、昔から足の病気に霊験あらたかで足の不自由な旅人が湯泉寺に参り、この南紀湯川温泉の湯に浸かり湯治をしたら帰る頃には杖が入らなくなりその杖をこの湯泉寺の本堂に立てかけて帰ったというすごい薬師なのである。南紀湯川温泉、現在は、経営者の高齢化等の理由で旅館は2軒のみの営業となってしまっている。
立ち寄り湯は、きよもん湯はじめ数軒の営業となっている。全盛期とくらべるとさびしいが、なんとかこの名温泉地をもう一度有名にしたいと思っているのは僕だけでないだろう。大きなホテルも良いが、こじんまりした本当に家庭的な旅館でゆっくりと過ごしたいと思われる方はぜひ南紀湯川温泉にお越しいただきたい。そして温泉と共に季節ごとの良さを見せる湯かし潟周辺もぜひ散歩していただけたらと思う。
この話書いてたら南紀湯川温泉のお湯に浸かりたくなってきた。久々に明日でもゆっくり浸かりに行くかな。
第55話終わり
 
 

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