那智勝浦町昔懐かし話 第51話

第51話『さんふらわぁ』
 
皆様、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。さて、昨年のクリスマスイブに第50話を見事(拍手)書き上げ1年を終わりましたが、これで終わりではありませんぞ。今年は100話目指して頑張ります。まだまだ僕の記憶装置にはネタがあるのよ~ん。元旦と言うことで何から書き初めを行うか迷いましたが、元旦と言えば日の出、日の出と言えば太陽、そう「さんふらわぁ」の事を書こうと思ったわけであります。何となく書いているようで、ものすごく計算しているのであります。もう15年くらい前のことになるので中学生くらいの子供さんまではリアルタイムで知らないことになる。このような勝浦の歴史、そして後世に伝えるべき事を書き残す事が僕の使命であると思とる訳であります。100話まで書いたら出来れば製本し形に残したいとも思とります。でわでわ、2017年最初の懐かし話元気良くいってみよう。
 
はい、てなわけで「さんふらわぁ」というフェリーのお話であります。実は今でもたま~にお客様より観光協会にさんふらわぁで勝浦行きたいけどと問い合わせがある。そう、15年前までこの勝浦の沖を「さんふらわぁ くろしお」が運航されていたのである。この「さんふらわぁ」僕のパソコンのアホーで調べると日本高速フェリーが1972年に第1船「さんふらわぁ」を名古屋~高知~鹿児島で就航、そしてすぐに「さんらいず」という第2船を就航するが、すぐに「さんふらわぁ2」と改名。1973年「さんふらわぁ5」「さんふらわぁ8」が東京~那智勝浦(宇久井港)~高知を就航。1974年には、直列2本煙突、収納式アンカーなどの豪華客船風の外観をもつ「さんふらわぁ11」が大阪~鹿児島で就航。のちに上記の5隻は、「さんふらわぁ5姉妹」と呼ばれるようになる。
また、地元のことを書くと5姉妹のひとつ「さんふらわぁ8」が1973年7月4日より東京~那智勝浦 ~高知を就航開始。12,759総トン、全長185m、幅24m来島どっく建造。1990年運航会社がブルーハイウェイラインに移籍したことから「さんふらわぁ とさ」に改名。1997年、「さんふらわぁ くろしお」就航に伴い「さんふらわぁ とさ」は、引退。その後「さんふらわぁ くろしお」が東京~那智勝浦~高知を就航することとなる。9,723総トン、全長160m,幅25m、航海速力22、7ノット。旅客定員530名、車両積載数トラック150台、乗用車70台、三菱重工業下関造船所建造。1997年に就航したが、2001年9月航路廃止により那智勝浦への寄港が終わる。僕も観光協会に入社し何回も東京まで乗船したり、また就航が終わる直前高知、徳島への訪問団に加わり「さんふらわぁ」にて高知県庁や松山城、道後温泉等視察訪問した懐かしき思い出もある。当時の宇久井港の事務所は現在の宇久井海水浴場の先にあり、仮眠室というか休憩場所もあった。最後の就航の時も観光協会はじめ各団体の方々が見送りをした。船旅の別れはまた、独特のものがあり船上から投げられた色々な思いの色々な色の紙テープが岸壁で見送る人々の心と船上の人々の心をつなぐ。そしてそれが船の出港のドラの音により再会という眼にみえない色に染められていく。「さんふらわぁ くろしお」最後の宇久井港寄港の時、船上と岸壁には「さんふらぁ 今までありがとう」「いつまでもわすれへんで~」「宇久井港ありがとう」の声があちらこちらで聞こえた。
 
そして、岸壁を離れた「さんふらわぁ くろしお」から5回ドラの音が鳴り響いた。
それは「あ、り、が、と、う」と宇久井港の岸壁に鳴り響いた。
 
第51話終わり

ここから先は

0字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?