那智勝浦町昔懐かし話第17話

第17話『内田のおやじ 1』
 
このイベントのシリーズを書くにつれ、やはりこの方の事を書かない訳にいかない。そう、内田のおやじこそ内田正年(うちだ せいねん)さんだ。
ご家族のご承諾を頂戴したので、有り難く書かせていただくこととします。
あえて親しみを込めて内田のおやじと呼ばせていただきます。
 
僕と内田のおやじとの出会いは、僕が幼稚園の時ぐらいなので、約50年前ぐらいになる。内田のおやじは、名前が正年。普通は「まさとし」だが、「せいねん」と読む。いつも「俺はいつでも青年の心をもったぁるんや。名前のごとくやで~。」と言っていた。内田のおやじは、東京目黒の出身で勝浦に来て先代の酒屋を継ぐこととなったと言っていた。「俺はシティボーイやぞ」といつも言っていた。確かにおしゃれで身に付けていた物も僕ら田舎坊主にも高いおしゃれな物と分かった。内田商店は、脇入りの真ん中にあり昔からの老舗で家の中になんと温泉がわき出ており近年足湯が流行ってきたときに、その泉源からパイプで店の前の入り江に足湯を造って通りすがりの観光客に自由に足湯を楽しんでもらっていた。内田のおやじは、僕のおとうちゃんも、おじいちゃんも知っていて「吉野とこのおじいちゃんは、テニスがうまて、そこの山縣のおいさんと俺と吉野とこのおじいちゃんとよう試合やったもんや。いつも俺が勝ったけどなぁ~。あははは。」と言ってたけど本当にうまかったのかは定かでない。内田のおやじは、子供が好きでそして、いろんな団体の責任者もやっていた。あの名少年野球クラブ「脇仲少年野球クラブ」僕はキャッチャー、ナカシャは、ファーストも面倒をみていた。(内田のおやじの教え方のせいか、僕らの実力かいつも負けていた。)でもすごく楽しかった。そしてボーイスカウト等子供達の為なら酒屋の仕事もほったらかしで全力でやる、おやじだった。
約15年位前、地元の子供達でシンデレラのミュージカルを体育文化会館で現在公明党で頑張られている浮島とも子さんが責任者(当時ミュージカル劇団の責任者)で行うときもボランティアスタッフの責任者として練習会場の申請や合宿のための宿泊所の手配や食事、風呂の手配等、子供達のために汗を流していた。僕が観光協会に入社してからも「あげいん熊野詣」の実行委員長(内田のおやじは、第1回より携わっていた)、観光協会の理事および監事等勤められていた。いつもおやじは、ポルシェやと言っていたが、若者が乗るスポーツカーで観光協会にやってきた。そしていつもでかい声でしゃべる。うるさいおやじだった。僕も声が大きいので二人で話をしていたら廻りのみんなはさぞかし迷惑だっただろう。僕が入社した時からすでに実行委員長だったので良くあげいん熊野詣について話した。           
                第17話おわり第18話に続く
 

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