53歳の地図

29年のサラリーマン生活から、フリーランスになって3ヶ月が経ちました。

今年のビッグトピックとしては、保護猫を2匹家族に迎えたこと、オリンピック・パラリンピックをリアルにみたことなど、いろいろ個人的にはありました。

とりわけ一番大きな出来事は、29年勤めた会社をやめてフリーランスになったことです。

みなさん「すごいねー」「大きな決断だねー」などと言ってくれました。

特に53になってから退職したことに、勇気ある行動だと声をかけてくれる方が想像以上に多く、逆に驚きました。というのも、ぼくにとってそんなに大きな決断ではなかく、ある意味自然なことだったからです。

振り返ると、自分で言うのもなんですが出世は早かったし、一部上場企業で部長の肩書きも頂きました。上場企業の看板、大きなバジェットと委譲された権限の中で、いろんな挑戦をさせてもらいました。いやー楽しかったですよ。さまざまな刺激的な人にも巡り合いましたし、一緒に仕事をさせてもらっていろいろ学ばせてもらいました。

サラリーマンとして一番脂ののった時期に、本当に楽しく(苦しいことも多くはありましたが。笑)仕事をさせてもらって感謝してます。

(あ、どうでもいいことなんですけど、個人的には「感謝しかありません」という言葉は好きじゃないんです。
「いや、ほかにいろいろあるでしょ!」って思わず突っ込んじゃう。なので極力使いません!笑)

はなしを戻します。

この先は世代交代も進み、役職定年などを迎えていくことになるんですけども、もう自分が会社の役に立てることは少なそうだと感じてました。その状態で定年まで、60歳、65歳まで10年近くまで働き続けるのか。もし定年70歳なんかになったら?

周囲の期待もそうですし、自分自身のモチベーションも維持できそうにないので、会社をやめることはぼくにとって必然でした。好きだった会社を一番良かったときの記憶と共に去る。我ながらロックですね。笑

そしてフリーランスになった理由。
いろいろありますが、一番大きな理由は、それが自分らしいのではないかと思ったからです。

サラリーマンは大好きでした。ただこの先、組織に属することになれば、ぶら下がるような感覚になってしまう気がしたのです。それはごめんだなと。

「心をいつでも輝かしてなきゃいけない」って尾崎くんの曲を何百回と聞いてました。だからお金のために生きることはしたくないなと思ったり。

幸い子どもの教育費などからはある程度解放され、夫婦だけで生きていければよいというラッキーな状況だし。

もう一つは「日常を楽しく」しようと思ったことです。

それはコロナ禍の在宅勤務でインストールされた価値観。それも実現したかった。

これまで近所を散歩なんてほとんどしたことがなかったし、掃除や洗濯などの家事を担い、まいにち家族と食卓を囲って好きな野球チームのLIVE配信を毎試合観るなんて生活は想像してなかったのですが、1年以上続けて楽しかった。

それを手に入れるための選択でもありました。その上、身体と頭が動かなくなるまで好きな仕事を続けられればもう最高です。ひとに決められた定年すらもない。

そしてフリーランスになってどうだったか。元職場の同僚にいろいろ聞かれて、みんなが気にしてることがよくわかってきました。笑

それは次回、2022年の1本目に書いてみようと思います。越年原稿ですw

最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。良いお年をお迎えください!ぼくはいまから年越しそばの出汁をとろうと思います。笑

いただいたサポートは次の創作に役立てます。 これからもどうぞよろしくお願いします。