[V論考] バーチャル蠱毒が見出した2つのタレント、九条林檎と結目ユイ
「最強バーチャルタレントオーディション極」、通称『バーチャル蠱毒』が終わり、勝ち残った5人がデビューして4ヶ月が過ぎた。今回はその5人の中でも特に注目している2人のバーチャルタレントに焦点を当てて、功罪でいうと罪の部分が注目されがちなバーチャル蠱毒における「功」の部分、つまりバーチャル蠱毒は何を生み出したのか?を語るとともに、今回説明する2人の魅力を改めて伝えていきたい。
1人目は、当noteで度々取り上げている九条林檎だ。九条林檎については以前に説明記事を書いたため、詳細が期になる方はそちらを参照していただきたい。
そしてもう1人が結目ユイだ。何をもって人気とするか、活躍とするかという尺度にもよるが、筆者の観点ではこの2人が蠱毒の勝者(Avatar2.0 Project 1期生)の中で中心となる活躍をしている、と考えている。もちろん他のメンバーもオーディションを勝ち抜いただけあって皆魅力的だが、今回はこの2人に焦点を当てて語ることをお許しいただきたい。結目ユイについては最近の動向を含めた適切な紹介記事がなかったので、デビュー当初に書かれた紹介記事のリンクを記載しておく。
初見でもわかるように極力配慮はするが、基本的には九条林檎と結目ユイについてある程度知っていることを前提とする。その上で、最終的にはこの2人をおすすめするための記事であることを了承いただきたい。
また、論旨の都合上、彼女らを様々な側面から評価・比較することになるが、あくまで素人である筆者の主観によるものであること、及び彼女らの魅力の唯一性を否定するものではないことに注意して欲しい。例えば、誰々はこれがあまりよくない、といった類の記述があるが、そのような記述を見たくない者は読まないことをおすすめする。
対照的な2人のタレント
まずは九条林檎と結目ユイ、2人の主要な活動内容を紹介したのち、この2人を対比して彼女らの特徴を浮き彫りにしていくことを試みたい。この2人を語るにあたって筆者が注目したいのは2人の対照的な特徴の数々である。活動内容を簡単にまとめつつ、まずはどのような比較軸があるか見ていこう。
2人とも、主要な配信プラットフォームはShowroomで、情報発信ツールとしてTwitterを使用しているところは共通している。九条林檎は加えてYouTubeチャンネルでの動画投稿も行なっている(結目ユイは最近になって初投稿)。九条林檎は小悪魔Agehaに、結目ユイはPlatinum FLASHにモデルとして掲載されている、という点も共通している。
同じ事務所に所属しているため、活動の領域は類似しているが、その方向性はかなり異なる。簡単に言うと、結目ユイが芸人的な動きが多く、笑える方向のコンテンツが多いのに対し、九条林檎はクリエイター的なコンテンツを作り、感情を動かすようなエンターテイメントを志向している、と筆者は認識している。
Showroomでの配信は、結目ユイが雑談配信中心で、最近は毎回何かしらおもしろ日常トークや推しのバ美肉おじさん(Vtuberの一種。詳しくは筆者の解説記事参照)についての話、リスナーとの会話などがメインとなっている。一方九条林檎はバーチャルキャストを使用した配信が主で、最大10点のトラッキングを生かしてバーチャル3D空間上で動いたり、様々なオブジェクトを使って遊んだり、といった配信が中心だ。雑談も行うが、彼女自身の日常の話は多くなく、自身の出身である魔界の話(彼女は魔界出身の吸血鬼と人間のハイブリッドである)や、リスナーから振られた話題に反応する形で話を展開することが多い。
Twitterでの発信は、告知系を除き結目ユイは日常ツイとネタツイ、バ美肉推しツイがほとんどで、大きくバズったネタツイートもあり、RT数やいいね数、リプライ数も多い。一方九条林檎は日常的なツイートは少なく、美しい文体で綴られる挨拶ツイートとマシュマロ回答が多数を占める。短編動画が多めなのも特徴だ。一方結目ユイは動画の代わりに画像が多い。フォロワー数は現在1万人強とほぼ同じだが、インプレッションは結目ユイの方が多いようだ。そして増加率で見ると、ネタツイのバズやバ美肉推しのツイートの人気により結目ユイの方が圧倒的に直近の増加率が多い、というのが見て取れる。
タレントとしての観点で特徴を主観的に述べると、2人とも対応力という点では高く、生配信慣れ、生配信に向いているということは言える(追っている人には猫舌Showroomでの結目ユイの対応やVRadioトラブル時の九条林檎の対応を思い返して欲しい)。結目ユイは自由な言動が面白いタイプで、番組のゲスト向きである一方、九条林檎は場を回したり企画を整えたりといった動きが得意なためホスト向きというのが個人的な印象だ。
これらの概要を踏まえて、いくつか対比の軸を提示したい。まず、大きく分けて結目ユイが現在のVtuber界隈の文脈と親和的であるのに対し、九条林檎はそうではない、という点。次に、指向性や性格という点での対比。3つ目に、バーチャルタレントとしての生存戦略の違い。そしてそれらの差異がバーチャル蠱毒という場においてどう見出されたかを見つつ、九条林檎と結目ユイの活動のスタンスとこれからを考えていく。次項以降、これらの軸について詳しく説明していこう。
王道を往く:結目ユイ
結目ユイに対する筆者の評価は簡単に言うと「人気になりそう」「ライブ系Vtuberっぽい」だ。筆者の狭い観測範囲内で申し訳ないが(特ににじさんじを見れていない点で認識にズレが大いにありうることは許して欲しい)、主流である女性・ライブ系Vtuberは、「かわいいを基調とし」「トークが面白い・歌がうまい・ゲームがうまい、の一つあるいは複数をスキルとして持ち」「(特に後発組において)なんらかの独特な好きなもの、特技など尖った特徴を持つ」者が人気が出ているという印象を持っている。この観点で、結目ユイはこの条件を十分に満たしているだろうと筆者は考えている。
「かわいいを基調」については、大多数の女性Vに当てはまるが、つまるところ外見と声であり、結目ユイがこの点で魅力的であることに異論はなかろう。「トーク・歌・ゲーム」に関していうと、結目ユイが面白い人物であることはオーディション当初からトークの面白さに定評があることや、ツイッターに投下される数々のネタ要素を含む言動からもわかっていただけるだろう。歌に関しては(公式設定に反して)あまり頻繁に歌わないが、(YuNiなどの)歌系バーチャルと言えるほどではないにしろ十分うまい、といったところだ。ゲームはほとんどプレイを見る機会はないため不明だが、うまいプレイをするタイプではなさそうである。「尖った特徴」としては、(特に女性では)類を見ないほどのバ美肉おじさん限界オタクであることがあげられる。
まとめると、結目ユイは「見た目も声も可愛く」「日常の言動が面白く」「バ美肉おじさん限界オタクムーブが面白い」という理由で、人気が出そうというのが筆者の感想である。デビュー時からVtuber界隈でうまくコラボなどを重ねていけば順当に伸びそうという印象があったが、バ美肉好きが付加され、兎鞠まり、魔王マグロナらとコラボまで行なった今となっては今後より人気が出るのは間違い無いだろう。
その上で、配信者としての立ち回りやリスナーへの配慮などを怠らず、しっかりとした考え・方針の上で活動しているという点がより彼女に対する筆者の評価を高める要因となっている。バ美肉おじさんについても、当初は純粋にファンとして応援したいだけでコラボしたい訳では無いと明言し、売名だと思われないようにアカウントを分けるなどの配慮を行なった上で限界活動をしていた(そのおかげで本当に限界オタクなことが伝わりコラボが実現したのだが)。そのほかの活動についてもネタ発言が多いため分かりにくいがしっかりとした考えの元行われており、「安心して推せる」状態だと言えるだろう。余談だが、本人の放送で活動についての考えを聞くまで、正直そんなにちゃんと考えてると筆者は思ってなかった、というのもまたすごい点である。
総括として、結目ユイはVtuberとして売れる才能を持ち、どう活動していくかの方針と戦略を持って活動しているバーチャルタレントである、と結論づけたい。現状の本人や事務所のリソース不足など、ネックとなる事項もあるが、十分なリソースと本人の意志があれば順当に伸びるだろうと思う。V界隈自体が日の浅い界隈ではあるが、結目ユイが伸びるとしたらその伸び方は王道的なものになるだろう。
策略家:九条林檎
では翻って、九条林檎はどうだろうか。先ほどの基準、「かわいいを基調」「トーク・歌・ゲーム」「尖った特徴」に沿って見ていこう。先に結論を述べたが、九条林檎はこれらの点で、既存のVtuberリスナーと親和性が高いとは言えない、というのがここでの論旨だ。以下、九条林檎について批判的な記述を含むため注意願いたい(また、言及が難しいため、表現が冗長になってしまった)。
まず「かわいいを基調」について。外見は、かわいい系統というよりは美人系統であるが、美麗であることには違いなかろう。問題は声だが、これについては刺さらない人には刺さらないだろう、という評価になる。低めで独特な声質は、本人のキャラクターには合っているものの、Vtuberリスナーの多くが求めているだろう「かわいい」声、あるいはアニメ的な声とは方向性が違うといえる。このことについては、本人がオーディション中にエゴサの結果「声が悪い」と言われているのを何度か目にした、というのを自身の配信で話している。オーディション当時と比較して、現在は発声の向上、配信環境の改善により声はかなり良くなったと思うが(というより、その時の評価の何割かは確実にマイクと通信回線のせいだと思う)、Vtuberに「かわいいキャラクターが話している」ことを求めるリスナーの需要を満たすとは言い難い。
次に「トーク・歌・ゲーム」だ。トークについては、こちらもオーディション時の評判を本人が配信で話したところによると、会話のテンポが悪い、面白くない、といったものがあったようだ。筆者自身はその評判を観測していないこと、また九条林檎が自身の評価に厳しいことは加味する必要があるが、これも要因はある程度推測できる。これも本人の言だが、初期は言葉を選んでいたため会話に間が開くことが多々あったという。デビュー後は配信慣れに伴いそのようなことはほとんどなくなっている。また、面白くない、というのも九条林檎のトークの性質が「笑える面白さ(funny)」というより「興味深い(interesting)」に近いものだからだ。また、話自体は普通の雑談でも人気を博す人もいるが、前述の声、テンポ、音質の影響でそのような好意的な受容は期待できなかったというのも要因だろう。
「歌」については、筆者が言うのも大変申し訳ない気持ちがあるのだが、あまり上手い方ではない、ということには同意せざるを得ない。聞くに耐えないということもないし、下手な訳ではないのだが、確かに配信者として歌を披露する側、特に目に入りやすい有名Vtuberなどと比べてしまうと見劣りしてしまうのは否めない。だが、曲によっては声質と合ってとても良い歌もある。筆者は九条林檎のHOT LIMITなどが大変好きである。合う曲は合うのだ。おそらく曲目を選んだ上で披露すれば平均的に質は上がると思うのだが、本人が歌うのが好きなこともありリクエストなどに答えて様々な曲を歌うため、曲単体で評価すると上記のような評価になることも多い。そのような印象だったため、2/14にアップロードされた 「チョコレイト・ディスコ」歌ってみた では、正直クオリティの高さに驚いた。
「ゲーム」については本人も苦手と言っており、実況も「東京クロノス」体験版(動画#1)くらいであり、ゲーム実況をメインコンテンツとすることは今のところなさそうだ(東京クロノスの実況は面白かった)。
最後に「尖った特徴」について。こちらは明確な強みとして、九条林檎の配信スタンス、上位存在たる吸血鬼であり領主の娘である、統治者としての振る舞いや、自身をコンテンツとしてプロデュースする姿勢などがあげられる。また、オーディション当時に話題となった徹底的なロールプレイ、より適切な言葉を使えば「魔界で吸血鬼と人間のハーフとして生まれた生い立ちを最大限生かす言動」も大きな特徴であり強みだろう。一貫した「弱きものにも平等に寄り添う」姿勢も魅力だ。総じて、(筆者は九条林檎を応援しているので当然ではあるのだが)九条林檎は応援するに足る魅力的な人物であり、大いなる楽しみをくれる優れたコンテンツだ。
しかしながら、そう「しかしながら」、これらの強み、特徴は伝わりにくいのだ。伝わってしまえば、それだけの興味を持って見てくれれば多くの人にとっても魅力的であることを筆者は確信している。だが、他のVtuberが押し出しているようなわかりやすい特徴、例えば結目ユイの限界ムーブをはじめとした面白おかしい言動や、過度の◯◯好き(メンマ好きとか)、楽器や歌などのパフォーマンスのレベルの高さ、といったものと比べると、わかりやすく耳目を引くようなものではない。パッと見では分かりづらいのだ。
だから通りすがりの人間にとって、九条林檎は多くのVtuberが割拠するこの時代においては他と比べて「これといった強みがない」ように見える。そしてそのことは、おそらく九条林檎本人も分かっている。同じ状況で、普通の企業勢として結目ユイと同時にデビューしたら、人気集めという点では10-0で結目ユイが勝つだろう。だからこそこの状況、(今や追いつかれそうなものの)Twitterのフォロワー数でも結目ユイを超えており、Showroomのポイント数でも圧倒的な数値を叩き出しおそらくAvatar2.0内でトップの支持層を持っている現状が、興味深い考察対象になるのである。
詳しくは後述していくが、この状況を生み出したのは九条林檎の戦略とそれが最大限に生きた状況だ。これから先、九条林檎が人気を得ていくかは彼女の取る戦略次第だ。普通に活動していっては、彼女がトップレベルの人気を集めるようなことにはならないだろう。それを覆すために、彼女は作品を生み出し続け、次の一手を考え続けている。九条林檎がこれから「売れる」かどうか賭けろと言われたら、筆者は迷わず「売れる」方に賭ける。きっとオッズは高いだろうが、勝算は十二分にある、そんな美味しい賭けになるだろう。
陰と陽、職人と芸人
前項までで結目ユイと九条林檎の基礎能力についての対比を示した。この節では2人の性質的な対比を見ていこう。
性格についても2人は対照的だ。タイトルにもあるように、陰と陽という対比、そして職人と芸人という対比が2人の方向性の差をよく表しているだろう。陰・職人的な九条林檎と、陽・芸人的な結目ユイ、というのが、大雑把に2人の方向性を掴むのにちょうどいい。もちろん、タレントとして、配信者として活動している以上、ともに人前に立つエンターテイナーであり、作品を届けるクリエイターではあるが、その枠の中でも方向性の違いは大きく出ている。
まず、陰陽について。結目ユイは陰を自称しているが、九条林檎に言わせれば「あれが陰だとは到底思えない」となる。筆者の認識も全くもって同じだ。ここで陰と陽を決めているのは一言で言えば自己肯定感、自分の存在に無条件に価値をおくかどうかだ。
結目ユイは、確かにかつて重度のまどマギオタクであり、今はバ美肉おじさんオタクであるという点では社会全体から見れば陰の側の活動領域に属する(Vtuberも完全に陰側のコンテンツだ)。だから陰を自称するのもわかるが、一方でその奔放な発言、破天荒な振る舞い、明るくそれでいて冷静で安定している言動は自らへの自信、肯定感の現れである様に思う。これでほの暗い過去でもあろうものなら、彼女は名女優と呼ぶほかないだろう。少なくとも結目ユイでいる間、彼女は自身の欲するまま動き、楽しみたい様に楽しみ、その様子がみんなを楽しませる。これが陽の人間でなくてなんというだろうか。
一方の九条林檎は、「光の当たった」陰だ。彼女の自己認識、そして現状認識はともすれば悲観的にすぎるほど現実的であるし、過去の暗いエピソードを配信で零すこともある。仮にも人前で話し、自身をパフォーマンスとして世に出すことを志した者である以上、本当に自己否定の塊のような根暗とまではいかないが、彼女にはそこを見てきたような、そこを乗り越えてきたような気配を言動の裏に感じる。「あるじとして皆を平等に肯定する」「皆の人生の彩りとなる」というスタンスは、過去の自分に向けてのメッセージであり、現在過去の自分のように苦しんでいる者へのメッセージであるように思うのだ。その上で、そうではない人々をも含めて受け止め、楽しませようと全力を尽くすのが九条林檎という人だ。
芸人と職人の対比は陰陽の話ともそのまま繋がっている。結目ユイは日々の生活に面白いことが詰まっているまさに「ネタに恵まれた」人間だ。そして自分や他人をネタにすることを恐れない。「笑われたらどうしよう」と考えるのではなく「笑わせてやろう」と考える。人に嫌われるかも、ということを「必要以上に」考えない。つまり、相手が嫌がるかどうかはしっかり考えた上でいじるならいじるし、嫌がられるならやらない、それをうじうじ考えない。これができる根底にあるのも自己肯定感、つまり陽たる人間のなせる技である。
九条林檎はその点でいくと考えすぎる方だろう。ファン同士のトラブルの種を極力排除しようとし、他のメンバーへの影響を考え、自身の言動や言葉をなるべく選ぶようにする。その上で「やらない」のではなくできることをできる限りに「やる」という部分に、乗り越えてきたものを感じるのだ。そして考えすぎる指向は、そのまま彼女の作り込みへの姿勢とできることの幅広さに繋がっている。無論もともと何かを作り発信するのが好きだったということもあるのだろうが、動画編集やLive2Dモデリング、3Dバーチャルの知識などを広く持っており、技術力という点ではVtuberの中でもかなりあるといえよう。だがそれでさえ彼女に言わせれば「器用貧乏」であり、それは実際にそうなのだから、彼女の認識のシビアさには平伏するばかりである。(実際にそう、というのは、各技術ごとで見ればその道のプロには当然敵わないし、人気のVtuberであればそのプロの力を必要に応じて借りることで全てにおいて高クオリティを実現させる、ということである。その意味でそのレベルで見ると彼女の技術力は役に立たない。)逆にいえば視座が高くクオリティに妥協がない、職人気質的なものを持っているということだ。
このように比較して見ると、2人の対照性はますます際立って見えてこないだろうか。
「かわいい」へのスタンスと唯一性
もう一つだけ、女性バーチャルタレントとして活動する上でおそらく避けて通れない、「かわいい」ということに対するスタンスと、「かわいいだけじゃない」ということについて考えていこう。
外見を自由に設定できるバーチャルの世界において、かわいいというのはある種当然に求められることだ。かわいくなれるのならそれに越したことはないのだから、かわいい、を志向するのは当たり前であり、また実際にほとんどがかわいいのであるから、かわいいだけではないプラスアルファが求められるのがバーチャルの世界だと言えるだろう。
結目ユイは先も述べたように王道だ。かわいいを受け止め、美少女を自称する。その上で人々を楽しませる面白い言動で戦っていく。まさに真っ向勝負といえよう。そしてその結果は徐々に出始めている。
一方の九条林檎は、「かわいい」という土俵で勝負しないことを選んでいる。かわいいという賛辞に対しては「親近感が湧くと言え」と返し、かわいいと言われることをあまり望んでいないようなところが見受けられるが、これはかわいさでは戦わないという戦略だと思っている。より踏み込んで考えれば、九条林檎はかわいいという軸では勝てないと考えている、と思う。代わりに、九条林檎は自身を人間の上位存在と位置づけ、自ら人々のあるじであろうとする。かわいいの代わりに麗しいと自身の美を定義する。かわいいで戦うということは、次々と出てくるかわいいVtuberたちと戦っていくということだ。それに比べて麗しきあるじという立場の人間はそうは出てこない。まして実際に彼女ほどの器を持つ者など言わずもがなである。自身の適性を考えた末の、生き残るための戦略がそこにはあるのだ。
では結目ユイはかわいいで戦っていけるだけの自信家なのか、と言われると、それは多分そうなんだと思う。そもそも負けるということをあまり考えていないという気がするし、自分とファンが楽しければ最終的にはいいだろう、というある種の前向きな割り切りもあるように思う。この辺が、やはり自己肯定感の高さが見えるというか、結目ユイの自信あふれる魅力に繋がっているというあたり、九条林檎とは全く対照的であろう。
バーチャル蠱毒という偶然と必然
さて、最初の問いに戻ろう。「バーチャル蠱毒は何を生み出したのか?」、その答えの一つが、結目ユイと九条林檎という2つの才能を見出したということだ、ということは、これまで語ってきたことである。では、この2人が世に出るためにはバーチャル蠱毒でなければならなかったのか?というのが、最後に問うべきことだろう。バーチャル界隈の一部を騒がせた、蠱毒と呼称されるほどの残酷な形式のオーディションは、2人がデビューするにあたっての、いわば必要悪と言える存在だったのだろうか?
結目ユイに関しては、おそらくNOだ。どちらかと言えば、結目ユイが世に出たのが、たまたまバーチャル蠱毒だった、という理解の方が正しいと思う。先に見てきた通り、結目ユイはかわいさと面白さで戦えるだけの魅力を持っている。どこからデビューしていても、結目ユイはおそらく人気になるだろう。強いていうのならば、当初「オーディションは飲み会のネタのために受けた」「ファンレターは来たら燃やす」と(冗談であれ)言っていた結目ユイが、オーディションの中でファンの応援を受け、また受からなかったオーディション参加者とそのファンの悲しみを目にする中で、バーチャルタレントの活動に真剣に向き合うようになったという点では、蠱毒にも一定の功績はあったのだろう。またデビュー後の運営のある意味でのユルさが、結目ユイの破天荒な動きをより際立たせたという面もある。だが結局、どこで活動するにしろ、最終的にはファンを大事にするし破天荒な動きもするのが結目ユイという人だと思う。
逆に、九条林檎に関しては、バーチャル蠱毒でなければならなかった。単なるかわいさ、声のよさ、トークの面白さでの勝負なら、きっと彼女の魅力が伝わりきらないままに負けていただろう。ただ、彼女の場合はバーチャル蠱毒というワードがバズるのを逃さず、その壺の中に人々を引き込む動きをしたことで注目された人物だ。そして人気のなかったところから圧倒的な1位の座に上りつめ、勝つための方針と戦略を打ち出し、上位存在としての振る舞いと配慮を見せつけながら、実際に勝ち残ったのだ。彼女の場合、表面的な「かわいさ」ではなく、どう動くのか、という視点で人々に注目された。そしてその注目に応えるだけの動きをした(これが、文章で彼女に言及する者が多い理由でもあると思う)。その動きは、ぱっと見では伝わりにくい彼女の魅力を伝え、強力な支持層を得るのに十分なものだった。バーチャル蠱毒というステージと、その偶然のバズと、それを掴んだ九条林檎の手腕がなければ、今の九条林檎が九条林檎として世に出ることはなかっただろう。
さらにはデビュー後の事務所の緩慢とも言える動きも、九条林檎にとっては追い風に働いたように思う。ある程度のことを一人でできてしまう彼女は、他のメンバーに先んじて3Dでの配信を積極的に行い、動画を数多く投稿している。状況によっては器用貧乏で終わっていたかもしれない彼女の技術力は、一人でも素早く動けるという強みとなって、彼女の魅力を際立たせたのだ。
バーチャル蠱毒によって偶然見出された結目ユイという人物と、必然的に生み出された九条林檎という人物が、同期としてデビューし、同じ事務所で活動しているという奇妙な事実に、我々は立ち会っているのである。
「これから」の九条林檎と結目ユイ
デビュー後に今後の活動方針を事務所の人に聞かれた際、結目ユイは「バーチャルタレントの活動は思い出づくりだと思っている」と答えたという。これは一見彼女のいつもの破天荒な振る舞いであるように見えて、実際はとても合理的な回答だ。予算や人員の制約が厳しい中で、今成功しているVtuberに並ぶような人気を得ることはおそらく難しい。事務所が投資をするつもりがないのなら、そこを目指すのであれば必ずどこかで無理が出る。そういう理解のもとで、ファンに無理させることなく楽しんでもらうこと。そして結目ユイ自身が活動を楽しんでいくこと。結目ユイには本業の収入があり、無理をして大きな成功を目指す必然性はないこと。それらを踏まえて、ファンにとっても本人にとっても、無理をしなくて済む楽しい時間を作りたい、それをネタ風味に言葉にしたのが「思い出づくり」なのだと思う。事実結目ユイのファンも本人も(大きな)無理をすることなく人気を伸ばしており、その姿勢はこれからも一貫していくだろう。
一方で、九条林檎の2019年の年初の抱負は「生きる」ことだった。九条林檎はバーチャル蠱毒が終わってもなお生き残りをかけて戦っているのだ。事務所が、バーチャル事業は儲からないと判断して、撤退する。あるいは九条林檎の生活が、バーチャルタレントの収入と副業だけでは立ちいかなくなる。そのどちらかを迎えれば九条林檎というコンテンツは死ぬのだ。この悲観的なまでに現実的な状況の理解はまさしく彼女らしい。その上で、その未来が来る確率を下げるため、九条林檎は精力的に活動している。コンテンツを作り続け、支持基盤を生かして実績を積極的に取りに行き、新規層の取り込みも怠らない。その結末がどうなるかは、まだ誰にも分からない。だがその過程で、九条林檎は様々なエモーショナルを我々に見せてくれるに違いない。彼女の取る行動、判断、戦略の一つひとつ、紡ぐ言葉、語りかけるもの、世に送り出していくもの一つひとつが、九条林檎が生きる物語の重要な構成要素だ。そしてもし彼女の戦いが失敗に終わっても、きっと最後まで微笑んでこう言うだろう。「我の最高にエモーショナルな"終わり"を、ここまで残った貴様には見せてやろう」と。
実のところ、このnoteで文章を書き始めた一つの理由は、この記事で九条林檎について語ったことを書くためだった。これは2月頭にnoteを書き始めて以来思っていたことだ。だが今や、九条林檎というコンテンツはその魅力をますます増して、多くの人にとってもわかりやすいものとなってきている。声や歌については発声の改善によりますます魅力的になっているし、トークについても同様だ。またバーチャルキャストを用いた双方向の3Dならではの配信は、魅力が足りないとしてもそれを補ってあまりある楽しい体験をもたらしてくれる。最近になってTwitterに投稿された短編動画は、コミカルで初見の人間の興味を誘うのに十分な面白さだ。
さらに最近結目ユイが注目を集めるようになって、また筆者がこの2人の対照性に着目したことで、このような形での記事にまとまった。これまでの彼女たちの軌跡を振り返る意味でも、平成のうちに書くことができてよかったように思う。令和の時代の我々がこの記事を読み返した時に、結目ユイについては「この記事のいう通りになったな」と、そして九条林檎については「そんな時代もあったんだな」となることを、筆者は願っている。
(蛇足)Vtuberを作品として批評するということ
作品に対してネガティブに言及することは、どのような作品に対してさえ慎重であるべきだが、ことVtuberに対しては生身の人間に対するのと近い配慮が求められる(理由は以前書いた)。ただし、九条林檎に対しては、「我はコンテンツだ、好きなように消費しろ」との本人の言もあり、あえて作品として扱い他と比較したネガティブな記述も行った。九条林檎本人およびそのファンに対しては、あまり良い心持ちにならない記述もあったかと思うが、同じく彼女を応援する者の一人として、最大限の配慮の元、必要だと判断して筆者はこれを書いている。もしそんなことはない、と思うなら、ぜひあなたの思う九条林檎の魅力を聞かせてほしい。
結目ユイ
Twitter:https://twitter.com/musubimeyui
YouTube:https://www.youtube.com/channel/UC8oLBzcFC-aXPd0q-WuGWSw
SHOWROOM:https://www.showroom-live.com/yui-010
九条林檎
Twitter:https://twitter.com/ringo_0_0_5
YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCf57-IJn5mUJDyqd9uNEmrg
SHOWROOM:https://www.showroom-live.com/ringo-005
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