見知らぬ猫を看取った話
先日、自宅に迷い込んできた弱った猫を看取りました。
自分にとっては、今まで体験したことがないほどの大きな人生イベントになりましたので、その顛末を通して思ったことを書きます。
出来事
・3月4日(月)午前11時45分
家の軒先に瘦せ細った猫が現れました。よろよろで今にも倒れそうでした。
今となっては冷静に考えれば違う判断もできたのかなと思うのですが、ペットというペットを飼った経験もなく、初めての体験だったので、「これはすぐに動物病院に連れて行かなければならない」と思いました。
すぐに保護を行いました。僕は何をすればいいのかさっぱりわからなくてあたふたしていましたが、妻が猫に慣れていたことから、とても反応が早く、隣の家から猫用のキャリアと餌を借りてきて、家の中におびき入れました。
弱っているからか、そのまま捕まえると逃げることもなく、おとなしくキャリアに入ったので、お昼を過ぎるのでお昼時間でも診察している動物病院を探し、すぐちかくの動物病院だったので急いで車に乗せて向かいました。
一通り検査すると、絶望的な状況でした。腎臓が末期、脱水、栄養失調、そして猫エイズ感染だけではなく発症していました。1歳半くらいの成猫なのに体重は2.3キロしかありませんでした。
今回助かったとしても先は短いことを告げられ、飼育するかと聞かれたのですが、そのままにしておくことは考えていなかったので即答で飼うと伝えました。
今考えると、考えがあったわけではなく、そのほかの選択肢があるということは全く知らず、保護したのだから飼育の責任があるとしか知らなかったので即決したのです。
もちろんこの時点で家には猫を飼う環境がないので、ホームセンターで飼育に必要なものと当面の餌を買い込みました。
家に帰ってきて、すぐに大家さんに報告。僕の家はペット禁止契約なので、許可をもらうことも後からになりました。
冷静に今後のことを考えると、何も先の見通しがなかったので、最悪の場合のことも考えました。万が一、何かの理由で飼えなくなったり責任を負えなくなったりしたときは、僕の判断で安楽死というのも頭の片隅にありました。それを後から考えなければならないほどの状況でした。
実際に世話してみると、とても人懐っこく、警戒心はゼロでした。
まずはこの一晩でおしっこが出るかどうかが運命の分かれ目でしたが、夜に出たので一安心でした。
その日から3日が峠だとのことだったので猫をケージに入れ、妻と僕でケージのそばで寝ることにしました。
夜中に猫が起きだして、外に出たいアピールで暴れてほとんど寝ることができませんでした。
・3月5日(火)
朝に僕と妻の通院があったので、猫をケージに残したまま1時間弱出かけました。
その日は前日に注射や点滴をしたおかげか、毛並みもよく、元気になったように見えます。
午後に動物病院に行って治療をしてもらいました。
その後は一日中ケージの中で暴れていました。
夜も猫と一緒に寝ました。相変わらず暴れていました。
・3月6日(水)
相変わらず元気に暴れています。
この日は動物病院でまずは3日様子を見てみましょうと言われた3日目です。
見た目はまだまだ痩せていますが、食事もしっかり自分でできていて元気でむしろ暴れているくらいで、期待して回復したのかなと思っていました。
午後に動物病院に連れていくと、いつもの治療を行ってもらっただけだったので、今日が運命の3日目と言われていたので、今後、どうなのかを聞きました。
治療をやめたらそこで悪くなっていくし、でも、治療を続けるのは飼い主の判断と言われてしまいました。この時点でまだ僕自身、飼い主という自覚がなかったことと、テレビなどの情報で保護猫は保護した時点で飼い主の責任が発生するという現実を突きつけられ、とても悩んだまま家に帰りました。
この猫の運命は、飼い主の僕たちが治療をもうやめようと思った時点で決まるということに、とてつもない重圧を感じたのです。
妻ともものすごく話し合いました。
あそこで保護していなければその日のうちになくなる運命を、保護したことによって変えてしまった。保護したことにより、猫エイズが発症していることがわかり、感染してしまうのでそのまま治療した後に外で暮らさせるわけにはいかなくなった。これらは僕たちが判断し僕たちの基準によってやっていること。その中でこの猫に僕と妻ができることと言えば、「暖かいところでできれば安らかに自然に送ってあげること」かと思いました。
自然に送るという意味は、治療をやめることを指しました。できるだけ運命のままに、と。しかしそれは治療をしない言い訳かもしれない、それは否定できないとも思いました。
この日からケージの中に入れることをやめました。ダニ、ノミの薬が効いているとのことだったので。
部屋を閉め切り、ケージの外に出すと、ずっとうろうろして鳴いていました。どうやらケージから出たいのではなく、外に出たいということのようです。しかしそれは無理なので申し訳ないと思いました。
夜は、もしかしたら近くに人間がいることで暴れるのかと思い、夜は猫だけにしました。一晩中鳴き声はしていました。
・3月7日(木)
一日中元気でした。相変わらす外に出たいアピールが止まりません。抱っこすると落ち着いて寝るので妻がほとんどの時間、抱っこしていました。
午前中に行政の手続きが必要かもと思い立ち、警察署と仙台市動物管理センターに連絡をしました。万が一、前の飼い主が現れたときの手続きをしました。
夕方に今までの寝不足から、猫を含めて3人でいつの間にか寝てしまい、僕が起きたら妻と猫が並んで寝ていました。この時間は、とても幸せな時間だと感じました。とても印象深く覚えています。
・3月8日(金)
日に日に元気になっているように見えました。
夜はケージの中が寒くなっているかもと思い、妻の布団で寝ました。
何度も起きて歩き回ってしまい、その都度布団に戻すのが大変でした。
・3月9日(土)
この日もうるさく暴れまわって外に出せと言ってきました。仕方なく籠に入れて近所の公園まで行ってみて、初めはおとなしかったのですが、家に帰ってくるころにはずっと泣き始めました。
この日より、水とご飯を食べなくなったので、やはり心配になってたまらなくなり、夕方に空いている動物病院を探して行きました。
体重も2キロちょっとと減っていて、やはり弱っていることが原因だということでした。
2日間治療しなかったことで病気が進行してしまったそうです。とても詳しく説明してもらい、その中で「水分を補給すれば少しは楽に過ごせる」と言われたので、具体的に水分を取らせるために治療するということを考えることができました。これを決めることができたのは、僕にとってとても精神的に助かることでした。
食事と水は注射器であげることにしました。
食事のときはバスタオルにくるみ、ペットシートでエプロンを作り、妻がだっこして、僕が注射器で餌をあげるということをしました。
・3月10日(日)
数日前まで、あれだけ元気だったのに、歩くことも鳴くこともしなくなりました。
昨日行った動物病院は日曜日も午前中が開いているので治療に行きました。今一番大事でとにかく保温と水分ということでした。
ブランケットに包みストーブの前で寝せていました。
今考えるともっともっとドライヤーなどで体温を上げる方法もあったのですが、そこまでしなかったのが悔やまれます。
・3月11日(月)
この日で保護から一週間です。
朝より元気になり、歩いて自分で水を飲むようになりました。
餌は食べないので強制給餌していました。
午後から病院に行き、水分と栄養と体温保持のドライヤーをしてもらいました。
体重は1.84キロでした。
夜は今までは妻と一緒に寝ていましたが、この日だけは僕の布団で寝ました。
・3月12日(火)
歩くのが難しくなってきています。
ブランケットの中のホッカイロを増量し、動き回るのですがその都度暖かくしなおしました。
午後から病院に行きました。先生から長くないことが告げられました。
そして、こちらの動物病院が水曜日が定休日ということに気付きました。だから翌々日の午前中までなんとか持たせて、病院に来ようと思っていました。
・3月13日(水)
少しでもストレスをなくそうと思い、もう動けなくなったこともあり、家の縁側に出してみました。とても穏やかな表情をしていました。
その夜、22時35分に旅立ちました。
最後に少し苦しませてしまったので、申し訳ない気持ちになりました。
精一杯やったとはいえ、反省すべきところもたくさんあって悔しかったです。
・3月14日(木)
朝、目が空いていました。とてもきれいなエメラルドグリーンでした。動物病院の空く時間にあわせて点滴の管を抜いてもらいに行ったのですが、その時には閉じてしまっていたので、僕と妻だけに見せてくれたのかなと思いました。
その後、火葬の手続きをしたのですが、火葬が予約でいっぱいで4日待たなくてならず、逆にその間はまだ一緒にいれると思ってしまいました。
4日分のドライアイスを売っているところを探して買ってきました。
・3月18日(月)
火葬しました。これで一区切りしました。
この時、今まで感じたことのないやりがいを感じました。
時間もお金も精神的なものもたくさん使うのですぐにはできませんが、またこのような状況の猫の看取りをしたいなとも思いました。
提言
時系列に出来事と思ったことを書きましたが、これは感動してほしいのではなく、ひとつの問題提起をしたいと思って書いたものです。
あなたの家の前で、瀕死の猫が倒れていたらどうしますか?
保護したら保護責任が発生します。飼育できない場合はしかるべきところに連絡し判断を仰ぎます。下手に動物病院に連れていこうものなら、上記のようなお金、手間、時間を使う責任が発生するのです。
また、しかるべきところに連絡すると、実際はどうなのかはわかりませんが、保護猫のことが書いてあるWebページには「殺処分になるので、できるだけ命を救ってください」と書いてあるページさえ存在します。しかもそのページは一般の保護団体ではなくある自治体の公式のWebサイトです。
これは私たちに一つの命の選択を迫るものです。
確かに限界はあるので、殺処分というのは致し方ないのですが、それがまだ普通に起きているという現状があるということ、セーフィティネットが全く足りていないということを皆さんに知っておいてほしいのです。
行政には保護猫を受け入れる施設を増やしてほしいし、運営にお金がかかるなら入場料を取って保護猫カフェのようなビジネススタイルも考えられるはずです。
今回、かなりなお金がかかりました。昨年はまあなんとか出せる範囲のお金を稼ぐことができていたのでできた話です。これがコロナ過だったら絶対に無理でした。そのことから、動物を保護したら保護したなりの補助や免税の制度が必要だと思います。一般の市民の力も絶対必要だと思いますが、そういったところを応援してもらえなければ、協力したくてもできないと思います。
今回、私の家の敷地内に弱った今にも倒れそうな猫が現れたのは事実なのです。
そのとき、どうすることが正解なのでしょうか。
保護してそれなりに責任をとり負担をしますか?
ほおっておいて死ぬのを待ちますか?
しかるべきところに連絡して殺処分させるという選択をしますか?
それをぜひ力のある方に考えてほしいのです。
もちろん、猫を捨てる、増やす、逃げられる環境で育てるといったことをなくすのが正しい道です。
しかし、その正しい道を守れない軽く考えるといった人も世の中にいてしまいます。今回、命を軽んずる行為は決して許せないと思いました。
でも今の社会はそれが起きてしまうのです。
まだ完全ではない社会には、それに対処する仕組みも必要です。
やりがいがあったならいいじゃない
で簡単に終わらせるような話にするのも許せないです。それをお伝えしたくて、この文章を書きました。やりがいはありますけど、だからといって簡単にできる話ではないです。
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