証言



東京からすでに6日も過ごしてしまった。
その間に何か成したかといえば、履き慣れない靴で燥いだ挙句の親指を摩っていたことくらいだろうか。上記の時間が過ぎたのにまだ痛い。足の末梢神経は死んでしまったのだろうk

いやいいとして


花譜の話は基本的にTwitterでは呟かないようにしている。
凝り固まった視界で観る自分の彼女像ほど醜いものはなく、それを語らえば自然と人が離れていくことを学んだゆえにそうしていた。
例えばそれは、「彼女がミステリアスで、だけど普遍的な少女でなければならない」とか、「彼女の楽曲はカンザキイオリとかいうイカれた青年によるものでしか輝けない」とか、或いは「僕らの現実には存在し得ないだけの人智を超えた実力をもつ人間」だとか、ものはいいようだ。


花譜という少女に才能はない
かといって彼女を成すソレが実力であるとも思わない。
あの桜色の少女は、自身が持っていた声を武器に、周囲の人間、主に大人に囲まれて感化されてその力を蓄えつなげてきたに過ぎない。そういうものだと勝手に常々思っていた。


「かわいい」だとか「てぇてぇ」とか、女の子なんだから当然だろうとも考えていた。そんなものに彼女の実像が縛られるのをよしとするタイムラインにも心底飽き飽きしていた。今も度が過ぎてるなって思う人はいるけど。


なんだか長々と書いてしまったけれど、このnoteの本性は、「あのライブを目撃して、少しその何かが変わった」という、他となんら変わらない一つの証言である。
なので、ここでブラウザバックした方が時間を有意義に使えるのかなあ、とか思ったりする。五分あったらカップ麺が作れるし、三十分あれば青チャートの大問一つくらい終わらせられるし、2時間強もあればこのくらいの長さの文章が書ける。時間は有意義n(ry



・いつだって彼女は手鏡だった・



筆者が生まれ落ちてから、時代は18年もすすんでしまった。この世界で持久走が一番強いのは明らかに時間だろうなって思う。
18年、つまり、自分は花譜と(学年が違うために)期間限定の同い年である。
同じ年代の人間だからこそ、大人や今の中学生と感じるものも差異が生まれているものだ。

もちろん、少年少女が抱える悩みとか問題とか、そういうものにフォーカスを当てて考えたりすることもできる。
筆者は(一応)創作者をしている身でもあるから、そういうところで比較することもできる。自分は勇気がなくて隠れて投稿しているけど。

その分、花譜には勇気があったと思う。創作の中でも、歌というのは匿名性に欠けるものだからだ。小説もイラストも音楽も、文字や色彩、音というフィルター越しに自分を隠して行えるもの。歌声は加工しない限りいつまで経っても生身だ。
当時の少女花譜が下した決断については今言及しないが、そこで初めての意思を世界に見せつけた彼女の過去はきっと偉大なものだ。


少し本題に戻すと、このライブでは、今まで本当に観ることが叶わなかった『花譜の』というものがあった。
幼いから、若いから、少し苦しいことがあれば泣いても問題はなかったのに、彼女はそれをしなかった。
彼女は優しくて強い女の子なんだろう。だからこそ外的要因など、受動態で持ったものでは決して涙を見せることを許さなかったのだろう、とも考える。
ではなぜ花譜はあの大きな舞台の上、大勢がいる前で声を歪ませてしまったのか。

それは、花譜が初めて自分を演じきれなかったからだ。

カンザキイオリの紡いだ作品に音を乗せているうちは、彼女は「彼女を演じている」に過ぎなかった。それがいずれ本当の彼女になろうと。
だからこそ、裏表ガールという曲の劇中でも「私だけど私じゃないんだ」なんて言葉が発せられたのだろう。

ご存知の通り、今回でようやく花譜は自分から歌を創る側に足を踏み入れた。
これまたご存知の通り、今までシングルの中で詩を書いたりしていたものの、歌を作るまでは行われていなかった。

今回初披露となった「マイディア」では、我々観測者や花譜を応援する人々に向けて花譜の想いを綴るように歌っていた。
そしてその後のMCでもそのことを吐露していた。
花譜はそこで、偽りのない自分のことを話せたのだろう。

本当に強く優しい者にとって、涙とはアウトプットである。
幼い頃から感受してきた感情を以て自分を表示するときにこそ、人は心を堰き止めずに何かを話せるようになる。
花譜にとって、あの日武道館にいた21時位のあの瞬間がそのときだった。


なんでこんなことを書いたかというと、ここからの自分語りをそれっぽくするためである。
簡潔に言うと、自分もそんなことがあったからだ。しかもライブ直前と直後で一回ずつ。
しばらくぶりに自分のことで涙を流した経験をして、今回のnoteを書こうということになってしまった。
自分が強いとか優しいとかは全然思わないけど、親に言われたのでそうということと仮定しておく。自惚れ甚だしいやつみたいでちょっとおもろい

周囲の大人に疑問を投げかけられ、それに対する”自分なりの解答”を迫られる。それに対して自分が本当に思っていることを噤んで妥協案を提出する。
それが現代の若者に見られがちな部分で、弱いところと言われてしまう部分。
「全員が全員で綺麗に幸せに物事を進められた方がいい」という考えは優しく見えるが、その言葉を受け取った相手の感情を先取りして感じてしまう畏怖によるものでもある。

その姿と涙は違っていた。
国の制度によって以前より想定外の距離を近づいた成人の門を僕らはくぐった。
そしてより大人に近づいたこの場所で、今度は受け取ってきたものを実践していく立場に移り変わった。
実践して、失敗して、己の実力や無力、現実出し得る全体を受け入れて、咀嚼し、理解し、納得したときようやくあの三原色の瞳が光を持つようになったということ。
実際、「自分勝手になってないかな、自己満足になってないかな」と歌った少女は、「ここから先は僕らのものだ」に変わった。
こういう変化や成長は身近にあるものほど気が付きにくいもので、恥ずかしながら自分はライブ当日に気付けなかった。

他人ではなく自分を語れるようになったときに、ようやく何かを話せるようになる。
それがわかったとき、スマホの画面という小さな世界が、手鏡に見えた。
というだけだ。


そういえば、コメント欄の伝統芸に「共感した」とある。
あの感覚が少しわかったような気がする。



・わからないものほど恐ろしい・



花譜が歌い、話したように、僕らと同じ年代の少年少女は同じような悩みを抱えて生きていくのだろう。
正直こんな世界の未来なんて想像もつかない。大人が想像できてないんだから子供が想像つくはずもないと言えば終いだが。
流行り病も、戦争も、これから何が起こるか知れたものではない。もしかしたら次は異常気象かもしれないし、大災害かもしれない。
メディアのような世界観で言うなら、氷河期やら南海トラフやらだってすぐ側に訪れるかもしれない。連絡も寄越してくれないからメリーさんよりたちが悪い。

感情も環境も何もわからないまま大人になっていく、大人になることがゴールではない。
大人になってから倍以上のことを学んでいくのだろう。

花譜もその渦に呑まれている。もしかしたら、一つ波の向こうを覗けば、息もできずにもがいている彼女がいるかもしれない。
そのくらい周りも見渡せないほど暗闇にいる。そんな世界で顔を失ってしまったものだから、絶望に陥るのも無理ない。

バーチャルシンガーソングライターになりゆく彼女はそういうことも書いていくのだろう。
それが自分は少し怖い。
先の空を泳いでいく彼女の姿はいつだってそこにあってすぐに見れるものだ。
彼女は一歩先、本当に一歩先で、だけど絶対に現実では観測できないその姿で、そのわけのわからないものに答えを見出し前に進んでいってしまうだろう。
だからこそ、怖い。

ついていけるだろうかとか、追いつけるだろうかとか、できるはずもないことに不安を抱いている。

だけどこうとも思う。
不安を抱くのは、それが誰かと一緒に生きたいからであること、誰も傷つけないように生きたいからであること。
不安を抱かず前に突き進めることは、誰かに傷をつけられるだけの横暴さを持っていること。

感情のアウトプットも、言ってしまえばわけのわからないものの一つ。
それを恐れず出来るようになれば、僕や彼女だけでなく、同じ時代を生きている若い人たちも一つ先に歩みを進められるような気がしてならない。


なんだか、話の時系列が混ざってしまったな。




・結局、何が言いたかったのだろう・




いかがでs すまんかった

気分で書きたいことを書き始めてしまい、纏まりのない文章になってしまった。
そんな文章を世に出して、誰かの時間を奪ってしまったことに深く謝罪がしたい。いやしたか。

花譜のライブを見て自分のことも考える期間がタイミングよく訪れてしまったから、つい書きなぐってしまった。
だが、上記の全ては、amazarashiやらカンザキイオリやらGuianoやらヨルシカやら花譜やらが既に解明していることで、今更この高校生が書く必要はまったくない。

だが、(彼女は大学生だけど)同い年の女の子があの腕では測りきれないほど大きい箱に立って、自分を表し始めたのだから、同じ若者がそれをなぞったりしても問題はない。漢字もなぞらなければ覚えられない。鬱 とか。

自分も何かを成し遂げる気にはなってきた。実際、既に一つ(一ヶ月毎日絵を投稿すること)を成し遂げてみて見えるものも得られた。
それがいいことか悪いことか、そんなことは今考えなくていい。そんなもの後から意味がついてくる。って誰かが言ってた。


こんな世界に生まれたからこそ、強さと優しさについて今一度考える機会に恵まれたのだなと。
そんな機会は掴んでおきたい。




・本人に伝えたいことがあるとすれば………・


花譜ちゃん、僕はあなたに救われていません。
ただ変えられてしまっただけ。
これからも救われるつもりはないし、救えるようになる確信もない。

でもいつか、先輩って呼べたらいいな。





《キモいなぁ最後。ほんとうに。     了》




追記

昔書いたゴミみたいな文章よりかはだいぶまともになったんかなぁ。

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