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【柳下さん死なないで】「わからなさ」から生まれる物語

『柳下さん死なないで』の連載を、次回で終えることにした。
次回は3月4日、柳下さんの誕生日だ。


このブログを書き始めたのは、2017年のこと。
柳下さんが編集についてくれて、作品をつくり始めた年だ。

どうして書き始めたのかというと、柳下さんのことがよくわからなかったから。
わたしはよくわからないものを見ると文章にして書きたくなる。
その感覚は「恐怖」と少し近い。柳下さんは怖い人ではないけれど柳下さんの「わからなさ」が怖い。それは、世界は怖いところではないけれど世界の「わからなさ」が怖い、ということと同じだ。
わたしは世界の「わからなさ」、人間の「わからなさ」が怖くて、その怖さを払拭するために文章を書いてきたように思う。


作家・小川洋子さんと臨床心理学者・河合隼雄さんの対談集で『生きるとは、自分の物語をつくること』という本がある。とてもおもしろい本なのだけど、その中で小川さんがこんなことをおっしゃっている。

「人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。小説で一人の人間を表現しようとするとき、作家は、その人がそれまで積み重ねてきた記憶を、言葉の形、お話の形で取り出して、再確認するために書いているという気がします。
臨床心理のお仕事は、自分なりの物語を作れない人を、作れるように手助けすることだというふうに私は思っています。そして、小説家が書けなくなった時に、どうしたら書けるのかともだえ苦しむのと、人が『どうやって生きていったらいいのかわからない』と言って苦しむのとは、どこかで通じ合うものがあるのかなと思うのですが、いかがでしょうか」

それに対し河合さんは「私の考えていることとすごく一致しています」と返す。


この対話を読んでわたしは、自分がなぜずっと「わからなさ」を持つ対象を書くのかがわかった気がした。わたしは現実の受け入れ方がわからなくて、それをどうにかしたくて、自分の心の形に合うように「物語」にしてきたのだ。
それでやっと、現実を受け入れることができる。世界と対等になることができる。
わたしが『柳下さん死なないで』でやってきたことも、そういうことだったのだと思う。


わたしは柳下さんを、自分の心の形に合うように物語化していた。
だから柳下さんは、わたしのこの「物語」を読んだとき、
「『柳下さん死なないで』は僕のことを書いているんじゃなくて、君自身のことを書いているね」
と言った。「だって僕はこんな変な奴じゃないもの」と。
なるほど確かに、わたしが物語化した柳下さんは、本当の柳下さんではない。
でも、本当の世界なんて、本当の柳下さんなんて、存在しないんじゃないか。
みんなの「物語」が結集して、モザイクみたいになっているのが、いわゆる「本当の世界」であり「本当の柳下さん」なんじゃないだろうか。
そう考えると、この『柳下さん死なないで』で書いた柳下さんは、やっぱり「本当の柳下さん」の一部ではあったように思う。


わたしがこの連載を終わりにしよう、と思ったのは、京都市の常盤というところを取材で訪れたときだった。

この土地には初めて訪れたはずなのに、どうも来たことがあるような気がしてしかたなかった。不思議に思いながら歩いていると、あるラーメン屋さんが目の前に現れて、わたしは「あっ」と思わず声をあげた。定休日であるその店の中を覗き込みながら、すごく懐かしい気持ちになり、既視感があることに納得がいった。
そこは3年前、わたしと柳下さんが初めて小説の打ち合わせをした場所だった。そのときは車で来たので、そこがどこなのか土地勘がつかめていなかったのだ。

柳下さんはラーメン屋で、煮卵をトッピングしていた。わたしは普段ほとんどラーメン屋さんに行かないので、「そういうことができるのか」と思って「いいですね」と思わず言った。柳下さんは煮卵を箸できれいに半分に割り、わたしの器に入れてくれた。

わたしたちはラーメンを食べながら「こんな小説にしよう」という話をした。それから二年以上が経ってできあがったのが、『戦争と五人の女』だ。

そのラーメン屋さんがなんていう名前だったかなんて、このときまで全然思い出さなかった。奇しくも『戦争と五人の女』の装幀をしてくれた男性と同じ「太郎」という店名で、「なんだか運命的だな」と思った。
あの頃は、自分がどんな作品をつくり、どんな本を出すのかなんて、全然わからなかった。
柳下さんがどんな人かってことも、全然わからなかった。

あのとき取り掛かった小説が世に出て、今またここに戻ってきたのがすごく不思議だった。
ラーメン太郎の前に突っ立ったまま「『柳下さん死なないで』をそろそろ終わりにしよう」と思った。


わたしはずっと柳下さんのことが怖かった。よくわからなくて、その「わからなさ」が怖かった。それをどうにかしたくて、柳下さんと対等になりたくて、『柳下さん死なないで』を書き続けてきた。
でも、この怖さにとらわれている限り、わたしは前よりも良い作品を書けないような気がした。
そろそろ変わらなくてはいけないなと思った。柳下さんは編集者であり、わたしは作家だ。付き合いが長くなるほどに、その関係性に「わからなさ」という恐怖は必要ないと思うようになった。そう思うようになってやっと、喧嘩だってできた。

世界側に編集者がいるのではなく、作家と編集者の向かい側に世界があるべきなのではないか。
それが『柳下さん死なないで』を終わりにしようと思った理由だった。


定期的に自分のことがブログに書かれる、なんてことを許してくれた、柳下さんはすごいなと思う。「君の文章が読めるなら」と言ってくれていたけれど、しんどい思いもあったのではないか。そんな様子を微塵も感じさせずに自由に書かせてくれたことを、心から感謝をしている。

この連載をきっかけに知り合えた方もいるし、「いつも読んでいます」と話しかけてくださる方もたくさんいらっしゃった。読んでいただけてとても嬉しかった。読者のみなさんにも、心から感謝を。

あともうひと記事、お付き合いください。

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