2020/12/31(水)

顔を洗い、子供たちのリクエストに答えホットケーキを作り、洗濯物を干すなどしてから、朝10時に近所のカフェへ行くと、大晦日にも関わらずかなり混んでいた。端っこの方に座って、パソコンを広げる。店主が「サイズ間違えてしまいました」と、ラージサイズのコーヒーを持ってきてくれた。サービスだというので、ありがたく受け取る。

年明け早々に締め切りのエッセイを一本書き終える。このエッセイはそのまま来年の抱負になりそうだ。原稿の中で、龍安寺のつくばいに刻まれた「吾唯知足(われただしるをたる)」という言葉について触れた。自分の中にある泉のようなものを、きちんと管理し養うことを忘れないでいようと思う。資源や安心や確信は外側にあるのではなく、内側にあるのだから。足るを知るってそういうことだと、改めて解釈する。

帰ってから掃除をし、子供たちが「どこかへ行きたい」というので、ホームセンターで息子の絵の具の補充をしたり、しめ飾りを玄関のドアにかけるフックなどを購入したあと、今朝行ったのとは別の方向にある喫茶店へ行き、パフェを食べた。マシュマロはアイスの中に埋もれるとなんの食べ物なのか一瞬わからないな、パフェってこんなにアイスが多かったろうかと感じるのは年だろうか、などといろいろ考えながら子供たちと完食した。

いつも年の始めには一年の抱負を立てるのだが、2020年の抱負の振り返りをし、「結構できてるじゃん、えらいな」などとひとりごち、それから2021年の抱負について考えた。こうありたい、というのが言葉になると安心する。抱負にあげられた言葉は、一年を見守る、あるいはこちらから見上げる灯台だ。お守りのような火。

年が変わっても自分が変わるわけではない。生活は続く。ただ、人生という道の中で出会う美しいものや人たちを、ちゃんと美しいと感じ、書き残せるよう、常に新しい自分でありたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?