私は無力です、ごめんなさい、もう死にます。

ふと時計に目をやると三時を過ぎている。
最近こういうことがよくある。
考え事をしていたような、何も考えていなかったような。何かしていたような、何もしていなかったような。高校生の頃はこんな風に夜更かしをしても不思議と7時には起きられた。
もちろん目覚まし時計は使っていたが、それが鳴るのと同時か、調子のいい時はその少し前に起きられた事もあった。
深夜ともなると携帯の通知は無いし、Twitterも、不健康な知り合いの「寝れん」という呟きに無視をするくらいしかやることが無い。
こんな夜に意味もなくブルーライトに向かい続ける私は虫みたいだ。
昨日投稿した自作曲にはいいねが3つ付いたきり、何度指で下に引っ張って更新したって、
その数字が変わることは無い。
さらにその一日前に投稿した絵にはいいねすら付かない。何のためのハッシュタグなんだ。
小さなプライドをへし折ってせっかく付けてやった薄ら寒い文言に今更イライラする。
実はこのイライラが向かってる先が無関心な他人では無いことにはだいぶ前に気づいてしまった。
私は、変わらない私が、変われない私が嫌いなんだ。

「中途半端にチヤホヤされたせいで自分のアイデンティティを芸術に無理やり固定して、 必死で縋っているみたいだけど、パクリみたいな量産型の曲ばかりだよね。コード進行も似たのばっかり。いい加減自惚れから覚めて資格の勉強でもした方がいいんじゃない?」

これは私が知り合いの匿名質問ボックスに送りかけてやめた文章だ。私は、これを書いている途中で、これらが全て自分自身に対するメッセージだと気付いた。
私は私に対する苛立ちを発散するために、友達である彼女に、勝手に自分を重ねて、何もかも知った風に、そして彼女が出来るだけ傷つくようにメッセージを送ろうとした。まるで彼女が私と同じ気持ちでいると決めつけるように。
いや、同じだと思いたかったのかもしれない。
同じ時期にクリエイターとしての活動を始めた彼女が私から離れて行くのが怖かった。嫌だった。
ライバル、という感覚とは違った。
私は、自分より絵も下手で、作る音楽も拙かった彼女を見下すことで安心していたのだ。
そんな脆い、偽物の平穏に身を預け続けて、
私はひたすら努力を怠った。ただそれだけだ。
彼女は向上心を持って必死に勉強して毎日何かしら作っているが、私はまだ大丈夫。そう思って努力をしなかった。こんなことを続けていた私と彼女の差が開いていくのは時間の問題だった。当たり前だ。

「エミちゃん、これどうかな!割とよく出来た気がするんだけど。」

彼女と私はインターネット上での関わりもあったが、それ以前に同じ中学高校に通っていたのもあり、彼女はいつも私を本名で呼んだ。
恵美。これが私の名前だ。
恵まれていて美しい。そんな訳ない。

「今までの練習みたいなやつじゃなくて、ちゃんとボーカルも入れて、動画をつけたら投稿しようかと思うんだけど。」

いつか彼女が投稿前の自信作を聞かせてくれた時、完全に私の中で何かが折れてしまった。
こんな素晴らしいものを自信なさげに披露する態度にも腹が立ってしまった。私への嫌味のようにも受け取れてしまって、そんな自分が嫌だった。

もう私は彼女に敵わない。
曲が二番に入った辺りで、私は、自分のやって来たこと全てが恥ずかしくて堪らなくなった。
作った曲、描いた絵、全て消し去ってしまいたくなった。もっと言うと私ごと消えてしまいたいとさえ思った。悔しさとも違った。そんな爽やかなものではなくて、憎悪に近い感情が芽生えたのを明確に感じた。半分泣き出してしまいそうな気持ちで聞き終えた。正直感想なんて浮かばなかった。
私が感想なんて大層なものを付けられる立場には無いことを痛いほど体感したからだ。
彼女の作った曲は信じられないクオリティで、こんなものが世に出たら大ヒットとまでは行かなくても、相当伸びるだろうなと確信できた。
何よりもキャッチーなのにとてもリアルな歌詞が、今の私の劣等感を、目を背けたくなるほどに深く抉ってきた。

「うーん、いいんじゃない?YOASOBIみたいで」
冷静を装って、捨て台詞のような感想を放った。
精一杯の強がりだった。
私は最低だ。
私の未熟なプライドを保つためのくだらない感想を最後に、彼女と話すことは無くなってしまった。

あれから彼女のフォロワーはみるみる伸びていった。いつか二人で50人突破を祝った事を覚えている。その当時私のアカウントは245人のフォロワーが居て、まだ私の方が上だ。祝っている最中もそんな事を少し考えていた。本当に最低だと思う。
でも今はどうだろう、彼女のフォロワーは9,989人にまで増えて、あと少しで10,000人を突破する。
それでいてフォローしているのはその当時の名残の76人だけだ。対して私は230人フォローしている。こういう細かい部分一つ一つでも、私は彼女にひとつも誇れる場所が無い。完全敗北だ。
皮肉なことに私はその76人の中にまだ残っていた。
程なくして彼女が10,000人突破を報告するツイートには、称賛の声にファンアート、彼女の曲を弾き語りでカバーしたもの、歌ってみた動画を貼り付けるもの、私が欲しい全てが居た。
私はこの期に及んで自分の心を守るために、そっとフォローを外した。彼女のプロフィール画面で一瞬9,999人に減ったが、三秒後には10,003人になっていた。もう私は彼女に嫌がらせすらも出来ない。

もしかしたら500人突破を祝っていたあの日、あのメッセージを本当に送っていたらこの未来は潰せたのかもしれない。でも私はしなかった。
私の全ての劣等感は、彼女の実力が紛れもないホンモノだから強まるわけで、私は彼女の事が憎い一方で、他の有象無象の大したことの無い人間がチヤホヤされているのはもっと許せなかった。
私は彼女に苛立ちを募らせる一方で、勝手に自分のうだつの上がらない人生を背負って貰っていた。
音楽を作っているのならこういうことこそ曲にすればいいと思うけど、どうしたって作れなかった。
何度も作ろうとしたけど、どうも上手く作れなかった。
だからこそ彼女が私にだけ聞かせてくれた、
あの時の投稿前の傑作は希望と絶望、全ての可能性を孕んでいた。結果的に生まれたあの曲は双子で、私にとって希望と絶望の両方だった。
彼女の才能が世の中に認められる毎に、
私はオーディエンスとして自分が変わっていくのを感じた。もう私は最前線で自分の創作物を自信満々に披露するようなメンタルが無くなってしまった。
私には作れない、私とは違う、私に無いもの、それでいて私の事さえ救ってしまうような、そんな曲がこの世にあるのなら。それを彼女が作れるのなら。
もう私は何も作らなくていい。
そもそも誰に頼まれた訳でもない。

私は私の事を特別だと信じたくて、たまたま操作出来たDAWソフトに自分のプライドを全て背負わせていただけだ。他に人には出来なくて私には出来ること。私が唯一尊敬を集められること。
私に「すごいね、エミちゃん。私もなんか作れるかな。でも難しそうだし、ギター弾けないし。」
あんなことを言っていた彼女に、偉そうにアドバイスを与えてみたり、やってみれば簡単だよなんて得意になって言っていた自分を殺したくなる。
彼女が初めて私に聞かせてくれた曲は「エモいシティポップの作り方」という動画のほぼそのまま再現したもので、心底安心したことを覚えている。
その上で「すごい!いいじゃん!でも私、ギターは生音じゃないと聴けないんだよね」なんてプロぶって言ってしまった事も思い出した。
どこまでも嫌なやつだ。
少しづつあらゆるものを吸収して、
Twitterに上がる「LoFi 練習中 part60」みたいな短いDAWソフトのスクリーン録画動画のクオリティが、日を追う事に飛躍的に上がっていくのが恐ろしかった。そんな彼女を認めたくなくて、いじわるなことを言ってしまったことがある。たくさん。

多分あんな歌詞を書くことが出来る彼女の事だから私の嫌味の類も全て理解した上で許してくれていたのだと思う。私はその当時、気づかれていないと思っていた。それに小さな優越感を感じてしまうほど救いようのない私だった。

何となくそんな事を思い出していた。
Twitterのトレンド欄を何となく覗くと彼女の名前があった。過去に1回トレンド入りしたのを見たことがあったが、驚いた。
その時は確かかなり有名な歌い手に曲を書き下ろしたか何かで話題になっていた。
私はプロフィール、設定、プライバシー、ミュートブロックしたアカウント欄を開き、彼女のアカウントを久しぶりに覗いてみることにした。
この手順で彼女と顔を合わせるたび、後ろめたいような、恥ずかしいようなそんな気持ちになる。
自分の情けなさを噛み締めながら直近のツイートを
遡って血の気が引いた。

「私は無力です、ごめんなさい、もう死にます。」

 

パート2

「私は無力です、ごめんなさい、もう死にます。」

たった一行のツイートが凄まじい伸び方をしていた。引用ツイートやリプライでは心配する声や「どうせ死なない」みたいな馬鹿にするようなコメントもあった。
私は嫌な予感がした。
彼女はそういう嘘をついて人に心配させて安心を得るようなタイプでは無い。
曲を作ると言ったら愚直に作り方を検索して真似るくらい素直で、真面目な子だ。
そんなところが好きでも嫌いでもあった。
私は誇張表現無しに6年振りくらいに電話のアプリを開いた。最近は何もかもLINEで完結する。
電話帳の中の彼女の名前を探す。

片桐あいな。
そうだ、彼女は片桐あいな。
トレンド欄の「AIVII自殺」という文字列と、
「片桐あいな」は別人に思えた。
私にとってあいなは「AIVII」では無かったはずだ。
AIにローマ数字の7をくっつけてあいなと読ませる。私は少しそれが気に入らなかった。
私のあいなは「AIVII」では無いし、アイビーでも無い。片桐あいなだ。
迷いなく電話をかけていた。
無機質な発信音が私とあいなを繋ぐ唯一の希望だった。二十秒くらいにも二時間にも思える時間が過ぎて、突然発信音が止んだ。
「もしもし、エミちゃん?」

あいなの声だった。
私は驚きと安堵で少し黙ってしまった。
「ごめんね、驚かせちゃったよね」
私はそんな事はどうでもいいと言って、
ただただ友達が生きていたことに安心して涙が止まらなくなった。
あんなに憎かったあいなの声を聞いて泣いている。
勝手な話だが、私はその声に今までの全てが許されたような気がした。
謝るべきなのは私の方なのに、ごめんねごめんねと言って私を落ち着けようとするあいなの声は私を中学一年生の春に戻してくれた。
私はただ寂しかったんだと分かった。
やっと私は泣き止んで落ち着きを取り戻した。

「久しぶりだね、エミちゃんってまだ実家?」
「そうだよ、あいなは東京?」
「ううん、今色々あって地元に戻ってるからさ、今から会ったり出来ない?いつものファミレス24時間やってるでしょ」
「会ってくれるの?」
「当たり前じゃん、何言ってるの」

私の知っているあいなと少し違うのは、前よりも明るい性格になっているところだった。
けどこれは私が高校の頃、ずっと直せ直せと言っていた部分なので嬉しかった。

「じゃあ、ちょっと支度したら行くね。
えみちゃんだし、すっぴんで行くからすぐだと思う!」

分かったと言って電話を切った。
電話を切ったあとの静寂は、いつもの無音とは違って少しポカポカとしていた。
あいながすっぴんだと言うのなら私も別にこのままでいい。
こんな時間に突然ファミレスに集まるのはいつぶりだろうか、とても懐かしい。
この時間にドアを開けると外は真っ暗で、まだ誰も吸っていない新鮮な冷たい空気で満ちている。
さっきまで空気の粒子が完全に停止していた場所を私が歩くことで水面に雨粒が落ちた時のように、私を中心に波紋が広がるような感覚になる。

私の方がほんの少し早くファミレスに着いた。
「おまたせ」
そういう彼女は随分と垢抜けて、すっぴんながら可愛かった。
垢抜けたね、なんて言いながら店内に入りドリンクバーだけ注文をした。
2人ともホットコーヒーを持ってきて座った。

「いやぁ、エミちゃんの事だからないと思うけど、私が生きてるってバレたら大変だから、ね?」

笑いながら話す彼女はさっきまでの電話越しのあいなでは無かった。
私は今「AIVII」と話している。
さっき忘れたはずの憎しみが一気に私の中に戻ってくるのが分かった。

「もう正直疲れちゃってさ、
なんかバカバカしくなっちゃって。
でもなんか引退します!っていうのもつまんないしさ、自殺して消えたら伝説っぽくて良くない?って思って。」

何もかもを馬鹿にしたような調子で話す彼女を見て確信した。私の友達の「あいな」はもう死んでしまったんだと。
そうすると今目の前で喋っているあいなの見た目をする他人は誰なんだろう。
これ以上喋らないでくれ、頼むから。
さっきの電話越しのやり取りを思い出す。
泣きじゃくる私に謝っていたのは何だったんだ。
私はこんなふざけた態度の「AIVII」のために涙を流していたんじゃない。
親友のためにあれだけ泣いていたんだ。

「馬鹿にしやがって」

「え、エミちゃんどうしたの?」

私は自分でも気づかないうちに
フォークを彼女の首に突き立てていた。

「AIVII 自殺ではなく他殺」
「AIVII 刺殺」
「AIVII 犯人 ボカロP」
「犯人 ボカロP 曲」

皮肉な事にAIVIIを刺した翌日、
私の曲は100万再生を超えた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?