往った年、来た年

2020年の終わりから2021年の頭で、劇壇百羊箱さんの公演フライヤー制作。脚本を手がけるのは、長野に流れ着いた20代後半の女性だそう。演劇のフライヤーを作ったのは学生の時以来だ。裏面の文字情報を組む感じとか、ああ、そうそうこんなだったな、と懐かしかった。

オモテ面の絵は、川を流れていく主人公の様子を描いた。岸辺には、物語の登場人物たち。この絵には、絵巻物の絵のように、時間軸がある。川を流れるというモチーフには、場所の移動とともに時間の経過が想起されることがある。「川の流れのように…」というあの歌みたいに。あるいは、あの歌の存在が川=時間というイメージを私たちの頭の中に確立させたのかもしれない。

人生を「漂流している」という風に捉える感覚は、私の中にも強くあって、ただ私の場合は川より海を流されるイメージだ。地元が海に近かったので川よりも海に慣れ親しんできたし、大学も港に近かったから、そのせいだろうか。

大学のときの、仲の良い友人にそういう話をしたら、「俺は漂流というより、ずっと川の同じ場所に立ってるイメージやな。それで川上から川下へ、今まで会った人たちが横切って、どんどん後ろに流れていくねん」と言っていた。彼は生まれてからずっと関西にいるからというのもあるかもしれない。あるいは、自分の足で立っているという意識がちゃんとあるのかも。確かに、そんな感じがする人だ。

2020年けっこう色々つくりましたね、と一休さんと話した。フリーウェイのポスターも2020年だと言うからびっくりする。もう遠い昔のことのようだ。
モノを作っていると、「おおっ」という瞬間がある。その「おおっ」は、絵とかモノを制作している時に限らず、時どき訪れる。手応え、ということなのか、夜ノ帳社的に言えばドラマ、という言葉の方がいいのか。とにかく2021年は、「おおっ」がいっぱいある年になると良いなと思う。

絵とかモノもそうだけど、それらと同等にやっぱり言葉を、じっくり時間をかけて練り上げる営みも大切にしたい。なんか、そうじゃないと何をしても不安だ。何をやっても、フワフワとしてすぐに飛んでいってしまいそうで、あとから見返しても手応えがないのだ。それには時間が必要だ。今の私には、時間がいちばん貴重なものだ。お金を払ってでも時間が欲しい。川どころか大海原のような、たっぷりひたひたの時間…

miuro

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