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サルコファガス

文章が書けない。書けないったら書けないのである。
文章ならもうなんでも。どこに書くのでも、誰に書くのでも、そう。
LINEの返事から、日記から、大学の今日の23時59分〆切のレポートも、もうなんっっも書けない。
いや書いてるじゃん今、と思うかもしれない、

でも、いや、これは、実は書いてなくって。

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ちゃんと引用元出すのえらい

誰かの歌を聞いたり、詩を読んだり、演奏を聞いたり、踊りを見たりしたときに、たまに、
「あぁ、この人にとっては、この表現が言葉よりも言語として上にあるのだ」
と 思うことがあります。伝わるかな。

一番己を伝えられる、表現できるのは踊りや音楽で。
偶然、そのほうが周りの人に伝わるから、普段は言語を用いている人がいるのです。いるのです? いるように思うのです。

分かりにくいので「第零言語」と名付けます。まぁ一番上ってことだ。

私の第零言語があるとしたら、それは今のところ文章です。

心のうちに溜まったあれこれ、己に突然降ってきたどこかわからない景色や誰のかも知らない言葉。
それらを脳みそを通過させずにまるで己を削って書くような、心や子宮を絞ってインクにして綴るような、そういうように表現できるのは文章だけです。
頭で絞り出すことばよりも、ずっと己の成分が多く、強く、表現として上にある第零言語。

である! 文章が! 書けない! のです! よ! あとシンプルにおなかが痛い。足が冷えました。夏も夜は冷える。
まぁ今は母国語として普通に頭を使って日本語を使っています。頭使ってる文章に見えないなら、それは私が阿呆だからです。

文章が書けません。私は文章を書いているときの、この世に自分が不在である感じがめちゃめちゃ好きなんですが、今ずっと書けないおかげでこの世に居続けないといけないので苦痛です。

文章が書けないので美しいまとめもできません。いや醜くてもいいんです。
うん、成り立ってるまとめができません。

『みなさんの第零言語はなんですか?』とかめっちゃそれっぽくないですか? なんですか? ん?(普通に気になるので教えてください)

ちなみにこの文章にサルコファガスは一切関係ありません。でもエジプト古代遺跡はいつか見に行きたいです。ヒエログリフも読みたいです。なんか知らんけどヒエログリフ、パンを現してる形多いですよね。

あそんでみてください ↓


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