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判じ物

歯磨きをして歯ブラシを洗うときに、私は大体祖父のことを考えている。

それは意識というよりもうほぼ習慣と化していて、でも特別にそれを他の時間、歯ブラシを洗っていない時間に思い出すことはなかった。

ただちょっとnoteに日記書きたいな〜〜とふと思って書いてみているのだけど、いくら口をゆすいでも残る歯磨き粉の雰囲気にちょっと流されてしまって、その習慣を思い出した。

ここで言う祖父というのは母方の祖父のことだが、かなり前に亡くなっている。脳梗塞だった。

祖父は脳梗塞で二回病院に運ばれた。一度目は歩けるほどに軽度だったが、二度目は言葉がうまく喋れなくなり、入院生活をしていた。

「か」とか「こ」しか喋れなくなった祖父は、何か言いたいことがある時は身振り手振りや、「こここ、ここここ」と何かを喋ろうとすることが多かった。

私たち家族はそれを聞いて、何を言っているか判断しようと毎回懸命なのだけど、伝わらないこともあって、そんな時祖父は泣いた。顔をくしゃりと歪めて泣いた。

もう喋れなくなった祖父だったが、泣き声だけは普通の人と変わらないように思えた。その泣き声を聞きながらそう思うのが、やけに苦しかった。

祖父が普段話していた時の声はもう覚えていないけど、「こここ」とその泣き声はずっと覚えている。私に遺伝したのであろう濃い眉がくしゃりと歪むところも、小刻みに震えながら下を向いて拳をぎゅっと握るところも。

ただ、祖父はとてもしゃんとした人だった。ご飯を食べて、歯磨きをした時、毎回自分で歯ブラシを洗うのだ。親指で、ブラシの部分を流水に当てながらワシワシと洗う。

それを「父さん、しゃんとしてるでしょ」と母が嬉しそうに言っているのを聞いてから、私は食堂の水場で歯ブラシを洗う祖父を見るのが好きになった。

祖父は死ぬ直前まで熱があった。だから死んだ後も、かなり長い間祖父の身体は暖かかった。

私は死んだ祖父に、大変罰当たりなことをした。
当時まだ幼かったいとこと、閉じていた祖父の目を開けたのだ。

どろりと濁った瞳が見えた瞬間、いとこが鋭く「やめろ」と叫んだ。
私は慌てて手を引っ込めて、祖父のまぶたは自然におりた。でもその瞳の色がずっと焼きついていて、心臓がうるさく、身体がどんどん冷えていった。

死んでるんだ、と思った。死んでいた。祖父は本当に死んでいた。こんなに暖かいのに。

生きている人には出来ない目の色をしていた。スイッチを消した電灯みたいな寒々しさがそこにはあった。生き物から物になったのだと思った。

喋れなくても良かった。こちらを見てくれるだけでよかった。声だって聞けるだけ嬉しかった。私の話も聞いてくれたし、病院内を車椅子を押して散歩するのも、絶対つまんないだろうに付き合ってくれた。

その時と同じ熱さをしていても、同じ肌で、同じ柔らかさをしていても、死んでいるのであった。

母や祖母が何か色々手続きの話をしている間、私はいとこ(さっきのいとこの姉)に呼ばれて人気のない食堂に行った。

いとこはウォークマンを持っていた。それにイヤホンを挿して、隣に座った私に片方を渡し、もう片方は自分に嵌めた。

流れてきたのは嵐の「Beautiful days」だった。

いとこがその曲で自分を慰めたかったのか、それとも私を気遣ってくれているのかわからなかったから、私は黙ってそれを聞いていた。

ただ、そのときほど、「Beautiful days」が陳腐に聞こえたことはそれ以降一度も無い。

空っぽだなぁと思いながら聞いていた。思い出にしようとするな、と思って、何となく違う気がして、この胸元で渦巻く嫌な感覚をずっとわからないままもてあました。

そのときから私は「そういう」(うまく言語化できない)ものが苦手になった。いまだに震災復興系の番組は観れない。

これからひと眠りして起きて、歯磨きをして歯ブラシを洗うときも、多分私は祖父のことを思い出す。それが途切れたとき、ふと読んで思い出すためにこの記事を今書いている。

日記のはずだったがタイムカプセルみたいになった。ちなみに判じ物は一切関係ない。けどちょっとした暗喩みたいになった。

あそんでみてください↓


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