短編|ハジカの部屋
音が聞こえます。トトトトトト。火の玉が横の結び目へ。次々わたるその音です。
わたしはハジカという名前を持っています。なぜかは聞かないでほしいとハジカは言います。いつのまにかこうでした。
トトトトトト。ハジカは音を聞く。音を聞くしか脳がないから? いいえ。それしか許可されていないように、ハジカには思えたからです。ハジカは臆病でした。いつからでしょう。ハジカは萎縮していました。なぜでしょう。とにかく、炎のスキップ、その音を聞きながらも、ハジカは座ったままでした。
体がふくらんでいく。以前はちっぽけで身軽だったのに、今ではハジカは部屋の隅々にまで及んでいる。ハジカは見下ろしました。ひとびと。目を凝らさないと、彼らのこまかいボタンの装飾、帽子のへりに刺繍された文字は見えない。ひとびとは部屋中にはびこっていました。五〇三号室。この部屋で、ハジカは昔、トランプあそびをし、逆立ち歩きをし、シチューを食べた。ハジカはうたを歌ってみます。いろいろとうたを歌ってみます。ひとびとはハジカの目を見るだけでうたをきかない。
そしてじき、ひとびとは盲目になりました。
もしもし、はじめまして。わたしはハジカといいます。大昔、わたしは検品の仕事をしていました。ひとつひとつ間違いがないか確認していくのです。わたしよりもあなたたちの方がよっぽど得意かもしれませんね。決してしはしないでしょうけれど。とにかくわたしは大昔、検品の仕事をいちにち十時間やりました。春が来ると仕事が変わります。はじめは像の検品だったのが、次の年はマダコの検品、いつかは持ち主のわからない脾臓の検品もまわってきました。わたしは一年ごとに息をつき、次にどんな仕事が来るか、郵便受けの前をうろうろしながら待ちました。
ハジカとひとびとは友人になる。一緒にその空間を占めることをハジカは受け入れ、意識するのをやめた。
ある日、ハジカの一部が痛みだす。ハジカの一部が腫れてただれて、醜く陰って染まっている。ひとびとが以前蹴ったのだ。
体がますますふくらんでいく。
天井のランプシェード近くにいた空間の一部が、いきなりこう宣言した。
今からわたしはハジカになります。
部屋の隅の植木鉢に嵌っていた空間の一部も、続いてこう宣言した。
今からわたしはハジカになります。
ハジカは頭をかしげて、その空間の部分たちが向いている方向を覗きこむ。
誰に宣言しているのか。向こうの方。ひとびとの頭でまるで見えない。ドアの方だ。
すいません、わたしはハジカをやめます。
ハジカはひとびとの頭の連なる奥の方へ、そう宣言したけれど、声は消し去られ、届かなかった。
ひとびとはそれを醜い、醜いという。かと思えば、ハジカの山を登ってきて、吸い付いたり、削り取ったり、窪みで眠ったりした。ひとびとは言う。お前はなんでそんなに大きいのか。おぞましい。恥知らずに。そう言って、ひとびとはハジカの上で眠りについた。
ハジカの体がこんなに大きいのは、ロフトでひとびとがハジカを培養しているからだった。ハジカの中身をひとびとが管理する。多くのひとびとが各分野からそれに携わっていた。中身には実に多大な労力とひとびととお金がかかっている。実に緻密に充実していた。
ある日、ハジカはひとびとを潰した。潰したあとに出る汁は思ったよりも量が多く、どろどろと外へ染みでて、後には薄ピンク色の輪がぼんやり残る。
その時、空間はほぼハジカということになっていたが、ハジカの意識は豪雨の中の灯火のように消えかかっていた。
潰した汁が、ひとびとの連なる頭で見えないドアの向こうへ辿り着いたのだろうか。
ひとびとが十人やってきて、ハジカを焼いた。天井のハジカも、植木鉢の中のハジカも、ロフトで生成中のハジカも、昔ながらのハジカも燃えて消えた。
ハジカのいなくなったあと、ひとびとはハジカの消えた大きな空いた空間を見た。
「醜い、醜い」
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