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書評|ウサギ穴のある道『ウォークス』レベッカ・ソルニット


ウサギ穴のある道
『ウォークス』レベッカ・ソルニット


物理的な場所が、ネット上へスライドし、わたしたちの身体は画面の明滅として現れるようになった。現在地と目的地はゼロ距離で結ばれ、かつてあった「道」は消える。

ソルニットが辿る歩行の歴史は、道の歴史でもある。歩く風景に詩情を見出す喜びと、未知なるものへの希求は、かつて庭として区切られていた歩行空間の壁を溶かし、わたしたちの身体はより広い原野へ飛び出していったが、産業革命後には一転、飛行機、列車、自動車等の出現によって、「運ばれる身体」へと変容した。移動が機械に代替されれば身体は「小包」に、形式を伴えば主張を体現する「伝道者」に、「不都合」な場所や時間に現れれば時に「犯罪者」に変わる移動する身体は、道と切り離せない。かつての乗物は、現在地と目的地を即時につなげるネットの網目に変わり、道の不可視化はわたしたちの身体をもはや「運ばず」、目的地での明滅へと変えたのだ。

会社のビルで、公的な建物で、体温がサーモグラフィーで感知される時、自分の身体、そして誰か前方や後続の身体が、順々に数値にスライドされ個体は区別されてゆく。この中の誰かが値を越えれば、その身体はどこかに運ばれしかるべく遇されるだろう。私的な身体はコード化され、パブリックの名のもとに「守られ」る。ソルニットが書き留める、かつてそして今も性別や人種等のコードに置き換えられ歩く自由を脅かされてきた人々。自明ではない「公共の福祉」の変遷を振り返れば、その時代に何に印をつけ管理しようとしてきたかがわかる。

二年前の道での時間を思い出す。それは夏の夕方の家路、前方を歩く青年の様子がなにやらおかしかった。白い大きめのカッターシャツに、黒いゆとりのあるズボンの青年は、不思議な踊りをしながら進んでいた。車の行き交う四車線道路の脇で、歩行にシームレスに現れたり消えたりするなめらかでいびつな踊り。それはいつもの道の空気をかきまぜ、景色を波立たせる。その踊りがやまないよう注意深く距離を調整しながら歩くうちに、いつもの家路が未知の控える色鮮やかな時間に変わる。
青年と方向を分かち、残りの道を進みながら、変貌した世界の余韻を歩く。驚く、たじろぐ、うかがう、そのような時間の中で、いつもの道を新しく感受する身体にいつのまにか変わる。そんな歩く身体の道には『不思議の国のアリス』の白兎が現れ、ウサギ穴に落ちるような予想もしない風景へと導かれるのだと感じた。それはソルニットが辿るかつてのパリの芸術家による、街の詩的な可能性を歩くことによって開いた魔法のようだ。


歩行は重心の移動だ。両の脚は互いに微妙な距離を保ち重心移動を繰り返すことで前進する。右足と左足、それぞれの方向と速度の希望を束ね牽制し進む振舞いは、葛藤と和解、一致と離反の絶え間ない運動にも見える。コード化される身体は、右足と左足の一体化が進み、「配送」に適する安定した形になるが、他方、右と左に絶えず重心がゆれうごき都度の調整が生じる歩く身体は、不安定でもろい。
道を歩き、公に現れる事が民主主義の実践だというソルニットは、デモの歩行は軍の行進と違い、ばらばらだと言う。しかし、不安定性の上に進むわたしたちの身体は、時に場のリズムに容易に共振してしまうやわらかい身体でもある。

イデオロギーの是非と美学の理想が一致するとき、世の中は恐ろしい様態となることをわたしたちは歴史において繰り返し見てきた。イデオロギーの目的地と身体を導くメロディが相通じる時、両脚の緊張関係は消し飛び、「運ばれる」身体へ変わる。政治というあらゆる人が影響を被るパブリックな一歩は、同じ強度のプライベートな一歩によって繰り出されることがなければ、わたしたちは進むことができない。ソルニットは歩く身体と思考する精神を不可分な両足として結びつける。葛藤と和解を繰り返し、それを担って歩くことができてこそ、その人自身として道に現れることができる。そして、近づいてはすれちがう交互の運動は、ソルニットの思考の歩みの中で、共同体と個人、リアリティとフィクションの往還として重なってゆく。


赤ちゃんがはじめて立てた時の喜びは、一緒に歩ける喜びでもある。抱いて運ぶのではなく、異なる人間同士として横並びに歩ける喜び。松葉杖や車いすで人混みを行く時に感じる不安は、自分の身体に対してというよりは、パブリックな空間がプライベートな歩みを侵害する不安がおおきい。赤ちゃんの歩みに、大人が離れたところで手を広げるように、誰かと歩く時に速度を合わせ時に肩を貸すように、自分が、他者が運ばれないように、また運ばないように、歩く身体を互いに保証しあう態度。その身体だからこそ見出せる道があるのではないだろうか。

ネット空間は「道」を隠す。しかしそこにはそれぞれの身体にかかる時間の歩みを通じた、その人だけの道へとつながっている。ソルニットは旅路の最後にラスベガスを歩く。進行する民営化に危険と未知が消えた道への失望は、そこを歩くひとりひとりの中にこそ次なる歩行の可能性があるという希望に変わる。それは、きっとウサギ穴のような固有の秘密に出会える時間の中にある。そんな秘密を携えた身体同士で共に誰かと歩きたい。右足と左足のようにすれ違いながらも速度を合わせながら、その人としか発見できない新たなウサギ穴に出会える道で。その道はわたしたちがこれからつくる。

『ウォークス 歩くことの精神史』 
レベッカ ソルニット
訳:東辻 賢治郎
出版社:左右社
出版年:2017年

ジュンク堂三宮店



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