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『音が聴こえる』

『音が聴こえる』


テレビの音が聴こえる。それが、くだらない内容ならよかった。けたたましい。世間の出来事について教えてくれる。世の人の一般的会話としてさもこれが手本です、と言わんばかりに自信ありげな口調で、演技が繰り広げられる。演技だ。流れるような時間。自然さを作り上げている。作り上げられた、嘘だ。くだらないんだったら、よかった。


あれを見る時、白黒に見える。広告チラシのように沢山の情報で溢れているのに、生きているように見えない。


広告チラシだって無限じゃない。

くだらないんだったらよかった。関係ないはずなのに、無理矢理に扉の隙間から差し込まれていた。今日の天気、明日のチラシ。これは誰かが折った紙。


これは、誰かが。どこかの命が生んだ、何か木材的な素材に何か、誰かが加工をして、生み出された、広告チラシ。


そう、この今聞こえてくるテレビの音ひとつひとつに込められた意図。合わせるような笑い声。合成された笑い声。この表情と声色がスタンダードです、みたいに。誇張された情報と表情。本当に伝わる意図は何%。意図なんかないのかも。

どれもこれもくだらないなら、くだらないと一蹴してしまえたならよかった。それだけの強さがあったなら。


切り離せない何かが絶えずそこらじゅうに存在していて、それはずっと繋がっているようで、でも多分それは思い込みだ。





切り離すようにそっと、テレビを消す。部屋の電気も消して、静かに座っていた。バイクの音が通り過ぎる。一筋に伸びて遠ざかるバイクの音。冷たい深夜の空気を切り裂いていくようだ。それとともに地響きがする。



ああ、誰かが生きている、と思った。