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交換日記2(3)宝石の夜間飛行

<2週目のお題「宝石の」>

空を飛びたいと思い続けて三年が経った。
人間の世界では、僕達をパワーストーンと呼ぶらしい。季節の名前がついた、ほっぺにちいさな星の砂を散りばめた女の子に、僕は拾われた。
長閑な田舎の広々とした空、犬を連れて歩く小綺麗な住宅地、この季節の朝には庭に野鳩がやって来てご飯を探す。玄関に飾られた沢山の花達。白い一軒家。女の子の名前は、春子。十四歳。中学生。

春子は学校という場所で、学びに励んでいる。
剣道部に所属する、小柄な女の子だ。まだ、試合には一度も出たことがない。だけれど僕は知っている。春子がとても悔しそうにしているところ、頑張っているところ。そしてクラスで男の子にいじめにあっているということ。春子が僕を拾おうと思ったのは、少しの救いを求めていたからだ。宝石のカタログをたまたま見つけた春子は、貯めていたお小遣いで注文をした。青い金粉の入った僕は、春子に会うまでずっと眠っていた。僕が目を覚ました時、春子はきらきらした目で僕を眺めながら、宇宙みたいな石だねと話しかけてくれた。それから学校以外では、僕を右手の中指に身につけてくれている。中学生だから、アクセサリーは禁止で身に付けられないからと、学校ではいつもペンケースのなかに僕を連れて行ってくれる。春子は授業中、震えが止まらないのだけれど、僕を見ると、落ち着くのだそうだ。ペンケースのなかから見える春子のこわばった表情が、次第にゆるんでいくのが分かった。

だがある日突然、僕と春子は引き裂かれてしまう。

体育の授業で、グラウンドに移動になった時のことだった。
体育着に着替えた春子は、友人とばたばたとグラウンドへ出て行った。僕はペンケースのなか。ぽつんと息をひそめていた。がらがらがら。教室の扉が開く音がした。誰か忘れものかなと僕は思った。足音が近づいてくる。すると、いきなり僕はよろけてしまう。ペンケースを誰かが揺すっている。沢山の色とりどりのペンが踊るなか、手が伸びてきて、僕はその手によってペンケースから飛び出されてしまったのだ。大変だ。僕はその手のポケットのなかに入り込んでしまったのだ。

体育の授業を終えた春子は汗をかきながら、教室へと戻って来た。次の授業まで十五分間休憩時間だ。少し眠たげに椅子に座ってがさごそと、教科書とノートを探している。ペンケースを出す。異変に気付く春子。ペンケースのジッパーが開いている。なかを確かめる。あれ?指輪がない!春子は、ペンを全部出して確かめた。ない。ない...!ない!春子は教室を眺めながら考えた。確かに三限目まではあったはず。ペンケースからは出していない。何処かで落とした...?いや、そんな筈はない。みるみる顔色が青くなる春子。その日の授業中は何も頭に入らず、ノートもろくに書けず、ずっとペンケースとにらめっこしていた。

僕と春子はその夜、眠れずにいた。
僕は見知らぬ人の部屋に居るし、知らない人の手に身につけられている。春子は、夜、すすり泣きながら、ベッドの上で僕を呼んでくれていた。満月の夜。僕はとおくとおくで泣いている春子の声を心のなかで聞いては、かなしくて、悔しくて、青く、溶けてしまいそうだった。

真夜中二時を回った頃。僕は泣き疲れて眠ってしまったであろう春子の寝息を聞いていた。僕は、窓ガラスから見える月を見ながら、どうしたら此処から抜け出せるかを考え込んでいた。
月が、心配そうにこちらを見下ろしていた。
月は、心の声でこう話しかけてきた。
「あなたは宇宙から生まれた石の欠片。だから、空を飛ぼうと強く願えば、あの子のところまで飛んで行けるはずよ。」
僕は月の声を聞いて、今すぐ叶えられるなら。春子の傍に、今すぐ飛んで行けるならとぐっと心臓が高鳴るのを感じた。
「お月さん。ありがとう。空を飛んで、春子の元に絶対帰るよ。」僕はそう声をあげて、夜明けにさしかかる月におやすみを告げた。

春子は寝不足のまま、学校に行った。
元気にはしゃぐ声が、けたたましく耳障りだった。
「おはよう!春ちゃん!」
友人の美穂が肩をぽんとしてやって来た。
「おはよう...。美穂ちゃん。」
美穂が首を傾げ不安げに顔色をうかがってくる。
「どうしたの?元気ないね。」
「うん。ちょっと...ね。」
項垂れた身体で春子は席につこうとする。
その時、机に何か書かれていることに、春子と美穂は気づく。春子の机には、目を伏せたくなるほどの、気分を害する言葉達が机に大きく書かれていた。春子は、唇をぐっと噛み締め、涙ぐむ。泣くな。泣くな。泣いたら、思うつぼだ。それを見た美穂が、すかさず消しゴムを持ってきて、机の文字をごしごしと消してくれた。
「美穂ちゃん。ありがとう。」春子は涙声でぽつりと言った。
「春ちゃん。気にしない。気にしない。」と美穂は優しく言ってくれた。

夜の邊のなか、必死に空を飛ぶイメージをする僕は、この身体が夜空色なのに、どうして飛べないのか日々悩んでいた。鳥のような羽根はないのに、どのように飛ぶというのか。頭だけが先走り、身体はちっともいうことをきいてくれない。
今夜も月が昇り、僕は月に話しかける。
「お月さん。羽根がない僕は、本当に空を飛べるのかな。」
月が穏やかに答える。
「イメージの遥か彼方、風の匂いや大地の匂いを思い出してごらんなさい。あなたは長らく人間と共に居たから、自分が生まれたことを忘れかけているのよ。」
「春子はいい子だよ!」つい、声を荒らげて、身体が削れそうになる。
月は驚きもせず穏やかにまた話した。
「私はずっと月のままだから。月のままでいなくてはならないから。人間の心は、時に激しい。だから、私は月のままでいなければならないの。」
僕は月が言っていることを、上手く理解出来なかった。まだ若い若い僕だから、月のように長く生きたら、理解出来るようになるのかもしれない。

人間と寄り添うことの出来る石はごく一部。それは、たった一つのかけがえのない物語だ。そんなある日、春子という女の子に拾われて、僕は幸せだったのに。春子の傍に居られないなんて、僕は情けない。なんて情けないのだろう。

空を飛んで春子の元に戻りたいと思い続けて、三年が経ったある日のこと。
僕は、埃をかぶったまま、暗い暗いダンボールの箱のなかにいた。もう、このまま此処から出られずに、誰からも忘れ去られて、何かの拍子に潰され、割れて終わるのだろうと思った。春子。君はもう、十七歳になっているね。中学生の頃の辛い体験から抜け出して、新しい友達ができたり、楽しく過ごしているかな。そうしたら、僕のことなんて、僕のことなんて。忘れちゃっているかな。

ぽろぽろと涙が溢れてきて、僕の身体は青く青く、時に金色に光り、辺り一面が輝き出した。ダンボールの箱に少しの隙間がある。今なら。今なら空を飛べる!

光りの放出で身体がふんわりと浮くのが分かった。これは、石の古来の力。光りを放ちながら、僕は流れ星みたいにダンボールの箱の隙間から飛び出した。真夜中、皆眠っている部屋のベランダの窓が開いている。僕は窓をめがけて、夜風をどんどん追い抜いて、小さくなった家々を見下ろしながら、春子の元まで一心不乱飛んで行く。

その夜。春子は真夜中まで起きて、女の子友達と電話をしていた。無事高校にも受かり、友達に囲まれ、部活動はしていなかったけれど、お洒落や恋愛に沢山悩む、素直な春子のまま、大きく育っていた。ピアスや髪の色も少し茶色に染めあげて、お化粧もほんのりするように変わっていたけれど、青色が好きなのはずっと、変わらぬままだった。

僕は、力尽きて、春子の部屋の窓ガラスで眠ってしまった。カラン。窓ガラスから何か音がしたと、春子は気づく。電話を切るようにお母さんの怒鳴る声が意識のとおくのほうで聞こえた。電話を切ったあと、春子は恐る恐る窓を開けた。カランカラン。何かが引っかかるような音がして、窓のレールを覗いて見た。そこには、ラピスラズリの指輪が一つ、転がっていた。春子は指輪に手を伸ばす。ぬくもりが伝ってくるのを、僕は感じとっていた。

「ラピ...ちゃん?」春子が目をまん丸にして言った。春子は、自分のお守りにしていたパワーストーンが三年越しに見つかったとお母さんに、悦びながら話す。
僕は、懐かしい匂いとぬくもりに、くたくたになった身体を支えられて、深い眠りのなかへと入っていった。

パシャパシャ!
「ひゃっ!冷たい!」僕は急に身体中冷たい水を浴びせられ、びっくりして飛び起きた。
「きれいきれいにしないとね。ラピちゃん!」春子が僕を洗ってくれていた。
「くすぐったい!わはは!あはは!」僕をきれいにしてくれたあと、春子は優しくタオルで拭いてくれた。春子の中指に僕はちいさな口づけをしたこと、春子は知らないままでいいと僕は思った。

END




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