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交換日記 (10) 世界の終りと点線

<1周目のお題:世界の終りと>

五月雨の降る、淑やかな夜明け前の事だった。

街々を雨が洗い流す祭りが、窓際という私のちいさな世界では催されているらしい。
その硝子窓二枚分の、ちいさな世界は、雨垂れのオルゴールのなかで、静かに目をとじて、青いトタン屋根や並木道の新緑達、路地裏のゴミ置き場で身体を丸めた野良猫も、雨を感じているのか涼やかな空気からじわりと肌に伝わってくる。

イヤフォンから垂れ流れる微かなジムノペディを聴きながら、私はまだ夜の熱の冷めやらない空に、頬杖をつきながら、空の明るみが増すのを待っていた。
手元にはこんなメモ書きがある。
雨の音は切れない。点線のように降るる、そのしなやかな音。でも、世界は雨に、切り取られているのかもしれない。水溜まりは、切り取られた世界の断片。そんな風に世界を切り取られたら、今日のこの世界はまるで、色とりどりのゴミ屑のようだ。君の傘の色も、公園のブランコの色も。
読み返してみれば、なんという皮肉に満ちた言葉なんだろうと、不意に悲しくもなる。溜めて吐き出された、沸々と煮え滾る青い微熱を感じる。その過去のメモ書きさえも、この夜明け前の湿気を含み始めようとして、慌てて私はメモ帳をとじた。こんなチャチな心臓で、身体で、もしも世界が終わるならなんて夢想して、綺麗に並び連ねた言葉が鳴り響いて、馬鹿馬鹿しくも縋ってしまう愚かさを、浅はかな感情の剥き出しを今、誰か盗み取って欲しい。

少し、空が明るく滲んで来た。
私は空虚に泳ぐ目で、空をまた、見上げた。寝不足の不健康な身体で、僅かなひかりを探す。眼差しという手で、じっとひかりを見つめ、ひかりに手を伸ばそうとした。夜が明ける。

—その瞬間に、世界が終わるなら—

雨の日。点と線の日に、世界の終わり。
気付いたら私は、傘もささずに雨の中を飛び出していた。
身体に染み渡る雨粒は、どれも冷たく優しかった。さあさあと音を立てた雨音が、耳の奥で、また胸の中に、入り込んでいくのを感じながら、私は街灯の下でぺしゃんと座り込んだ。
街灯の明かりで、雨粒達は本当に点と線でこの世界を切り取っていた。私の身体さえも切り取られているのかなと思うと滑稽で可笑しかったけれど、この身体が切り絵みたいに、世界の一部分になれるなら良いのになと仄かに願った。

次の日。私は焦熱地獄に墜ちたみたいに、高熱を出して寝込んだ。あの夜明け前と夜明けを去来した仄暗い感情と、薄いひかりに包まれた雨の街の光景が白い天井に浮遊しているのを、
ぼんやりと涙目で眺めていた。
今日は雲ひとつない晴天の日曜日だ。いつもの休日の過ごし方としては、育てている植物達をベランダに並べてあげて、洗濯機を回しているうちに朝食を簡単に作り食べ終えたら、洗濯物を風に揺らさせて、それが終えたらゆるりと陽射しのなか微睡みながら音楽を聴いたり、冷たいルイボスティーを飲んだりしながら大切な人と他愛ないおしゃべりをしたりして過ごす。
夕刻になれば、植物達を部屋に入れてあげて、ただただ夕陽が沈むまで空を眺めたり、麦酒を片手に透明な月に手を伸ばしてみたりする。

なんてことのない、普通の暮らし。恙無い暮らしの中で呼吸をしている。時に笑い、時に泣き、時に喜び、時に悲しんだりすること。そんな人間くささを持ち合わせている私にとって、この世界の終わりの事なんかを、真剣に考えてしまう日があった事を、私はとても幸福に想う。
もしも今日、世界の終わりが訪れるのだとしたら。

詰まらない日々もちょっと可愛かったなと想うのかもしれない。

「ユリ。飛行機雲。」主人が言った。
レースカーテンを開け放ち、主人が空を指さしている。私は太陽に目を細めながら、熱い身体を起こして空を見た。しゅうううと斜め上を、飛行機が遠くで飛んでいる。青と白のカンバスに、私はにんまり微笑んだ。



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