レンジでチンして食べて

「同級生はレトルト食品を食べたことがないんだって」
塾から帰ってきた子どもが、わたしに何気なくそう言った。
その同級生の子は成績優秀スポーツ万能、人格的にも優れている、とは子ども談。
同級生の母親は、毎日手作りのメニューをテーブルにきれいに並べて、味もきっと素晴らしいんだろう、楽しい食卓がそこにはあるんだろうなと想像した。

ふと我が家の食卓を見る。
閉店間近のスーパーで買った、半額シールの貼ってあるハンバーグがお皿に移しただけのまま、置いてある。付け合わせはない。
炊き立てのご飯は古米で、パサパサとした食感。
たったの、たったのこれだけ。
冷蔵庫にはもやしと賞味期限の切れたベーコン、袋に入ったカットしめじが、炒め物にいついつなるかと待ち侘びている。
食卓の半分以上は、母が買い過ぎたために溢れているさまざまなお菓子で埋め尽くされている。

素敵な、あったかい、絵に描いたような、そんな幸せな食卓が、同級生の子の家にはあるんだろう。
我が家には、真逆のものしかない。

これから始めたらいいのだろうか、あったかい食卓になる努力を。
わたしは料理があまりできない。

当たり前に幸せになるために何をすればいいのか分かっていて、それを日々実行している人とは、相容れない。
羨ましくもなる、でもわたしには出来ない。
幸せを維持するだけの心がわたしにはない。

どうしてわたしは子供を産んだんだろう。
世の当たり前にある幸せを、伝えられも与えられもしないのに。

いい時代に生まれた。
電子レンジはあって。惣菜はあって。
時間をかけなくてもお金があれば、誰かの作った食べるものを手に入れることが出来て、栄養を摂取することができる。
それは悪いことでもなんでもない。
よくある当たり前のうちの一つ、であってほしい。
多分もう、そうなっている。
手間暇かけて作ることを否定しない。でも肯定もしない。
やりたければやればいい、やりたくないならやらなくていい。
それでなんとかなるなら、それでいい。

何もかも満たされているような人たちの話を聞いて、不安になって、気分を害した。

わたしはわたしで、もういい。
惣菜を買い、古米を炊き、お腹が膨れるまで食べる。
子どもには悪いかもしれない。

それでもこの生活がわたしにはしっくりきている。
ご飯を毎日レトルト皆無で作るだなんて、どうでもいいことだ。

子どもに、どんなお母さんでも大丈夫だよとフォローをもらった。
フォローもまた、複雑な気持ちにさせた。
別に足らなくていい。
このままでいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?