ウランちゃんはんぶんこ

私に必要なのは、推敲と文章を完結させる努力と、学ぶためのツールから学ぶということだ。

天才になりたかった。
誰の真似をしなくてもありのままの自分が考えて作ったもので、誰をも納得させるようなものを残したい、それはきっと正しいものになる、私は正しくありたい、そう思っていた。

既にあるものを受け入れられなかった。
真似したら負けだ、誰からか教わるなんて恥ずかしい。
そんな無知ゆえの遠回りが、私に何の希望も残さなかったんだろうな、と今ならわかる。
もう全て遅いのだけど。
あんなに好きだった絵を描くことが、できない。

私の心の死。
いろんな出来事で心のところどころ死んでいっているけど、大事にしていた部分ばかり死んでしまって、今の私はただの抜け殻、動く屍、本当に無残、惨たらしいったらありゃしない。

そうして人生の貴重な時間を全て棒に振って、年を重ねて人生を突っ走る気力もなくなり、ふと立ち止まって周りを見渡してみて気付く。
天才がいっぱいいる。全てを形にしている。
私の無駄と無知が際立つ。
しかし天才の作り出したものの美しさと言ったらもう、息をのむ、本当に同じ人間が作り出したのだろうかと思える完成度。
一人の人間からこんなにも美しい物が生み出されるとは。
そんな存在になりたかった。

個としての敗北、私は傍観者、モブ、その他大勢、村人A、価値のない、使い捨てとの名称もつきすらしない、いつの間にかゴミ箱に入っている屑。
もう遅いとわかっているのに、たらればが言いたくなる性分のみっともなさ。
導いてくれるものがあったらばどうだったかな。
自己肯定することをよしとして育ててくれる親だったなら。
落ち着いて、自分のペースでいいから、じっくりやりたいことに取り組んでご覧、人と違っててもいい、あなたの好きなもの、好きなことは、どうやったらあなたを幸せにしてくれるかな、と声をかけてくれたなら。

ウランちゃんはんぶんこ。
落ち着きのない私の頭は、こうして何かを考え書いている時にも他所ごとを考え始めて、いろんな話をごちゃ混ぜにして、文章のまとまりを全て壊してしまう。
昔読んだアトムの漫画で、忙しすぎるウランちゃんが自分を半分こにすればいいんじゃないって考えていたところに悪い人がつけ込んで半分になる薬をウランちゃんに渡して半分になってみたら、半分ずつがちぐはぐな動きをして結局意味がなくて、元にも戻れなかったって言うような話があって、私の頭はそれに似てるかなと思って。
でも今日ははまあ、まとまってかけたのかもしれない。
訓練がいるかな、心の状態によるかな。

いやはや、全然駄目でしょう。

難しい。
やっぱり何にもまともにできない。

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