君にオートクチュール 本文


「また帰らなかったんだ」
不必要に広いリビングは、昨晩と同様がらんとしていた。時計の針はもう八時を指していた。急がないと。自室に戻ると、パジャマを脱いだ。クローゼットの中は、親のブランドの服で一杯だ。
「これと、これでいっか」

私は針生千服。この春から、装麗学院の二年生になった。装麗学院は日本におけるファッションのトップ校であり、世界で活躍するトップデザイナーを多数排出してきた。

新宿駅を降り、学校に向かっていると後ろから小走りで走ってくる足音が聞こえた。
「おっはよ〜千服〜」
「香織ー、おはよう」
彼女は私の数少ない友達の一人だ。
「相変わらずYusuke Hariuとkibouの服着てんねー。定価で買ったらいくらすんだろ。うん十万?」
「そんな感じかな」
「軽いなー。もっとありがたがんないと。凄いことだよ、両親どっちも世界的なファッションデザイナーだなんて。」
「凄いとは思うんだけど…」
華織は少し心配そうに私の顔を覗いた。
「元気ないじゃん。ちゃんと朝食べてる?パンいる?」
そう言うと、彼女はカバンの中の菓子パンを一つ手渡した。
「ありがとう。後で食べる。大丈夫だから心配しないで」
「何でも話してね、クラスは離れちゃったけど」
荘厳な門を通ると、私たちは手を振り別れた。

二限は憂鬱だった。一年生の時に制作した服を自己紹介がてらに発表する授業だ。
「次は針生さんね」
違うことを考えていたが、先生に呼ばれ現実に引き戻された。
「あ、はいっ」
私は作品を着せたマネキンを持って前に出た。
「この作品は、男性的なフライトジャケットの要素を、あくまでフェミニンにテイラードジャケットに落とし込みました」

少しの沈黙があり、教師は難しそうな顔で作品をよく見た。すると、少し笑みを浮かべて口を開いた。
「流石ね。二年生になりたての生徒のレベルではないわ。悠介君と玲華さんがうちの生徒だった時を思い出すわね。」
感慨深そうに言うと、クラスがざわつき始めたので、逃げるようにして席に戻った。だから嫌だったんだ。自分が良いと思えない物を発表して、褒められるのも。親の名前を出されるのも。私はため息をついて、空を眺めた。

「次が最後ね。糸瀬愛己さん。読み方はあいきで合ってるかしら?」
「はい。」
後ろの席の方から、男の子が前に歩いて来た。男の子だったんだと少し驚いたが、それを上回る驚きが私を待っていた。
彼は片腕でマネキンを運んで来た。彼には左腕が無かった。その寂しさを補うように、美しい装飾が左袖にはあしらわれていた。美しい、そういう感覚を随分久しぶりに抱いた気がする。

「これは、近所に住むお婆さんのためのドレスです。彼女は老いで腰が曲がっています。その曲線を美しく見せ、なおかつ着脱を容易にしました。彼女の静かで知的な美しさを引き出すデザインです。」

そんなことを考えて服を作ったことが無かったし、今まで見てきたどんな服とも違う美しさがあった。そのお婆さんが着たら、きっともっと美しく見えるのだろう。私の衝撃と興奮を他所に、クラスの反応は薄かった。自分だけみんなと違う映画を見ているような疎外感を感じた。縫製やパターンが粗い所もあるが、それを抜きにして心を震わす何かがある。
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授業後クラスの人に話を聞いた。
「あー、糸瀬ですか?彼、良くも悪くも有名ですよ。障害があるから、入試無しで特別入学してるし、ああいう変な作品作ってるから、あんまり評判良くないんです」

自分が良いと思った作品を「変な作品」の一言で片付けられたのは、とても腹が立った。自分の作った作品が悪く言われようが、何も感じることは無いのに。何度か、彼に話しかけようかと考えたが、彼には独特の近寄りがたい雰囲気があった。

特に変化もないまま、八月を迎えた。学校から見える新宿御苑は、より熱く強い緑を帯び、ビルのコンクリートの熱気はじっとりとした東京らしい夏を感じさせた。

ある午後私は課題を進める為、夏休みに関わらず学校に来ていた。校舎は閑散としていた。製作室に着き、ドアを開けた。誰もいないだろうと思っていたが、入った瞬間、人の気配に気付いた。

彼だ。

彼は窓側のなるべく後ろの方の席に座っていた。顎で生地を押さえながら、右手を使って裁断していた。私が入ってきたことにすら気づいてなかった。何者も彼を止められない。そんな迫力があった。

お互い干渉しないまま3時間が経った。何故だかいつも以上に集中でき、時間はゆっくり、静かに過ぎていった。今なら話しかけることができそうな気がした。私は彼の席に近づいて行った。

「同じクラスの、、糸瀬愛己君だよね」

彼は顔をあげ、ゆっくりこちらを見た。ショートカットの私よりも少し長いくらいの黒髪。端正な顔立ち。何よりも、宇宙のような深海のような目をしていた。

「針生さん、、だよね」
「うん。私の名前覚えてるんだね、びっくり」「もちろん。同じクラスだし、君は授業中いつも退屈そうに窓の外を眺めてるからね。後ろからだとよく目立つ」

彼は小さく笑った。もっと気難しい人だと勝手に思っていた。

「糸瀬君は凄いよね。ちゃんと誰かのために美しい服を作ってる。それを伝えたかったの」
「僕は生まれた時から人と違ってた。そのことで悩んだこともあったけど、両親が僕を愛し、僕は自分の美しさを信じられるようになった。美しさは信じることから生まれてくる。洋服にはそれぞれの美しさを引き出す力があると思う」

「これは何を作ってるの?」
机の上の材料を指して尋ねた。
「ショーをやりたいと思ってるんだ。来年の装麗祭で」
装麗祭は秋に行われる文化祭。様々な催しが行われるが、目玉はファッションショーだ。先生やトップデザイナーの厳しい審査を受け、優れた作品には賞が与えられ、大きな注目を集める。

「ショーを通して、革命を起こしたいんだ。今は既製服が主流で皆んな同じような服を着てるけど、その人の美しさを引き出すには、その人のための服を作らないといけないと思う。言うなれば仕立服、オートクチュールだね」
「オートクチュール..」
一点物の高級仕立服を指す言葉だけど、彼の作る服は一般的なそれとは違う。ショーで革命を起こす。何かが始まる予感がした。

「そのための服を作ってるんだ。まだ一着目だけど。僕は作業が遅いから」
「私に手伝わせて。技術は人より優れてると思う」

彼は驚き、少し考えるような顔をした。
「君の技術の高さは知ってるし、気持ちは嬉しいけど、大丈夫。針生さんにだって自分で作りたい服があるでしょ」

「無いよ…作りたい服なんて。親に言われて勉強してきたけど、もうなんで洋服作ってるのか分かんなくなっちゃった。だけど、糸瀬君の洋服を見た時、美しいって思えたの」

何でか情けなくなって涙が溢れてきた。彼は少し俯いて考えると、私の目を見て言った。

「じゃあお願いだ、君の力を借りたい。その対価として、ショーを通して君にファッションの素晴らしさを伝えるよ。約束する」

私たちは翌日から作業に取り掛かることにした。

「服を作る前に、モデルを決めないといけない。」
「昨日作ってたのは?」
「一人は決まってるんだ。僕の唯一の友達。針生さんは誰かいない?」
「いやー、私も友達少ないし、モデルになりそうな人はいないかな」
「容姿に自信がある必要はないんだ。自信を引き出すのが僕らの仕事だから」
「なら…」




「香織!お願い!私たちのショーに出て!」
「急に何よー。モデルってこと?無理無理!私作る側だし。それに太ってるし、痩せろってこと?」
「そのままでいいの!香織のための服を作るから」
「そもそも私たちって千服と誰のことよー。…詳しいことはよく分かんないけど、千服の頼みだからね。良いよ。最近千服元気そうだし」
「ほんと!?ありがとう!」



何とか五人のモデルを集め、私たちは服作りに取り掛かった。まず、モデルの体の特徴や、更には性格を知ることから始めた。それが彼のやり方だった。彼らの魅力を引き出すためのアイデアを彼がイメージに起こし、それを二人でパターンに落とし込んだ。それぞれの体に合うように緻密に作るため、想像以上に大変な作業だった。生地の裁断、裁縫は私が基本的に行った。今までやってきたことは無駄ではなかった。そう思えた。

この一年多くのことを彼から学んだ。時に意見がぶつかることもあったけど、それも少し嬉しかった。こんなに何かに熱中できたことが無かった。服を作りながら、私たちはたくさん話した。お互いについても多くを知った。彼について知るほど、彼の服作りの原点が分かるような気がした。




あっという間に装麗祭当日を迎えた。学校は来場者でごった返していた。数組みのショーが終わり、私たちは裏で最終準備を行っていた。ここからでも熱気は痛いほど伝わってきた。

「分かっていたけどやばいよー。審査員も大御所ばっかり。千服のお父さんも審査員だし」
「私も今日知ったんだよ。連絡あんまとらないし」

緊張した様子のみんなに向かって、彼は言った。
「モデルは初めてでみんな緊張してると思う。けど自信を持って欲しい。みんなの美しさを引き出せるような服を僕たちは作った。誰との比較でもなく、みんな美しい。それを見せつけてやろう!」

「次は、糸瀬愛己さんと針生千服さんのショーです」

ショパンの「革命のエチュード」が流れ始めた。最終チェックを行い、みんなを送り出した。

容姿はみな様々だ。本人はコンプレックスに感じてる部分もあるかもしれない。だけど、私たちの服はそれを殺すことも隠すこともしなかった。ただ、その美しさに気づいて欲しかった。観客席のお客さんは驚いているようで、少し安心した。革命のためには、見る者にあっと言わせないといけない。

最後に香織を送り出した。香織は、自分の体型がコンプレックスのようだった。そんな香織に対して、彼は言った。

「スリムな人だけが美しいなんてのは固定観念でしか無い。体型に合った服をデザイナーが作ってないだけだよ。」

彼女の体型から黄金比を見つけ出して形にし、全く新しい形のドレスをデザインした。そして彼女の根っからの明るさが伝わるような配色を考えた。

「綺麗」
ランウェイから戻ってくる彼女の姿を見て、言葉がこぼれた。私たちの服でこんな彼女を引き出せたことに、幸せで胸がいっぱいになった。

「挨拶だ、僕らも行くよ。」
私は愛己君に手を引かれ、ランウェイに出た。私たちは割れるような拍手で迎えられた。実際にランウェイに立つと、こんなに人がいたことに驚く。私は彼に倣ってお辞儀をした。審査員席を見ると、針生悠介という札があり、父さんと目が合った。父さんは少し微笑んだように見えた。
「戻ろう」
裏に戻るとすぐに香織が抱きついてきた。

「千服ーありがとう。こんな綺麗な服着たの初めてだった」
「すごく綺麗だったよ。愛己君がすごく考えてデザインしたんだよ」
「愛己君もありがとう!この服もらってもいい…?」
「もちろん!オートクチュールだからね」
彼は答えた。



私たちのショーは審査員特別賞を受賞した。私はその凄さがよく分からなかったけど、他の人の喜びようで何と無く実感が湧いてきた。スマホを見ると、珍しく父からメッセージが届いていた。

今日のショー良かったよ。こんなに思いのこもったショーにはなかなか出会えない。幸運だったよ。千服も成長してるみたいだな。彼にもよろしく伝えといてくれ

クラスに戻ると、みんなが声をかけてくれた。今回のショーで少なからず、愛己君についても理解してくれる人が増えたと思う。それがとても嬉しかった。彼の居場所を尋ねると、屋上にいるようだった。

屋上のドアを開けると、彼が柵にもたれて立っていた。

「成功に浸ってるの?」
彼は私に気づいて笑った。
「満足はしてないよ。大賞は取れなかったし。でも、今できる最大限が出せた。一人じゃ出来なかったことだ」
彼の言葉が素直に嬉しかった。
「僕は.. 君にファッションの素晴らしさを伝えられたのかな」
「今回のショーで、みんなの見たことない表情や、美しさが見れた。誰かの為に服を作るのが、こんなに幸せなことだって忘れちゃってたんだね」
「そっか」

太陽は沈み、時事刻々と空の色を変えていった。

「僕ら良いコンビだったよね」
「うん。でも、まだまだこれからだよ」
「そうだね」

秋の涼しい風が私たちの高揚感をゆっくりと冷ましてくれた。








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