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【短編小説】郷愁



こんにちは。
日が落ちるのが随分と早くなってきました。
高くなった空を見て秋だなぁ、と思います。
少しさみしいような、そんな気分。
今日は、去年にとある文学大賞に応募した短編小説を載せたいと思います。
あたたかい飲み物でも飲みつつ読んでみてください。
さっと読める短編です。

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郷愁


 記憶とはとても曖昧なものであるがゆえに、愛おしいのである。


 記憶のバックアップデータが取れるようになると共に脳から記憶の一時削除ができるようになった時代、多くの人々がそれを活用していた。
 人々がとるバックアップデータの内容は忘れたい記憶、忘れたくない記憶と大きくはこの二つに分類される。例えば忘れたい記憶、それは自身に降りかかった嫌な出来事であったり恥ずかしい失敗などで、その記憶を脳から一時的にと言えど削除することができれば、その出来事はその人間にとってなかったことになると人々は気づいたのである。あくまでバックアップデータをとってからの一時削除になるので、つまりはいつか本人にその記憶を戻すことを前提としているのだが、大半の人間は二度と思い出すことなくこの世を去ってしまう。そして忘れたくない記憶、これは説明するまでもなく風化させたくないくらい幸せな記憶からいつかまた思い出したいと願う記憶のことである。いつでも思い出すことが可能なのであればと、脳の容量を少しでも空けるため人々は記憶のバックアップデータをとり一時削除をしていった。
 記憶のバックアップデータを取ること及び脳から記憶の一時削除をする機関は市区町村で多少の違いはあれど、市役所などそういった役所であった。
 とある市で役人として働く一人の青年は、そんな記憶たちが保管される大きなシェルターにて佇んでいた。もうすっかり持ち主に忘れられてしまった記憶は奧の方へやられて、なんともさみしそうにこちらを睨んでいる。
 青年はいつからか役人となり人々の記憶を取り扱うこの職に着くことを夢見ていた。それは物心着いた頃からだったか、はたまた将来を考えるようになった頃からだったか。今となってはそんなことはどうでもよいことであった。今この場所にいることが、念願だったのだから。
 ところで青年には一つの思いがあった。それは両親のことである。青年が己の両親について覚えていることと言えば、なにもなかった。顔や年齢、名前さえ知らなかった。両親がいるという事実だけが、青年の記憶の中で生きていたのである。両親のことについて何も思い出すことのできない青年は、記憶に関係するこの仕事に着けばなにか引っかかることがあるかもしれないと、そう考えていた。
 だが何も思い出せぬうちに一ヶ月、二ヶ月と日は過ぎていく。半年を過ぎる頃には青年の心に焦りが生じ始めていた。青年は半ばやけになりながら人々の記憶を扱う職員としての特権を使い、役所内を隅から隅までくまなく舐めるように漁り始めた。もちろん、他の職員には見つからぬようにである。人々の記憶を扱う場というだけあり、そこはかなり厳重な体制で警備がなされていた。そこで青年は何十年間分と保管された手書きの文書を見つける。やっと一つのヒントにたどり着いたかもしれないと、喜ぶ時間も勿体なく感じた青年はさっそくそれを手に取る。ずっしりと重たい紙の資料は近代では珍しく、青年は手のひらに伝わる冷たい紙の感覚に驚いた。紙を見ることさえ初めてだったのだ。紙の手触りを楽しんだところで、ぱらぱらとやたら慣れた手つきで読み進んでいく。少し埃っぽい匂いがした。人々の記憶のバックアップデータをとるにあたった経緯や、その方法、国民の反応などが事細かに記されている。自分の両親の世代は調べ済みであった青年は、震える手でその代の資料に手を伸ばす。ほかの資料に比べ一際薄いそれは黄ばみところどころ破れながらも後世に情報を残そうと必死にもがいているように見えた。資料を開く。ぺり、と音が鳴る。そこにはただ一つ、こう書かれていた。
「……記憶とは、とても曖昧であるがゆえに、愛おしい」
 古い、静かな資料室に青年の澄んだ声が響いた。走り書きで書き留められたそれは、まるで誰かに音読されるのを待っていたかのようだった。青年は細い指で筆跡をなぞる。不思議な感覚に襲われる。ぱたんと閉じると、埃が舞う。もとあった場所へと資料を戻すと、青年は静かにその場をあとにした。
 けっきょく、わかったことといえば何も無かったわけであるが、青年はなぜか満足気な表情を浮かべていた。両親に関する記憶は相変わらず何も無く、さらに言えば余計に謎が深まったように思えたが、青年にとっては違った。あれは紛れもなく、両親が自分に宛ててのこしたものだと、考えていた。いや、確信を持っていた。なぜと問われると答えようがないが、そういう確固たる感覚があったのだ。
 その後日のことである。古い『新聞』とやらの整理を頼まれた青年はまたもやあの資料室にいた。紙に触る二度目の機会となった。もとより文章を読むことが好きであった青年は古い『新聞』を読みふけりながら作業を進めていった。そこにはその日何が起きたのかが鮮明に記録されている。今青年が手に持っているものは記憶のバックアップデータをとり始めてしばらくがたった頃のものだろうか、人々はその生活に慣れ、日常化していると書かれている。ふと、端の方にやられた小さなコラムに見覚えのある文章があることに気がついた。
「……記憶とは、とても曖昧であるがゆえに、愛おしい…」
 それはあの資料に残されたものと同じであった。前後の文章には、つまり要約すると人々は記憶を大事にするという概念を失いつつあり、我々役人はそれを守ることもまた、人々の記憶を守ることでもあるというふうなことが簡潔にしかし書き手の情熱を残しつつ記されていた。そして、あなたがなつかしいと思う瞬間はまだあなたの中にあるか?という問いで締めくくられていた。なつかしい、という言葉の意味を知らない青年は、コラムを書いた人物の名前に目を滑らす。青年と同じ苗字の持ち主であった。ということはやはりあの資料を書いたのは自分の親なのだ。青年の直感に間違いはなかった。だが、なつかしいとはなんだろうか。資料室にあった辞書を用いても、その言葉の意味はわからなかった。いくらページをめくってもその言葉はどこにも載っていないのである。とりあえず青年はコラムの作者の名をメモし、記憶のバックアップデータが保管されている場所へ向かった。
 遂に自分の親の記憶へたどり着いたのだ。さすがに生年月日まではわからなかったが、名前さえわかっていればあとは手探りに探せばいいのでなんとかなった。他人の記憶を自分の脳へ移すことは、もちろん禁止事項であり、法律でも罰せられる。いまのところそんな事例は聞いたことがないので、青年がこの地球上で初めて、その禁忌を犯すのである。
「……………」
 生唾を飲み込む。果たして、そこに真実はあるのか?確かめるほか、もうない。後戻りは、できない。青年は、震える指先に力を込めて、一つの記憶に手を伸ばした。


 あたたかかった。
 美しい光のなかで、踊っていた。
 垣間見えるのは、両親と、幼き自分だ。
 この感覚ををなつかしいというのだと、誰が言う間でもなく悟った。


 青年は涙を流して立ち竦んでいた。青年を包むのは二つが一つになった愛だった。もうこれ以上は背負うなと、誰かの声がした。声に従い、記憶から手を離す。
 青年は罪を犯し愛となつかしさを知った。そこに後悔はなかった。満たされたこころで、両手を頭の上へ掲げて銃を構える兵士たちがいる出口へと、青年は向かった。

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ありがとうございました。



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