見出し画像

アルバムレビュー - Leo Okagawa『Ulysses』

都内を中心にエレクトロニクスを用いた演奏活動を行い、音源制作においてはフィールドレコーディングを多く用いるアーティストLeo Okagawaの2020年リリースのアルバム。リリースはJason Lescalleetが運営するレーベルGlistening Examplesから。

本作は同じくGlistening Examplesより2017年にリリースされたアルバム『The Notional Terrain』と対になる形で制作されており、“具体音をどう抽象化するか”という視点で環境音に電子音を足していく手法をとった『The Notional Terrain』に対し、『Ulysses』は“抽象的な具体音(物音や風の音)に対してどう物語的なキャラクターや展開を与えるか”という視点で素材を編集することをメインに制作されています。

また、本作のタイトル『Ulysses』はアイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの同名小説からとられており、本作のキャプションにはジョイスが作品に取り入れた手法であり元々は心理学の概念である「意識の流れ」をベースにしたとの記述もあります。

(以下の文章では都合上Leo Okagawaの作品を『Ulysses』、ジェイムズ・ジョイスによる小説を『ユリシーズ』と表記します)

1トラック42分ほどの本作は環境音を中心に、というかほとんどそれのみに聴こえるような素材で形成されており、いくつかの場面が切り替わっていくという構成を持っています。本作において私が興味を引かれたのはこの(多少は電子音やエフェクトも用いられていますが多くの場面が)フィールドレコーディングによって構成されている点と、その切り替えによって生まれる効果の部分です。フィールドレコーディングを用いた作品においては、それがドキュメント的というか、環境音以外の音響を用いないような純粋なかたちであればあるほど録音者の存在が色濃く意識され、結果的に作品が一人称的になるという傾向があるように思うのですが(それは例えばアルフォンソ・キュアロンの映画において長回しが続けば続くほど撮影者という存在が鑑賞者の脳内にチラついてくる現象に似ています)、本作における場面の切り替わりは(『ユリシーズ』の群像劇的な構成が予め情報として頭にあったからかもしれませんが)単純な録音環境/空間だけでなく人称の変更点としても機能しているように感じられます。先の映画の例えになぞらえるなら、長回しが続いた後にどこでどういう動機でカットを切るかと考えた時に、人称の切り替えというのは力を持つ選択肢になるでしょうし、『Ulysses』における時にショッキングであり時になめらかな切り替わりはそのような力点であるように私には思えました。

本作における環境音は場面ごとに(例えばハイファイな録音とカセット録音のように)ひどく録音の質が違ったりということはなく、ある程度統一感を感じさせるものなので、この部分は一人称的な印象を強める部分が大きいのですが、低音の存在に耳を向けてみるとその有無や響きの違いが各場面の空間の違いをより際立って認識させるところもありますし(特に13分辺りの車内を思わせる響き方は印象的です)、それは人称の切り替わりという意識を持って聴くことを後押ししてくれる要素にも思えます。フィールドレコーディングにおいて所在の知れない低音は多くの場面で混入してくるもので、例えばそれを素材として何かを制作する際にはカットしてしまったほうが都合がよかったりもするのですが、『Ulysses』では場面にもよりますがそれを混入させることで空間のシグネイチャーに用いたりまたは錯乱させたりという意図が感じられて面白いです。

『Ulysses』は一人の人間によって録音された様々な場面の環境音が移ろっていく作品で、そこでは“物語”が意識されているようですが、その物語は群像劇的なものであるように思え、故に情景の移り変わりには旅路のような強い必然性のある流れであったり、出発から到着のような明瞭なカタルシスはありません。場面の切り替わりによる風景や音量の変化も、前後の場面から受け取り受け渡していく何かを生み出すというより、そういった巨視的な物語へ回収されずただその場にたたずむ(それぞれ異なった)意識の存在を印象付けるだけのものといった風情があります。私はどちらかというともっとわかりやすくカタルシスに繋がるようなストーリーテリングが好きな人間なため、本作を現時点をもってLeo Okagawaの作品で最も好きなものだとは思いませんが、フィールドレコーディングを用いた作品における人称の存在や低音の扱いなど非常に興味深いものを感じさせてくれる作品でした(本作以前にフィールドレコーディングと人称についてきちんと考えたことはあまり記憶にありません)。本作を聴くことによって得られたこのような観点はLeo Okagawaの過去作を聴く際にはもちろん、自分がフィールドレコーディングを作品に用いる際にも少なからず影響してくるものになるでしょう。

本作の内容には人称の切り替えと群像劇的な構成という観点からみるとマイナスに作用しているような点がなくはないので、ここで述べたような方向性を作者本人が強く意識していたかはわかりませんし、本稿を読んだ後に初めて『Ulysses』を聴かれる方にはまずはこういった観点にあまり縛られずに聴いてほしいですが、少なくとも最初の20分ほどはそのような観点から鑑賞して非常に刺激的なものでした。

Leo Okagawa『Ulysses』は冒頭に貼っているレーベルのbandcampページでデジタル版がNYPで入手することができます。またCDはアーティスト本人のbandcampページからも買うことができます。日本国内から購入される場合にはこちらが価格や到着までの期間などあらゆる点で便利です。


最後に過去作について。Leo Okagawaの過去作には大雑把に分けて環境音を用い細かに編集がなされた系統の作品(『Ulysses』もこの流れに含みます)と、エレクトロニクスによる即興演奏をそのまま収めた系統の作品がありますが、前者に類する作品は『Ulysses』と合わせて聴いても面白いと思うので時系列順にまとめておきます。

記事の冒頭でも書いたように『Ulysses』とは対になる作品で“具体音をどう抽象化するか”という視点で制作された2017年リリースの一作。『Ulysses』を聴いた後だとこのコンセプトがよりしっかり認識できます。


Leo Okagawa個人のbandcampアカウントにのみアップされているデモや自主リリースの作品にも環境音を用いたものが複数ありますが、ここには『The Notional Terrain』と近い時期に出された本作のみを載せておきます。


ロンドンのレーベルFlaming Pinesが展開しているTiny Portraitsシリーズからの一作。2018年6月リリース。


フランスのテープレーベルFaltからの一作。カセットは売り切れですがデジタル版がNYPで入手できます。2019年5月リリース。


ベルギーのレーベルUnfathomlessからの一作。2019年10月リリース。彼の作品では何か特殊な環境の音にスポットを当てるというかたちでフィールドレコーディングが用いられることは多くない印象ですが、本作は福島県阿武隈高原の鍾乳洞での録音をメインに構成されています。そういった成り立ちもあってか『Ulysses』の後で聴いてみると一人称性の強い作品に感じられます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?