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(もう一つの)アルバムレビュー:Felicia Sjögren『HULDA』


スウェーデン・ストックホルム生まれ、現在はゴットランド島に在住し活動しているアーティストFelicia Sjögrenが発表した初の録音作品『HULDA』のレビューをTURNに寄稿いたしました。

そちらの記事では作品の(オルガンドローンやアンビエントとしての)位置付けや、主題と内容の関わりについて論じているのですが、書くにあたって行った作中で使用されたオルガンについての下調べや楽曲についての分析が、それだけでも結構な文量になったので、TURNに寄稿したものとは別の「もう一つの」レビューとして、以下にまとめておきます。マニアックな内容なので、まずはTURN掲載のレビューに目を通して、音楽的な成り立ちをより深く知りたいと思った方には本稿も読んでいただければ幸いです。



・使用されたオルガンについて

本作ではオルガン製作者Alfred Cedergrenによるリードオルガンが使用されています。上に掲載した写真から窺えるように、この楽器があるチャペル(兼オルガン・ミュージアム)には他にもいくつものオルガンが収蔵されているようですが、Feliciaが使用したのは写真でいう右から二番目、側面が写った大き目のモデルのようです。bandcampの紹介文によるとこのオルガンは2つのマニュアル(手鍵盤)に加え2つのペダル(足鍵盤)を備えているとのことで、機能の面でも規模が大きいものといえるでしょう。
リードオルガンはパイプオルガンに比べてサイズの小型化ができることが特徴であり、足元に空気を取り込むためのペダルを備えた足踏み式のもの(写真の中にはそういったモデルも写っています)はサイズ的にも構造的にも扱いやすいようで、目にしたり演奏に接したことがある方も珍しくないのではないかと思います。しかしながら本作で使用されたモデルの足元には足で操作する鍵盤としてのペダルが備え付けられてるので、おそらくこれは足踏み式ではなく送風機を用いて発音するものと思われます。

録音に使われたオルガンの図面。
楽器の手入れをしている人物であるPer Farinderが、改修のためにオルガンを分解した際の写真。サイズ感や確認できる構造からおそらくFeliciaがレコーディングに用いたモデルと同様のものであるように見えます。手鍵盤は1段しか確認できませんが、改修のために取り外されているのかもしれません。ナチュラルキーとシャープキーを備えた標準的な足鍵盤の上部に、9つの小さいペダルのようなパーツが確認できますが、パーツの配置から考えてこれらはナチュラルキーのみの足鍵盤(左から7つ)とスウェル・ペダルなどのエクスプレッション・ペダル類(右2つ)なのではないかと思います。あくまで推測ですが。
オルガンの側面に管のようなものが取り付けられているのが見えます。これが送風機からの配管である風導管なのかもしれません(にしては細いような気もしますが……)。



・調律について

この作品から聴こえてくる音程は標準的なA=440から明らかにズレており、他の調律が用いられていると考えられます。
私の方である程度推測してみたところ、おそらくA=434hz(5曲目の冒頭がAの持続音なのでそれを基に推定)辺りを基準としてピタゴラス音律と純正律が混ざったような調律になっているように聴こえます(ただし後述しますが2曲目のみ例外)。
作中で用いられる音程は「D#/Eb、E、F、G、A、B」 (調律の面で例外である2曲目ではC#とG#も用いられますがそれはここでは一旦省きます)。
これらの音程を聴いて、ポピュラーな音律上の最も近い音程にマッピングしたところおおよそこのような調律になりました。

BitwigのMicro Pitchデバイスで推測した本作の調律。Abletonなどにも近いデバイスがあるのでそれでも同様のセッティングが可能なはずです。
F=498centとG=702centは比率にするとそれぞれ4/3と3/2で、ピタゴラス音律において基準となる音程です(純正律においてもこの2つの音程は同じです)。E=408centはピタゴラス音律における三度。B=1088centは純正律における七度ですが、この音程に関してはあまり確信がありません。4曲目でのみ使用されるD#/Ebの音はかなり低域で鳴らされるため音程の聴き取りが難しいのですが、短三度と長三度の中間にあたるいわゆる中立音程に近いように聴こえました。作中で使用されない音程は黒塗りにしているので無視してください。

以下に続く楽曲ごとの分析における音程はこの調律に設定したうえでのものです。


・楽曲について

ここからは楽曲を1つずつ取り上げ分析していきます。

1. Mother Tongue

アタックが柔らかいだけでなく、そこにフィルターの開閉も加わったような魔術めいた音色の出入りが魅力的。こういった音色の出入りや、いわゆるADSRのS(サスティン)の変化の豊かさがこの楽曲の根幹といっていいと思います。ここで聴こえてくる音色の動きは基本的には(ストップの開閉で音色を作っていく)オルガンが不得意とする、それこそシンセならではといえるようなレベルのなだらかな表現に思え、最初聴いた時からどうやってこの音色を作っているのか不思議だったのですが、おそらくはオルガンのスウェル・ペダルを巧みに使うことによって実現しているのではないかと思います。
音程としては先に紹介した調律でE、G、Bの和音(とその転回形)が鳴っているように聴こえ、そのような和音が何種類かの音色で入れ替わり立ち替わり鳴らされているように聴こえるのですが、音色は基音がはっきりと耳に留まる状態ではなく、様々な倍音が基音以上に豊かに聴こえてくるため、この楽曲を五線譜上の音符の流れ(基音の足取り)に還元するのは、虹色の光に揺らめくカーテンを絵にするような難しさがあります。

スウェル・ペダルの効果については以下の動画がわかりやすいです。


2. Blackthorn

この曲は先に紹介した調律では音程が合わず、全体的に若干音程が下がっています。具体的には先の調律で基準音A=431hzとした辺りがしっくりきます。この曲だけ調律を変えたということかもしれませんが、全体的にピッチが落ちていることを考えると、環境要因(例えばこの録音を行った時だけ気温が極端に低かったとか)かもしれません。

「Blackthorn」の調律の推測。
この楽曲ではC、C#、F、G#の音程が用いられます。
C#=90centはピタゴラス音律における半音の単位であるリンマです。
G#=814centは比率にすると8/5でこれは純正律で用いられます。

以下の記述は上記の設定に調律を変更したうえでの音程です。
冒頭からやや低く唸っているような(音程が若干不安定に揺れているような)Cの音が持続します。また途中からC#も入ってきて、音程の揺れと衝突が重なり、結果としてだんだんと唸りの度合いが増していきます。
1:30辺りからFの音がせり上がってきます(おそらくはストップの操作で徐々になるリードを増やしています)。この音も音程がやや不安定です。
そこから更にG#、C#の音が加わります。
以降はFの音の出入りがあるくらいで大きな変化はないのですが、Fの音が鳴ったり止んだりするたびに、鳴っている他の音の聴こえ方に変化が起こり、耳が音の持続の中に勝手に旋律を見出すような働きが起こります。結果的に楽曲の構造的簡潔さに比して非常に旋律的な印象の楽曲であるように聴こえます。

3. City of Angels

非常に高い音域でのAやEの音が持続で始まる(途中で一瞬B→Cの動きも聴こえる)。この持続音は複数の音色が重ねられており、干渉も複雑で笙のようなサウンドになっています。この音色だけでとても魅力的。控えめにBの音も鳴っているような気がします。
2:09辺りで初めてFの音が鳴ります。以降は基本的にはE、A、Bの持続音に対しこのFの音が抜き差しされることで楽曲が進行していきます。このFの音は調律は先に紹介したものと変わりないように思われるのですが、音色の特性なのかアタックの部分でそれよりやや下の音程から上がってくるような不安定なベンドが聴こえます。微細な変化ですがこれが音楽全体に起伏を生んでいる印象です。
E、A、Bの音が鳴っていると思われる持続音はFが抜き差しされる中で徐々に音色を変容させていきます(おそらく遂次ストップを操作しているのでしょう)。
構造的には非常にシンプルですが、高音を多く用いた音色作りの妙によって、8分以上の間全く耳を離さない音楽になっているように思います。使う音域の違いによって構造的に近しい前曲とは印象のうえでは大きく異なっているように感じられるのも興味深い。このオルガンの高音域を非常に巧く活用した楽曲だと思います。

サントリーホールのパイプオルガンのオルガンの最高音を鳴らした動画。


4. Terram

低い音域でのD#の持続、更にGや不安定なB(?)も加わり徐々に干渉の度合いを増していくヘヴィーなドローン。
ここで聴こえるD#/Ebは先に紹介した調律、A=434での345~355cent辺りの音に聴こえます。なので実質EbとEの間の音です。またこの355centというのはピタゴラス音律の長三度(408cent)と短三度(294)のおおよそ中間に位置する中立音程と呼ばれる音程で、いわゆる「ザルザルのウスター」としてアラブ音楽で用いられた音程でもあります。
また不安定なBについては若干音程の上ずった、BとCの中間辺りの音程に聴こえます。
使用されているのは非常に低い音域ばかりで、私の聴力では2:00辺りからは音程の明確な聴き取りがほとんどできず、混濁した響きの塊として耳に入ります。
足鍵盤の最低音付近を使ってこのオルガンの(低いほうへの)音響的限界を作品化したものに思えます。その意味で、高音を活用した前曲とはコントラストがあります。
途中からは音程のはっきりしない、籠った風の音のようなものが左右に意味深に徘徊するのも聴こえます。

サントリーホールのパイプオルガンの最低音を鳴らしている動画。コメントで工事現場の音や暴走族のバイクなどと言われております。


5. Exis 

Aの音の持続に始まり、それより低い音域でのF→Gの動きが加わります。この動きが全体を貫く楽曲の根幹となり、そこに高い音域のEの持続や、更に高い音域でのG→Aの動きなどが重なっていきます。耳に留まるフレーズは2つの音程を行き来するだけのようなシンプルなものですが、それが持続音と重なりながら、低音域と高音域で表れるため、聴き心地は思いの外複雑です。カノンのように聴こえてくる時間もありますが、フレーズの動きは綺麗にズレていくようには聴こえないので、おそらく即興的に音程の行き来を奏でながら、ストップの操作で音色や音の厚みを変えていくことで音楽を形作っていく方向性なのではないかと思います。
時間が進むにつれ重厚な響きがそびえ立ち、本作の中でもわかりやすくスケールの大きな、これぞオルガンといったサウンドで、それがオルガンを音響発声装置として扱ったような前曲の超えた地点に表れるため、クライマックス的な快楽性があります。
ただし作風としてはどっしりとしたドローンを基盤としたものであるため、狂騒の色合いはなく、その場に佇み何かを待ち続けるような、沈静の時間が流れます。



・最後に

2023年、私の生活はなんというか小忙しい感じで、音楽との接し方について(主に作品を聴くことについて)もそれに同調してなのか散漫なものになってしまった印象が強いのですが、本作はそんな一年の中で最も「その作品を聴いている時、それ以外のことを考えない」時間をもたらしてくれるものでした。本作はドローン・ミュージックと捉えると各楽曲は時間的にコンパクトですし、各曲に様々な面での差異を聴き取ったり、楽曲ごとの性質の違いによって生まれる妙もあったりと、その魅力は例えば長時間の持続によって聴くものを瞑想状態へと促すような音楽とは異なっているのかもしれません。しかしながら本作の5曲の並びによって(散漫な意識が一つに収束されることによって、「何も考えない」や「ただ聴く」ではなく「そのことだけを考える」時間を実現することによって)導かれる「祈り」は、感覚的にどこかしら瞑想と重なるもののようでもあり、そうでなくとも、今の私にとってかけがえのないものであることだけは確かです。



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