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アルバムレビュー:Mette Henriette『Drifting』

2015年にECMより2枚組のセルフタイトル作『Mette Henriette』でデビューしたノルウェーのサックス奏者/作曲家による、実に8年ぶりとなるセカンド・アルバム。前作はいきなり2枚組で、ECMというレーベルには珍しくセルフタイトルかつ音楽家自身のポートレート写真がジャケットになっているという仕様であったため印象に残っている方も多いのではないかと思います。

本作『Drifting』はMette自身によるサックス、Johan Lindvallによるピアノ、そしてJudith Hamannによるチェロという室内楽的な編成で演奏されていますが、これは前作のDisc 1と同様の編成(ピアノは同じくJohan Lindavallですが、チェロはKatrine Schiøtt)なので、連続性を見出しながら聴くことが可能な仕上がりといえるでしょう。
そしてそのような観点で前作のDisc 1と本作を聴き比べた時に個人的に最も印象に残る差異は録音における残響などの具合です。具体的には前作に比して今作は残響がより多く含まれたような、若干霞がかった録音となっています¹。
そしてその残響によって、演奏自体も(集中して聴けば曲の核となるフレーズや和音のパターンなどが掴めるものが多いにも関わらず)曇りガラスの向こうでゆったりと踊る影を見るような、朧気かつ線的な抽象性を高めているように聴こえます(もちろんこれは残響の効果だけではなく、作曲、演奏の面での工夫によるところもあるでしょう)。

しかしながら更に印象深いのが、本作は前述したような朧気かつ線的な「抽象性」を保持しつつも、多くの時間で楽器の音が触覚性を深く伝えてくるところです。
例えば2曲目「Across the floor」の冒頭、サックスの重音奏法によって高域のハーモニクスがフラフラと不安定に立ち上がる瞬間や、他にも作中のそこかしこにあるサックスの息の音から遅れて実音が鳴りだす様は、冷え込んだ日に手に息を吹きかけた際にその温かさがじんわり肌の奥に伝わってくる時のディレイ感を喚起させますし、3曲目「I villvind」のピアノの上昇と加工が連なるフレーズとサックスの息音の重なりは蔦の間を吹き抜けてくる風が頬に当たるが如く²、4曲目「Drifting」でピアノが控えめに、しかし最低限の輪郭を掴み損ねないように和音を鳴らし続ける様は、砂浜を歩く際に埋まった足の裏の力感で瞬間的に柔らかい砂の中に「底」を見出す際の機敏さに相似します³。
リバーブは極端に強くかけると普通はここで触れたような息や打鍵の力感をマスキングするほうに働きますし、ECMの諸作品に見られるそれにも(極端ではなくあくまで一般的なジャズの録音に比してという程度ですが)そのような印象はあったのですが、本作におけるリバーブはむしろ楽器の音に潜む様々な触覚性を耳まで運んでくれる機能を果たしているように思えます。
特に演奏中における弱音に対してそういった機能は際立っているように聴こえ、深読みするなら、ここにおける弱音は、音を定量化して配置していくことの連なりとしての作曲が要請したものというだけでなく、リバーブを乗りこなすための(またはリバーブの奥、音の手触りが感じられる距離感まで聴き手の意識を誘い込むための)策として発されている側面が相当あるのではないかとすら思えます。

クラシカルなアーティキュレーションの妙を感じさせる室内楽的ジャズとして非常に美しい作品であることはもちろん、ECM作品に感じたことがないレベルの触覚性⁴と、それが促す弱音と残響の関わりへの思考という点を以って、本作は(リリースされたのが1月だったこともあり)2023年の間ずっと、更には年を跨いだ2024年1月の空気の中でも、私の心を惹き続けます。



¹録音場所は前作がECM作品ではお馴染みのオスロのRainbow Studio、今作がオスロのムンク美術館で行われています。前作がいかにもスタジオ・クオリティの澄んだ音像とナチュラルなリバーブを特徴とするのに対すると、本作は(おそらく録音のための整音がなされているわけではない)美術館の室内の響きによるものか、輪郭がまろやかに滲んだようなサウンドに聴こえます。
²Mette HenrietteとJohan Lindvallがノルウェーを拠点としていることによる先入観もあるかと思いますが、本作にはここ以外にも音が様々な強度の冷たい風を想起させる箇所が多くあります。私はずっと九州に住んでる人間なので寒い地域の冬の風を本当の意味では知らない身ですが、それ故本作の音が、そういった地域に住む人にはどのように聴こえるのか気になったり。例えば津軽三味線の音と雪やそれを運ぶ日本海の風の感覚的共鳴がつぶさに描かれる『雪闇』を書いた藤沢周ならこれをどう聴くだろう。
³ジャケの感じからここで雪原を踏みしめる感触などを比喩に用いることが出来れば格好がつくところでしたが、私はほとんど雪が積もらない地域に住んでいるためそういった感触が身体化されておらず、代わり(?)に出てきたのがこの砂浜の例えです。なぜなら砂浜なら家から徒歩1分である。
⁴本作を聴いて以来、ECM作品の(リバーブに特徴付けられる)サウンドに対し、リバーブの奥に手を伸ばすような、触覚的な聴取が機能しだす距離まで意識を潜らせるような聴き方をするのが楽しくなりました。もしかすると、今まで私がECMのサウンドに対して持っていたイメージはステレオタイプすぎたかもしれません。


前作も大変素晴らしいので合わせてどうぞ。


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