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ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』を読んだ
一年以上前に友人から勧められるかたちで借りていたヴァージニア・ウルフ『灯台へ』を読みました。なかなか手強そうでずっと放置していたのですがいざ読み始めると十日ほどで読了し、私にしてはスムーズに読めたほうかなと思います。
ヴァージニア・ウルフについては名前だけは一応聞き覚えがあるものの作家の時代や位置づけなどは全く知らず、今作についても読む前にほんの少しだけ調べていわゆる「意識の流れ」の系譜に属する作品らしいということだけ掴んだ程度でした。
私は「意識の流れ」の系譜にある他の有名な作品も未読であったため、結果的に本作はその技法的な面白さやもたらされる効果を新鮮に体感できる一作となりました。
特に第3部「灯台」におけるリリー視点の言葉の迸りは凄まじく、何気ない一瞬から計り知れない時間を生み出すこの技法の神髄が、一種のトリップ感として表れているようにすら感じました。
と同時に、迸る思考と言葉の間の速度的な壁を思い知るようでもあり、つまりは思考というのは言葉で行われているようでありながらそれを超えている瞬間が結構あるのか?などと考えてもみたり。
以下は読みながらの印象を記したツイート群です。備忘録として。
ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』やっと1/3ほど読んだところだけど、人が何気ない動作をするその瞬間の内面を描写するだけでこれほどの時間を生み出せることに言葉の質量的な遅さを感じたりしてなかなか興味深い。
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) December 24, 2023
あくまで意識のうちを書き連ねているだけとこれを捉えた場合、果たしてこれはリアリズムなんだろうか?読んでいる感触としてはそう感じられる時もあるけどいつの間にかファンタジー読んでる気分になってることに気付くこともある。
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) December 24, 2023
あと意識のうちの切れ目ない考えの連なりが、何かによって断たれる瞬間が描写されている箇所にとても快楽性がある。これはある種の音楽で感じたことのある感触に近いようで、より複雑かも。
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) December 24, 2023
ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』の第1部18章、会食の場面でのやり取りで出席者の意識のうちの描写が入れ替わり立ち替わり延々と続く。この場面でそれをやると単に長くなるってことに加え「社交」に対する批評めいた意味合いが滲んでくるけど、そもそもそういった場が苦手な私にとってはこれはまず一種
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) December 25, 2023
の地獄巡りとしての味わいが強すぎる笑
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) December 25, 2023
ここ2日ほど読めていなかったヴァージニア・ウルフ『灯台へ』を読もうとしたら掴めていたはずの空気感(?)がうまく感じられず再開するのに結構な抵抗を感じた。瞬間のつぶさな連なりによって構成されている故に流れを失わない読み方(なるだけ中断のない読み方)が適した作品なのかな。
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) December 28, 2023
ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』やっと第2部「時はゆく」に入ったところだが、その冒頭から続く闇夜の描写で、この作品において初めて明確に語り手の存在というものを意識する。映画の長回しが執拗になればなるほどカメラ(撮影者)の存在が意識されるように、言葉による描写が精密になればなるほど語
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) December 29, 2023
り手というか作者の存在が意識されてもよさそうな気はするけど、この作品においてはここに至って闇や風の描写が出てくるまでは不思議とそれを意識することはなかった。なんでかはわからん。
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) December 29, 2023
すごい。 pic.twitter.com/wuqeEfAqu2
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) December 29, 2023
ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第2部「時はゆく」凄すぎる。まず第1部からそういう風に展開するとは思ってもみなかったので驚きだけでも結構なものだが、「廃墟」という存在を言葉でこれほどまで表せるものか…。
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) December 29, 2023
世に数え切れないほどあるであろう、何なら自分のすぐ隣にもある類の「廃墟」に感じられるうら寂しさと静的な美しさ、それが複雑に入り混じる様の描写から、淡々としながらも透徹したロマンチックさを感じられる。
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) December 29, 2023
ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第3部第4章、絵画について、または絵画的な瞬間やそれをもたらす資質についてつらつらと綴られる。そしてそれが導く「人生がここに立ち止まりますように」という啓示にとても惹かれる。ここは忘れられないパンチラインになりそうだ。
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) December 31, 2023
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) January 1, 2024
ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第3部第5章どこまでいくんや的意識の迸りに満ちた一章。登場人物というより作家の側の息継ぎしない決意みたいなものを感じた。
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) January 1, 2024
ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』を読み終えた。第3部についてはとにかくリリー視点で綴られている章の言葉の密度が印象に残るのだけど、一方でジェイムズの視点からの箇所(父への態度や距離感)も自分は妙に気になった。
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) January 1, 2024
リリー視点の密度の高さについてはあとがきなるほどと思える理由が書いてあるんだけど、自分はこの本を全編に渡ってあまりそういうものとして読んでいなかった。で、その理由を考えると、もしかしたら私には「娘」の視点から見た母なり父というものが全く想像すらできていないのではないかと思った。
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) January 1, 2024
この小説が「息子」の立場から書かれていれば、おそらく私は全く違った読み方をしたんじゃないかと思う。これは作品にそのように促すギミックがあるというより、自分の小説ってものの構造に対する感度の鈍さによるものだと思うので、ただただもうちょっといろいろ読まないといかんなとなる。
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) January 1, 2024
作家自身の決意めいたものが詰まっているのは明らかに第3部で、第2部は全体の中でいうといろんな機能や効果を担う技巧的なパートという捉え方はできそうだけど、自分がこの作品で読み直したくなる箇所が多いのは圧倒的に第2部だと今は思う。夜の隙間風の擬人的(?)な描写とか、主人を失った家が傷んで
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) January 1, 2024
いく場面とかめちゃくちゃいい。
— あけおめことよろすずだよ〜 (@yorosz) January 1, 2024
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