見出し画像

アルバムレビュー - Phil Maguire『zeemijl』

Dinzu Artefacts、falt、Soft Error、Hemisphäreの空虚などの実験音楽をメインに扱う小規模のレーベルから多くの作品をリリースし、自身でもレーベルverzを運営しているスコットランド出身のアーティストPhil Maguireが2020年に自主リリースした一作。

彼の作品の多くはコンピュータ、シンセサイザー、そしてテープなどの録音機器を組み合わせて制作されていますが、本作は2019年4月にストックホルムのEMSに滞在し制作されたもの(エディット、ミックス、マスタリングは2020年4月)ということで、そちらが所蔵するSergeシンセサイザーを用いた音響作品となっておりやや毛色の異なる作品といえるかと思います。


彼だけに限ったことではありませんが、前述した実験音楽をメインに扱ういくつかのレーベル(挙げているもの以外にも今は沢山あります)から作品を出しているアーティストによく見られる制作上の特徴として、まずシンセサイザーやテープ機器、自作の発音機器などで一度作動させると自動的に音が出続ける仕組みを構築し、そこに規則的な動作や変化が生まれる要素を予め組み込んでおくおことで実際の演奏中に演奏者自身の操作によって生まれる意図の介入を少なくし、意思や感情を持たない環境音にも近いような無色なサウンドを目指す傾向があるように思います(そのため彼らの音は演奏として注意深く聴くこともできる一方で環境音や生活音に接するように聴覚を素通りさせるように接することも受け入れるといった、ある意味ではアンビエントのコンセプトに似た特徴があります)。


Phil Maguireのこれまでの作品もこういった傾向を強く有するものでしたが、それはやや毛色の異なる制作となった本作でも変わらず現れ、非常に効果的に機能しているように感じられます。

本作の内容は65分に及ぶドローン作品であり(現在様々に広がりを持っているドローン(に近い長い音)を用いた層やつづれ織りのような形態に纏められた音響作品といった広い意味でのそれではなく、単一な持続音が続く純粋なものです)、タイトルの『zeemijl』はオランダ語で「海里」を意味します。このタイトルが非常に的確で、本作の変化なく持続するサウンドはさながら運航する船の船内に響くエンジン音のようです。ごく個人的な体感の話になりますが、私は読書する時に音楽をかけることがあまりできない人間で、“無視することができる” とされるアンビエントでもかけていると止めたくなるもののほうが多いのですが、本作はかなり大きめの音でかけていてもさながら運航する船の中で本を読んでいるような感触を呼び起こすだけで、耳や意識が環境に起因する不可避なものに対するように音を素通りさせるように作動してくれるため、珍しく全く邪魔に感じることなく読書を続けることができました。


先に挙げたような “無色なサウンドを目指す” 特徴を持った音響作品は、それが制作される際にカセットテープなどの古くチープな機器が多用されることから手法的にはかなり昔から可能なものであったはずですし、実際そういった作品はおそらくあったのでしょうが、2010年代に入ってしばらくした辺りからそれをメインに扱う小規模なレーベルが多く活動を開始するなど体感ではかなり盛り上がってきているように感じます。この盛り上がりには何かしら理由があると思うのですが、自分が思い付くのはMaxなどの簡単に扱える音響プログラミング環境の充実やモジュラーシンセの再興によって専門的な知識のない人間でも自動的に音を発生させ続けるシステムを簡単に組めるようになったことで、音への接し方や価値観が変わったためという側面があるのでは?というところです。最近ツイッターでフォローしているとあるサウンドアーティストの方が「最近は生活の中でDAWを開くのも面倒で、ちょっとした時間にモジュラーで音作って録音もせずただ聴いてる」とツイートされてたのが示唆的だったんですが、正にこういった変化が多くのアーティストにも起きていて、その態度が表れたのがこういった音響作品やそれを扱うレーベルの多発なのではないかと。

そういった意味では本作『zeemijl』は、自由なシステム構築を長所とするモジュラーシンセにおけるヴィンテージの一つといえるSergeシンセを、現代の状況の中から生まれた視点で扱った一作ともいえるでしょう。例えばモジュラーシンセによるドローン作品の古典であるEliane Radigueの作品群などと比べると、本作は傾聴や深い体験へ導くような側面がより薄く、聴覚を素通りさせることを真っすぐに目指すようなシンプルさがあります。



レビューで言及したような指向を持つ作品を多くリリースしているレーベルをいくつか挙げておきます。是非聴覚を素通りさせるようなドライな態度で適当に再生してみてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?