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アルバムレビュー - Merzbow『Dadarottenvator』

メルツバウが1995年にドイツのレーベルPraxis Dr. Bearmannより木材ケースとレコードという仕様でオリジナルをリリースした一作。限定生産だったこともあり入手が難しい状態となっている作品でしたが2020年5月にイタリアのUrashimaよりLP/デジタルで再発されました。再発LPもオリジナルの意匠を意識した木材仕様となっているのも素晴らしいですが、個人的な事情でなかなかLPには手が出ない身としてはデジタルアルバムでも購入できるのは大変嬉しいポイントでした。(ちなみにUrashimaは昨年同じく90年代のメルツバウ作品である4枚組CDボックス『Metalvelodrome』の再発も手掛けています)

本作の録音とミックスは1994~1995年。正確には録音(Recorded)とミックス(Mixed)の他にもDecomposedやPerformed、Remixedなどの記載があり、分解や再構築などの複雑な過程を経て制作された作品であることが伺えます。94~95年はメルツバウの創作史において『Venereology』や『Pulse Demon』など非常に評価の高い作品の録音やリリースが立て続けに行われていた時期に当たりますが、複雑な制作過程もあってか『Dadarottenvator』はそれらの作品に顕著に表れている90年代メルツバウの作風のうえでのいくつかの特徴にストレートに当て嵌まらないものを抱えた一作となっています。

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オリジナルLPのクレジット(Discogsより引用)。Decomposed、Remixedなどの記載がある。


90年代のメルツバウの作風の特徴は簡潔に述べるならばライブ活動の活発化に伴う爆音化とリアルタイム演奏の重視ということになるかと思います。80年代のメルツバウはライブ活動はあまり行っておらず、偏執的なテープ・コラージュを用いて荒んだ音響とループを基調としたインダストリアルな音作品を創作していましたが、89年のヨーロッパ・ツアーをきっかけにライブ活動を活発化させ、これに伴い録音と複雑な編集を前提とした創作体制にも変化が生まれ、爆音による生演奏を重視するライブ活動のフィードバックが録音作品においても表れるようになります。以下でそのように捉えられるポイントをいくつか挙げてみます。

①メタル(金属)素材の重用

ライブ活動で用いるという事情からこの時期のメルツバウは機材構成のシンプル化(可搬性の確保)が必要となり、時にはライブを行う地で入手した金属などにコンタクトマイクを取り付けることでインスタントな自作楽器を創作することもあったようです。メルツバウのシグネチャー楽器となっているフィルムケースにバネを取り付けコンタクトマイクを仕込んだ自作楽器もこういった必要性から生まれてきたものといえるでしょう。このため90年代のメルツバウ作品ではいわゆるノイジーなサウンドを生み出す主要音源としてメタル素材が重要な位置を占めています。

②反復するサウンドの混入

加えてこの時期のメルツバウの演奏の大きな特徴となるのが“反復”の要素です。これは元々はライブ演奏において並走する複数の音のラインを同時に鳴らすことへの現実的な策という側面があったのではないかと推測しますが、結果的にはこの時期の演奏の中で即興的に変化するノイズの演奏ラインに対して様々な意味で対比的に機能しており、演奏に起伏を生む重要な要素となっています。手法的にはこれはディレイペダルに電子音やメタルの演奏を入力し延々ループさせることによって生成されることが多く、無機質で表情なく反復するのですが、これが激烈なノイズ音響との対比で様々な意味合いを持って聴こえてくるというのが聴くうえでの面白みです。

ここまでの“メタル”と“反復”の要素についてはライブ活動に伴う必要性から導き出されたものと捉えることが自然にできると思いますし、すなわちライブ活動の活発化という事象はメルツバウにとってそれほど大きな転換だったといえるでしょう。

③シンセの導入

更に90年代といってもその後半、正確には94年の後半からはシンセの導入というまた一つ大きな転換があるのも考慮しておかなければなりません(この点はライブ活動からの必要性というよりは新たな創作体制への興味からきたものと捉えるのが自然にも思いますが、90年代のメルツバウを捉えるうえで非常に重要なため挙げておきます)。70年代の終わりに活動を開始したメルツバウでは80年代初頭の一部の作品を除いてシンセサイザーの使用は意図的に避けられていましたが、94年の後半にEMS Synthi ‘A’を購入して以降は多用されるようになります(後にはEMS VCS3も導入)。先に94~95年に録音された代表的な作品として挙げた『Venereology』と『Pulse Demon』でも、前者はシンセ導入以前で後者はシンセ導入後の録音であり、サウンドは大きく異なります。この転換のタイミングは(後述しますが)『Dadarottenvator』を聴くうえで重要になりますし、他のメルツバウ作品を聴くうえでも知っておくと面白いと思うのでしっかり記憶していただくといいかもしれません。


80年代~90年代の創作の流れと、90年代の作風の特徴を駆け足で押さえたうえでここからは『Dadarottenvator』の内容に入ります。本作における90年代の作風の特徴にストレートに収まらない要素というのは簡潔に言ってしまうとその複雑な制作過程からも伺えるコラージュ性です。90年代の他作品でもライブ性を重視しているとはいえ複数の異なるテイクをミックスするなどといった編集は行われているのですが、本作の特にA面「Necro Jazz Suite」ほど矢継ぎ早に異なる演奏が接続されているのは稀かと思います。またそこにはノイジーな生演奏の素材だけでなく、サンプリングされた音声によって形成されたループも随所で混入しており、80年代の作風を想起する瞬間も少なくありません(作品の詳細にはMIDIサンプラーは使用していないとの記載があるためこういったループはテープ・コラージュで制作されたものかもしれません)。このA面「Necro Jazz Suite」はDiscogsなどで調べられるオリジナルリリースの情報によると本来10のパート(曲名)が記載されており、いくつもの音源を圧縮接続したコラージュ組曲といった構想はかなり意識的なものであると考えられます。ちなみにこの作品の制作時期にはメルツバウがEMS Synthi ‘A’を購入したタイミングが被っていますが、作品詳細の文章によるとシンセは使用されておらず、そのうえ90年代の①や②の要素、そしてサンプリング・ループという80年代を思わせる要素が混在していることから、94年前半までの作風/演奏素材にランダムにアクセスしていくカットアップ演奏といった趣もあるように感じます。

「Necro Jazz Suite」の終盤ではブラスのサンプルが現れるのですが、こういう音使いが入るとやはり80年代の代表作『抜刀隊』がよぎりますね。

80年代メルツバウのインダストリアルな音響とループ性を堪能できる『Agni Hotra』


また、そういった矢継ぎ早な編集によって先にも述べた“反復”するサウンドの意味合いが変質しているように感じられるのも非常に興味深いです。「Necro Jazz Suite」での反復要素は先述した90年代の作風に見られるようなノイズの演奏ラインとの並走をしっかりと形作る前にすぐさま別の反復へと書き換えられてしまうことが多く、ノイズとの対比よりもリズムから他のリズムへといったかたちでの変質/切り替えが意識に食い込むことが頻発し、その結果として非常に忙しなく前のめりなものではありますが“踊れる”サウンドになっているように感じます。メルツバウの作品において“踊れる”傾向が出てくるのはシンセの使用が本格化し、テクノの影響も取り入れた96~98年辺りからと認識していたのですが、その時期のフィルターの開閉による上下感(ひいてはグルーヴ)の表現とは異なるかたちではあるもののこの時点で何らかの“踊れる”表現を成しえていたことには驚きました。96~98年辺りからの作風でダンサブルな感触を生み出す要因としては低音の強調という面もあるのですが、この点でも「Necro Jazz Suite」は異なっていて、この曲ではむしろローがあまり強調されない軽快な聴き心地によってそれが生み出されているように思います。

98年リリース『Tauromachine』からの1曲。細かい上下動を感じさせる律動があり、メルツバウがテクノからの影響を独自に昇華しています。

2005年リリース『Merzbuddha』からの1曲。00年代に入ってからのメルツバウはしばらくPCでの制作に専念しますが、その中で90年代に見せた低音の強調を更に推し進めたような作風も披露しています。


この「Necro Jazz Suite」から感じられる編集で生まれる価値の大きさというのはやはりどちらかというと80年代の作品において顕著だったものであるように思うのですが、同時に編集のテンポ感というか圧縮性みたいな部分ではビルドアップしている印象もあり、この点を近い時期の作品と結びつけるなら同時期に7インチやコンピレーションへ提供していた小品が挙げられるかと思います。少なくとも小品において見られた(時間的な制約から生まれた)圧縮性にサンプリング要素を投げ込むと本作のような成り立ちになるのでは?という想像はできます。

個別に7インチやコンピをチェックする以外でこの時期の小品を聴く手段としては、4枚組CDボックス『Metalvelodrome』のディスク2があります。スローダウンからリリースされている『小品集 Vol.1』『小品集 Vol.2』も手っ取り早いです。


続いてB面の「Koji Tsuruta Had Big Grinder」について。曲名のKoji Tsurutaはおそらく俳優、歌手の鶴田浩二のことでしょう。曲中で男性の声がサンプリングで何か所も用いられているのですがこれらも鶴田浩二の声であるように聴こえます。他にも劇中音楽と思われるような音楽的な素材も多く顔を出しますが、これらも鶴田浩二の出演作から合わせて使用されたものかもしれません。こちらも80年代の作風を思わせるコラージュ手法が用いられている点はA面に通じるのですが、それによって生み出されるサウンドの様相やそこから感じられる感触は異なっているように思います。

細かな“反復”の切り替えがダンサブルな感触に繋がっていたA面に対し、B面での音の編集/接続はフェードイン/フェードアウトで行われることが多く、全体的に比較的滑らかかつ掴みどころのないものとなっています(語弊を恐れず言えばアンビエントやドローンに近い聴き心地をもたらす時間もあります)。22分の収録時間のうち14分辺りまでは基本的にこのような聴き心地が持続する中で、8:30~9:00辺り、または11分辺りで強烈な電子音(情報をしっかり確認するまでシンセかと思っていました)が食い込むことによって起伏が生み出されている印象です。そして14分辺りからは一変して反復するサウンドとノイズやサンプル音声の並走が盛大に展開されることでアルバムのクライマックスとなっています。確証はないもののその引用元が想像できる状態でサンプリングが行われていながら、様々なサウンドが浮かんでは消えていくといった風情で扱われる本トラックの14分辺りまでの音の構成には、メルツバウが大きな影響を受けたGRMのミュージック・コンクレートを想起させられる部分もありますし、非常に強力なコントラストとなっている以降の展開も素晴らしく、個人的にはA面以上に好みであるとともに、メルツバウの作品の中でもなかなか近いバランスのものが思い浮かばない不思議な作風の1曲であるように思います。


40年以上に渡り、それも尋常ではないペースで創作を続けているメルツバウの作風は、いくつかの時代や期間に区切ってその時期にメインとなっていたものを挙げることが可能なのですが(例えばこれまで何度も言及してきたような80年代のコラージュ、90年代のメタル、シンセ、そしてゼロ年代に入ってからのラップトップ期といった具合です)、いくつも作品を聴いているとそういった主な流れに収まってくれない作品というのに少なからず出くわすことになります。そして興味深いことにそういった作品には傑作が多いようにも思います。本作『Dadarottenvator』もそういった部類の非常に強力な一作であることは間違いないと思いますし、90年代の中間地点(シンセ導入の直前のタイミング)においてそこまでの作風への自己言及としてDecomposeやRemixeを行った作品とも捉えられるため、メルツバウの作品に対し作風の変遷を意識しながら聴くようなより広い視座を得るには絶好の一作であるように思います。是非とも、より気軽に聴くことが可能になったこの機会に触れてみてください。


*この記事では公開当初、私がB面の8:30~9:00辺り、または11分辺りでシンセを使用しているように感じたため、制作の時期なども考慮の上B面でのみシンセを使用したのではないかという推測の基で書いた部分がありましたが、作品のキャプション(bandcampの作品ページに掲載)にシンセサイザーは使用していないとの記述がありました。それらのサウンドはすべてチープなエレクトロニクスによるものだったようです。その状態で公開していたのは数時間ほどですし、その時点であくまで推測で書いているということも記載しておりましたが、目を通された方に誤った印象を伝えてしまった可能性があります。大変申し訳ありませんでした。




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