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BEST OF 2021(11~20位)

2021年の年間ベスト、11~20位です。続きはなんとか今週末中にはアップしたい。ジャケ画像にbandcampのリンクついてます。リンクは貼ってないですがサブスクにもほとんどあるはずです。


20. Yosuke Tokunaga『9 Mezzotints』

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2010年代に自主レーベルTOSTからのリリースで突如として注目を集め、以降Strange RulesやAudio.Visuals.Atmosphere.などからも作品をリリースしている日本人音楽家Yosuke Tokunaga。本作はドイツ・ベルリンのアンビエントレーベルVAAGNERから発表された一作。過去の作品ではミニマル・ダブの系譜を感じさせながらも、それを抽象的かつ疎に分解していくような音楽性を見せていましたが、本作はVAAGNERからということもあってなのかピアノなど楽器のサウンドがはっきりそれとわかるかたちで用いられている割合がかなり高くなっており、大雑把に言ってしまえばグッとアンビエントに接近した内容。これまでの作品でも、その持ち味であったダブ的なエフェクトの妙味にはアンビエントとして聴くことのトリガーを自然に引いてくれる感触が潜んでいましたが、本作ではそこが前面に出た感じかなと。楽器のサウンドをわかりやすく用いつつ…ってとこなど含めて同年のUlla『Limitless Frame』と近い歩調の作品と捉えることできそうです。ダブっぽいサウンドっていうとその系譜的にサウンドシステム~クラブってイメージに繋がりますし、現在の「ミニマル・ダブとアンビエントの新たな蜜月」といえる流れにおいてもそれは(特にUKのアクトに)多少は感じるんですが、本作やUlla『Limitless Frame』はそこからサウンドを引き継ぎつつ「チェンバー」な雰囲気を持つ音楽へと巧く移行できていて、これって何気に他にあまりない感触の音楽ではないかなと思います。あとYosuke Tokunagaはこの年Second Sleepからもアルバム『12 CONNECTEDNESS』をリリースしてるんですが、そちらはこれまでの作品を正統に深化させることで凄いところにいってるみたいな作品で、本作に負けず劣らずな傑作です(Huerco S.以降のダブとアンビエントの関わりや、最近のsfericのリリースとかチェックしてる方は絶対聴いたほうがいいです)。


19. Okkyung Lee『Na-Reul』

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韓国出身でアメリカを拠点に活動するチェリストOkkyung Leeによる作品。彼女は2020年に父親を見舞うために楽器も持たず韓国に戻ったところ、コロナ禍に伴うロックダウンで数か月NYに渡れなくなり、その間練習も作曲も出来ず、疎外感を感じ音楽との関係性を見失ったといいます。そこへ新しいソロ作品の依頼があり、音楽との関係性を取り戻しながら制作されたのが本作ということのようです(コロナ禍に伴う帰郷と足止め、などの影響を受けている点ではLi Yilei『之 / OF』と重なるところがありますね)。即興演奏の分野で活躍し、個人的にも『Ghil』や『Dahl​-​Tah​-​Ghi』といったソロ作品での凄まじい演奏が印象深い彼女ですが、本作はソロ作品ではあるものの ''All music composed, performed, and produced by Okkyung Lee'' との記載があるようにオーバーダビング等も積極的に用いた作曲作品集となっています。作曲作品というところや音数の配置、バランスなどで2020年の『Yeo​-​Neun』を、そして韓国の伝統音楽の影響を感じさせる部分は2018年の『Cheol-Kkot-Sae (Steel.Flower.Bird)』を想起させますが、それらに比しても何か非常にストレートに入ってくる音楽に感じました。特に韓国の伝統音楽が昇華されているように聴こえる1曲目や、こちらは大衆音楽へのオマージュのように響く3曲目は、どちらも「線」的な音のみで描かれる音楽でありながらそれらの重なり/絡まり方が対照的に思えて、どちらにもとても惹かれます。他にもピッチカートによる「点」的な音を上手く用いた4曲目は『Yeo​-​Neun』の楽曲に近しい印象がありますし、弓奏で基音がはっきり出ていないいわゆる摩擦音や楽器の軋みなどを薄い陰のように排した5曲目、一人グルーヴボックスセッションとでもいう風合いの6曲目、音で何らかのジェスチャーのやり取りをしているようでもある7曲目と、それぞれに異なる工夫が見えますし、4、5曲目での不規則に音程が乱高下するチェロの「泳ぎ」には『Noisy Love Songs』におけるアンサンブルの中での振る舞いを想起したりもして、ソロ作でありながら何気にこれまでの作曲/アンサンブルワークの総決算的な見方もできそうな一作に思います。自分の耳が今、擦弦楽器の切れ目ない線的な動きに関心があるというか、単純にそういうのかなり好きになってるのでそれでよく聴こえてる面もありそうですが、でも非常に低い音域から徐々に音程が上へ上へと重ねられていくラスト9曲目の美しさは揺るがなさそう。これはヤバいめちゃくちゃいい曲。


18. Kelman Duran『Night in Tijuana』

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ドミニカ系アメリカ人プロデューサーKelman Duranによる作品。無さんの年間ベストで興味持って聴いてみたんですがこれヤバかった。ザラっとした音質のレゲエ、スピリチュアル・ジャズ、あとラテン?なんかがボワーンとした電子音に包まれたりクラシカルな弦やピアノのちょっとしたシーケンスをブリッジに混交されたミックステープ的な仕上がりの作品ってことでいいのかな。おそらく自身で奏でている電子音のエフェクトなどにはダブの影響を感じるものの、サンプリングではもっとプリミティブなダンスホールものやレゲトン?を放り込んでて、でも全体の印象は騒がしくなく、何聴いてるんだかわからなくなるような瞬間が多々ありながらも落ち着いてずっと聴いていられるなんとも変で最高なアルバム。同年のMadteoのアルバム『Head Gone Wrong By Noise』に通じる呪術性もある気がするので、そっちで踊った後にこれで徐々にクールダウン的に聴くのもよさそう。あとめっちゃ雰囲気あるジャケにちょっと『サタンタンゴ』想起したりも。


17. Tomoko Hojo + Rahel Kraft『Grass Eater Diary』

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2020年発表の『Shinonome』が素晴らしすぎたTomoko Hojo + Rahel Kraftによる新作。「2019年中之条ビエンナーレ」のために制作されたもので、本来はオーディオウォーク作品として中之条の指定されたルートを歩き、および立ち止まり、ながら聴くことを想定したもののようです(詳しくはこちら。オーディオウォーク用のアプリ「道草日記」もまだ生きてるみたいです)。私はオーディオウォークは体験していないので、あくまで固定化された録音作品として鑑賞した印象になってしまいますが、本作で特に惹かれたのは場面の移り変わりのニュアンスとその中から浮かび上がってくる声の存在感です。本作に収録された2曲には音楽的な目線から見て展開と取れる音の移り変わりが小気味よく存在しますが(一定ではないものの2~3分おきくらいで景色がだいぶ変わってることに気付く感じ)、そのニュアンスが遠くから音がやってくる、いや制作の意図に沿うなら自身が音のするほうに近付く(もしくは離れる、そして通り過ぎる)ように感じられる箇所が多く、同一舞台上でドラスティックに移り変わるいわば演劇的なものの対極にある印象を受けます。多分「変わる」ではなく「変わってることに気付く」くらいなのがポイントで、散歩的といえるかも。またその中で時折聴こえてくる歌のような(あくまで ''のような'' ってくらいのニュアンス)声も、聴こえるのは間違いないけど匿名性があったりまたは所在がはっきりしない、くらいの存在感/距離感に留めてあって、私はフィールドレコーディングとか結構するのでその最中にこれ聴こえてきたらそのまま録るか所在を歩いて探るか迷うだろうなとか思いました(ちなみにこの声であったり作曲は「中之条鳥追い祭」がモチーフとなっているそう)。作品中にある自身らで意識的にたてた、すなわち演奏した音の割合は意外と高いようにも思うんですが、移り変わりのニュアンスがそこから「作家性」を見定めようとする固定的な視線を気化するように働いていて、この意識に ''留まる/すり抜ける'' の重なったような在り様は、今まで幾度となく見覚えのある、例えば歩きながら不意に何かの音に耳を引かれながら通り過ぎたその時間に酷似しているとも思います(ただこれは「道草」とはかなり近いながらもちょっと違うものという気がしますが)。オーディオウォーク体験できてないこともあり、まとまりのない感想になってますが、それ用のアプリはまだ使えるっぽいので中之条行くことあったら試してみたいですね。あくまで想像でしかないですが、指定されたルートを、ヘッドフォンを装着して、「作曲」された音声を聴きながら歩くとなると、なかなか「道草」的な思考や行動は訪れ難いように感じるのでそこのところどうなるか確かめてみたい。


16. Chris Corsano, Bill Orcutte『Made Out of Sound』

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パンク/ブルースを跨ぐ最高なギタリストであり電子音楽家としても活動するBill Orcutteと、フリージャズ~即興の領域で数々の名演を残すドラマーChris Corsanoによるデュオ作。この二者はこれまでに既にデュオ作をいくつもリリースしており盟友といっていいような関係性かと思いますが、本作はその中でも個人的に最も「聴きたかった」演奏に仕上がっていました。ドラム、ギターともに叩きまくり弾きまくりといっていいような演奏ですが、複数重ねられたギターが音程やタイム感が滲みながら耳に届いてくる具合が物凄く心地よく、そしてドラムの音色とのまとまりも驚くほど素晴らしくて、最早アンビエント的にすら聴こえてきます。Bill Orcutteの歪みながらも弦一本一本が弾かれる感触が伝わってくるようなブルージーなギターは、ここでは単旋律の戦慄きから「哀しみ」を表すというより複数の音が滲んだ結果として浮かんでくるある種錯覚的な旋律の造形が「うら寂しさ」を漂わせるような振る舞いをしていて、どこかLoren Connorsの音楽や(大仰でないタイプの)ポストロックに通じる感触があります。なので本作はフリージャズや即興演奏に耳慣れしていない方にも深く刺さるものがあるのではないかと。Chris CorsanoはVirginia GentaMette RasmussenChristine Abdelnourなどサックス奏者とのデュオにおいての演奏が強く印象に残っていましたが、ここでのロールを多用した演奏はマジでベストかも……。


15. Jayda G『DJ-Kicks』

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カナダ出身のDJによるMIX作品。前半はソウル、ディスコ、ファンクもしくはファンキーなジャズで繋ぎつつ徐々にハウス的なフィーリングを増していく展開。2021年は映画をたくさん観ていたんですが、その中でソウル、ディスコ、ファンク的なのがかかるもの、具体的には『ブギーナイツ』や『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』などがとても印象に残りました。ただそういった音楽って自分は映画の中で聴くとよくても後でサントラなどで個別に聴くとそこまででもない…ってことが多くて、映画の中で聴いた時のそれに近い心地よさを摂取できる盤というのには上手く出会えずにいました。そんな中でこのミックスの特に前半はその求めていた心地よさにかなり近く、元々こういった音楽のミックスを全然聴いたことなかったというのもあってフレッシュに聴こえました。テクノやハウスなどのミックスはたまに聴くんですが、それらの感覚からするとかなり強引に聴こえるつなぎ方も面白くて、「ジャンル違うとこういう繋ぎ方もありなのか??」と驚き。単純によく知らない領域の音楽メインなのでこのミックスのクオリティが他と比べてどうこうってのは全然掴めてないんですが、それだけに現状自分には替えの効かない一作で、特に何か作業しながら気分変えてくれるようなものかけたくなった時にすごく重宝しました。未知だけどおそらくあるということは想像できる、みたいな種類の快楽に手をかけられたありがたい存在。ハイライトはやっぱ自作曲「All I Need」に至る流れですが、更にそこから次の「Diana (You Don't Even Know)」へのぶっきらぼうな繋ぎがマジで好き。


14. Leon Vynehall『Rare, Forever』

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2018年リリースの『Still Is Nothing』が名作過ぎたイギリスのプロデューサー/DJによる新作。前作でもそうでしたがこの人はジャンル的な重心の異なるトラックの移り変わりや連鎖でストーリーを紡ぐのがとにかく上手すぎる…。前作よりは彼の基盤にあるハウスであったり、フロアへの眼差しをかなり強く感じるというか、ストーリー性といっても映像が思い浮かぶようなものから離れてがっつり踊らせに来る時間が用意されていますが、それすら最終的には流れの一部として抱き込んでしまうような強力な全体性の魅力があります。一度再生し始めるとマジで止められなくて、かつトータルタイムもちょうどいい感じなので、家でも運転中でも聴くものに迷った時にとりあえず…で全部聴いちゃうってこと本当に多くてお世話になりました。全部自分の曲だけど優れたMIXにある流れの素晴らしさを完全にものにしていてそこから官能性が生まれるみたいな、やってる音楽の種類全然違いますがこういうフィーリングのある音楽作りたい…。ベースとなる音楽性は違いますが2021年の作品だとJoy Orbison『still slipping vol.1』のあの流れのよさに惹かれた人にはこれ是非聴いてほしいですね。


13. James Rushford『Lake from the Louvers』

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Joe TaliaやOren Ambarchiと多く共演しているオーストラリア出身の音楽家James Rushfordによる作品。主にジュネーブ湖畔のアーティスト・レジデンス、La Becqueに滞在中に制作された音源ということで、窓を通して湖水景観を眺めた際の影と光の戯れからインスピレーションを得ているそうです。この人に対しては2019年のアルバム『The Body's Night』で、どこから来ていつどこに消えていくのかわからない、そして聴いた後にはすぐに忘れてしまう、まるで夢のような手触りの音楽を作る人だなと感じていたのですが、本作はそれに通じる音色も多く用いながら、音階や楽器の扱いと湖というシチュエーションへの関連からやや具象的に感じられるアルバムになっています。といっても未だにかなりテクスチャー重視の作風であることはたしかで、「影と光の戯れからインスピレーションを得た」という点も、例えばそれが明るいトーンと暗いトーンの両極を配置しコントラストを作ったりというより、どちらとも判断しがたいような曖昧模糊としたトーンを作り出す方向へ向かっている気がします(6曲目とか怪しい存在に取り囲まれているのに肌に当たる風は心地いいみたいな具合で凄いです)。そこで効果的に感じるのが音階を感じさせる電子音の演奏の存在で、ジャストチューニングのMIDIで弾いたものの音程をモジュレーションでノートごとに変異させたような結果的にマイクロトーナルなアプローチによって、ハーモニーは既知の感情にうまく結び付かず、脚が溶けた椅子に座るような不安定さ≒曖昧な気分を描き出しています(特に最終曲「Dents Du Midi」に顕著)。7曲目もそんな変なピッチの具合に更にやたらエグい電子音のうねりや炸裂がなんだかAutechreっぽさありつつ、でもヴェーベルンの室内楽みたいな手をすり抜けてく感を残す不思議な曲。というかこのアルバム自体Autechreが具体的な(現存する)風景に向けて作った音楽みたいにもちょっと聴こえる気が。あとこれは湖って環境とジャケットの何か不穏さが薫るトーンに引っ張られてですが、このアルバム聴いてると『ツイン・ピークス』における自然の奥に何やら畏怖すべきものが…みたいなビジョンも想起します。


12. Sylvie Courvoisier, Mary Halvorson『Searching for the Disappeared Hour』

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IntaktやRelative Pitch、更にTzadikやECMからも作品をリリースしているスイス出身のピアニストSylvie Courvoisierと、アンソニー・ブラクストン門下生としての経歴を持ちソロからオクテットまで多彩に活動、2010年頃からはアヴァンギャルドなジャズにおける目の離せない重要な音楽家であり続けているギタリストMary Halvorsonによるデュオ作。このデュオとしては2017年の『Crop Circles』以来2作目となるようです(不覚にも本作リリース後に知りました)。1,3,6, 9, 11がMaryによる作曲、2, 5, 7, 10がSylvieによる作曲、そして4,8,12がShared songsとクレジットされていますが、やはりまず最大の聴きどころは作曲パートの後に突入するかたちで表れる自由度の高いインプロの場面でしょう。ただ自由度が高いとはいってもそこに作曲がなんの効力も発揮していないわけではないようで、何度も聴いていると(なんとなくですが)インプロ部分では作曲者でないほうの演奏者がより忙しなかったりトリッキーなフレーズを出して羽を伸ばした演奏をしているような気がします。特にSylvie作曲の5曲目や7曲目におけるMaryのギターの脱線(?)ぶりは本当にヤバい。Mary Halvorsonのリーダー作は結構網羅的に聴いてるつもりですが、彼女の小石が転がるような方向と速度変化の読めなさを持ったフレージングを楽しむ作品として、本作は秀でたクオリティがあるように思います。アルバム通すと1曲目の終盤にインプロからの流れでベートーヴェンの「月光」ぶっこんだり、12曲目ではアンビエント・ドローン?っぽく始めてみたり、9曲目はよく聴くとジャズ的なアドリブのやり取りにしっかり則った演奏をしていたりと、ギミックやバリエーションもかなりありますし、聴けば聴くほど楽しみが見つかる一作。またおそらくピアノとギターによるチェンバーなサウンドに喚起された面も強いと思うのですが、本作の作曲パートが持つ陰影とそこから急転するインプロが形作る、凪と波風のようなムードにはライアン・ジョンソン監督のミステリー映画『ナイブズ・アウト』的な雰囲気を感じたり。


11. Tim Hecker『The North Water (Original Score)』

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カナダ出身の音楽家Tim Heckerによる新作。コリン・ファレルとジャック・オコンネルが主演する北極圏を舞台にしたTVシリーズ「The North Water」のためのスコアということでオリジナルアルバムとはやや立ち位置が違うのかもしれませんが、近年のTim Heckerのサウンドがしっかり表れた内容であるためその辺あまり気にせずとも楽しめるように思います。『Konoyo』『Anoyo』で展開された雅楽要素もごく限定的に使用しつつ、電子音にピアノや打楽器などのアコースティック楽器、そして時折歪みを加えたチェロを非常に効果的に用い、どこまでも(散漫とも捉えられてしまいそうなほど)流動的な音楽を形作っています。全15曲が収録されており、実際それらは別のモチーフを持った楽曲とはっきり認識はできるのですが、同時にそれらはフェードで繋がったかたちで収められており、また1曲の中でも1つの楽曲の「展開」というより別の楽曲が被さってきているようなニュアンスのレイヤリングで景色を変容させていくところがあるため、アルバム通して聴いているとなかなか記憶に定着しない、マジで掴みどころのない音の流れが味わえます(割れた海氷が漂い別の海氷と衝突しまた別の…みたいなの想起)。ドローン的な倍音の遷移を味わうものだったり、音の部品的分類においてテクスチャーに属するような音響ばかりを用いているタイプの音楽ならまだしも、今作は解きほぐしてみると結構しっかりフレーズがある時間が多いにも関わらずこういった印象に結び付けているのが何気に凄い(彼はこちらのインタビューで ''自分の作品は、基本的にハーモニーやメロディがけっこうモチーフになっていると思う'' と語っていて実際そう感じるんですが、それでこういう味わいの音楽に普通なりますかね……)。そういう意味では「スタイル」に還元し難い独自の抽象性を持った音楽なんだと思います。あとチェロの使い方いいすね。歪みと空間系足しつつスラーで途切れさせず音程移動多用してるのほんと好き(自作のこれでもめっちゃ使ったりしました)。

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