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アルバムレビュー - Anna Webber『Clockwise』

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ニューヨークのシーンで積極的に活動し、近年はJohn Hollenbeck's Large Ensemble『All Can Work』、Dave Douglas『Engage』や、本作と同じPi RecordingsからリリースされているMatt Mitchell『A Pouting Grimace』、Dan Weiss『Sixteen: Drummers Suite』、Jen Shyu『Song of Silver Geese』などチャレンジングな音楽性を携えた作品での好演が続いているAnna Webberのリーダー作。

彼女はリーダーもしくは他者との連名でこれまでに10のレコードをリリースしており、中でも直近の過去作でもあるMatt Mitchell、John HollenbeckとのSimple Trioによる作品『Binary』『SIMPLE』が目立った成果として挙げられますが、本作『Clockwise』は彼女のフェイヴァリットである20世紀の作曲家(Iannis Xenakis、Morton Feldman、Edgard Varése、Karlheinz Stockhausen、Milton Babbitt、John Cage)へのオマージュとして制作されており、明確に新しくまたチャレンジングな試みが成された一作といえそうです。

*少し話が逸れますが本作に繋がるリズムやアンサンブルの面白さが表れた関連作品としてここまでに挙げられている作品に加え2014年のリーダー作『Refraction』やサイドマン参加作Eric Hove Chamber Ensemble『Polygon』を勧めます。

本作におけるオマージュは彼らの作品を研究し構造やコンセプトを取り入れるというオーソドックスなものとはやや異なるかたちで行われているようで、作品概要には “彼らの打楽器作品のみを対象に研究と分析を行い、作曲家の本来の意図や考えを文脈化し直すことではなくむしろ原始的な作曲の内部に隠れた共鳴点を見出し、抽象的に新しい作品に発展させる” というような内容が表記してあります。これはより具体的には “音色を中心として音の組織を組むこと” や “創造的な即興と厳格な作曲との間の裂け目の探求”、そして研究の中で彼女の中に浮かび上がった “ピッチとハーモニーなしにどうやって作品を作ることができるのか、そしてそのような作品を一貫性のあるものにするのは何なのか?” という疑問に基づいた試行錯誤として本作に活かされているようです。

作品の基礎的な情報として、演奏はフルートやクラリネットも兼ねるサックス奏者が2名、トロンボーン、チェロ、ピアノ、ベース、ドラムという7人編成で行われています。



オマージュが捧げられている作曲家のどの作品が研究対象とされ、本作のどの曲に活かされているかについてはレーベルのページに詳しい記述があるため、ここではそちらの文章の翻訳を基に作品の関係性をまとめつつ所感を記していきたいと思います。


・「Korē I」「Korē II」(それぞれ9曲目、1曲目)

この2曲はクセナキスの名作「Persephassa」からインスパイアされています。“歯車が回転するたびに予期せぬ音が鳴るような様が、まるでoff-kiltered watch(不調な時計?)の動きを思わせる” とも記されていて、特に単音のパルス的な演奏が印象的な「Korē I」はその形容がとてもしっくりくる感じ。「Korē II」はドラムがかなりダイナミックかつ曲を乗れるものにする演奏をしていることや耳に残るフレーズが何種類か用意されているためか、風変りなリフの反復/発展みたいな演奏に聴こえて比較的馴染みやすいかも(聴いてて無意識的に思い浮かぶここでこのリフ来るみたいな予想をうまく外してくる感じはちょっと空間現代っぽい)。


・「King of Denmark I, II, III」(それぞれ3、4、8曲目)

モートン・フェルドマンの図形楽譜作品「King of Denmark」からタイトルをそのまま借用。この作品が図形楽譜で演奏されているというわけではなく、短い即興演奏に由来したStem(音楽的断片?)を組み上げることで成り立った作品のようです。IIとIIIについてはより具体的にChes SmithとChris Tordiniの即興演奏の録音をAnnaが組み上げたと表記されています。3曲目については正確には曲名が「King of Denmark I / Loper」となっており、2つの作品を1トラックに繋げた構成になっていると思われます。聴いただけでの判断になってしまいますが1分辺りで冒頭から続く高速で音をばら撒くような演奏がフェードアウトし、違うレイヤーでドラムパターンの演奏が入ってくるので、ここがその区切りかなと推測します(つまり「King of Denmark I」は3曲目の冒頭1分程度)。この推測を基にすると、この3つはいずれも即興演奏に由来する短い小品的な作品という共通項も見出せ、作品概要の文章とも整合性がとれるかなと思います。


・「Loper」(3曲目)

3曲目に「King of Denmark I / Loper」というかたちで表記されている作品。既に言及した認識に従い1分辺りからフェードインしてくる演奏をこの作品と仮定します。エドガー・ヴァレーズの「Ionisation」の特定の形式的な要素(certain formal elements)を抽出したものと説明されており、構造を分析し取り入れるに近いアプローチが行われているのかもしれません。また、この作品にはサックスのマルチフォニック(重音)やトロンボーンのスプリット・トーンの研究もミックスされています(トロンボーンのスプリット・トーンについては英語版wikiを読んでみてください。それがわかりやすく聴き取れる作品としてクセナキスの「Keren」があります)。徐々に楽器の数や音の厚みを増していく作曲パートと、5分辺りから始まるAnnaのサックスソロをフィーチャーした即興パートという認識ができる構成で、長いラインを一息で駆け上がるようなサックスソロの終盤は個人の演奏技術を楽しむという観点では本作の白眉の一つでしょう。トロンボーンのスプリット・トーンについては8分以降のメインリフと集団即興が交互に表れる場面でそれが聴き取れるかなという程度で、もっとわかりやすいかたちで取り上げてくれてもよかったかなと思います。


・「Clockwise」(5曲目)

シュトックハウゼンの「Zyklus」にインスピレーションを受けた作品。「Zyklus」は17のセクションからなる作品で、それらは螺旋綴じになった16のページに印刷されています。演奏する際にはそのどのセクションから演奏を開始してもよく、そこから螺旋を辿るように演奏していき最初に演奏したセクションの最初の音で演奏を終えます。楽譜は上下を逆転しすべてのページを逆向きに読むことも可能で、すべてのセクションは同じ演奏時間でなければいけないという指定もあります。「Clockwise」はこのような構造を着想とし、複数のセクションを有し、それらを作品内の任意の点を開始点/終了点として使用して移動していくことで、仮説的に円形で演奏できるよう設計されています。Clockwiseは時計回りにという意味なので「Zyklus」で可能な逆からの演奏には対応していないのかもしれません。「Clockwise」においては作曲されているセクションはどれも特定のフレーズ/リズムの繰り返しとして表れているように聴こえ、それらの書き換えを意識して聴くと作品の全貌が掴みやすくなります。また本作での演奏の最後と最初をリピートで繋ぐと違和感なく繋がるところも円形という構造を実感させます。

繰り返し演奏されるフレーズ/リズムの書き換えに着目してセクションの区切りを推測すると(①0:00~2:50、②2:50~3:20、③3:20~3:50、④3:50~5:00、⑤5:00~5:26、⑥5:26~5:58、⑦5:58~6:40、⑧6:40~最後)という具合になります。

セクションの区切りでは一度演奏が止まることが多いですが、②と③の区切りではピアノが、⑤と⑥の区切りではドラムが即興的な演奏を継続しており、演奏の雰囲気(パルス?)にも継続感があるためこの二か所に関しては合わせて一つのセクションである気もします。私の認識だと①のセクションだけやけに長いことになるのでそこはちょっと怪しいかも。このセクションのAnna Webberによるフルートの演奏は即興だと思いますがめちゃくちゃかっこいいので聴きどころです。「Zyklus」にはすべてのセクションは同じ演奏時間でなければいけないという指定があるので、本作もそのような構造になっているのではないかと思い区切りの認識を変えながら探ってみましたが、そうはなりませんでした。

シュトックハウゼンの「Zyklus」についてはこちらこちらのページが理解に役立ちます。


・「Array」(6曲目)

Milton Babbittのソロ・スネア・ドラムのための作品「Homily」に着想を得て制作された作品。「Homily」の影響は本作において背後にある組織的な刺激として機能するとの記述があります(パルス的な役割ということか?)。10分の演奏時間の中で最初の4:20辺りまではドラムがスネア(+控えめにハイハットとバスドラム?)でシャッフル感のあるリズムを提供し続け、そこに複数の楽器が点的な発音からなる途切れ途切れのフレーズ(おそらく作曲されたものでしょう)を乗せていくという成り立ち。以降はシンバルなども鳴らされ、ドラムが徐々に基礎的なリズムの提供という役割から離れ自由な演奏へ移行していき、それに伴い他の楽器が鳴らすフレーズも点的なものから線的だったりパルス的だったりへと多様化していきます。ドラムの演奏が止む場面もありますが演奏の中で基礎的なリズムは終始変わらないので、ドラム以外の楽器のフレーズの発音タイミングなどは掴み難いものの聴いていて置いていかれるような感覚はありません。多くの時間でソロ的な振る舞いをする楽器も存在し、前半はトロンボーンとクラリネット、中盤からはピアノがその役割を担います。前半はドラムの役割が非常に限定的なことや参加する楽器の音色の組み合わせによるものかクラシックの室内楽のような趣があり、そこから徐々にジャズのラージ・アンサンブル的な様相へ変化していく様が非常に美しいです。


・「Hologram Best」(7曲目)

John Cageの「Third Construction in Metal」をヒントにした作品。歪なリズムと無調的に聴こえる音階のユニゾン、そこにAnna Webberのソロが乗るソリッドな印象の短い演奏。サックス、ピアノ、トロンボーン、ドラムによる演奏ですがトロンボーンはピアノとのユニゾンに終始しているため印象としてはAnna Webber's Simple Trioに近い音楽性に感じます。「Third Construction in Metal」からの影響については正直よくわからなかったです。


・「Idiom II」(2曲目)

この作品のみ特定の打楽器作品にではなくAnna Webber自身の即興を支える言語(演奏イディオムのことかと思います)を原動力としています。作曲パートにおける管楽器の途切れない演奏が独創的。作曲と即興のコントラストがしっかり表れる箇所があるなど他の曲よりオーソドックスなジャズ的フレームを見出しやすいと感じます。


最後にアルバム通しての印象を。それぞれの作品でコンセプトが異なるためすべてに共通する要素というのはなかなか見出し難いのですが、自分が最も惹かれた点としてはやはり打楽器作品を研究したうえでの創作とあってかリズムの組み方でしょうか。特に「Korē I」「Clockwise」「Array」はそれぞれ異なりつつどれもが独創的に聴こえました。作曲された個々のフレーズの持つ音程の動き方やリズムはAnna Webberがよく共演していて本作にも参加しているピアニストMatt Mitchellの作るものと非常に近しい感触がありますが、それらを複数使用し横や縦に組み上げていく際の統制の取り方、情報量の調整の仕方といった部分で個性を感じますし、正にこの部分が打楽器作品の研究から抽出された要素なのではないかと想像します。7人編成ということでやや多めではあるもののラージ・アンサンブルと形容していいのかは微妙な規模ですが、少なくともラージ・アンサンブルに近くかつ風変りな聴き心地を持つ作品といえることは確かだと思いますし、そういった傾向の作品を好む方には是非聴いてみていただきたいです。

また、Matt Mitchellによるラージ・アンサンブルな作品『A Pouting Grimace』は本作と通じる部分も多くありつつ音の組織の仕方に差異を感じさせる作品であるため併せて聴くと本作の音楽性や位置付けを探るのに有効かと思います。(こちらにレビューを書いています)


Anna WebberのHP http://annakristinwebber.com/

本作の概要が書かれたPi Recordingsのページ https://pirecordings.com/albums/clockwise/

JazzTokyoのAnna Webberへのインタビュー記事(翻訳) https://jazztokyo.org/interviews/post-41166/









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