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アルバムレビュー:Stephan Mathieu『FrequencyLib / Sad Mac Studies』

2022年にストックホルムの新興レーベルUmeboshiよりリイシューされたStephan Mathieuの作品。2022年も多くの興味深いリイシューがありましたが、個人的なベスト・リイシューは本作で、リリースされてからというもの本当によく聴いていました。オリジナルは2001年にMille PlateauxのサブレーベルRitornellからリリースされた『FrequencyLib』と、同年にEn/Ofからリリースされた『Sad Mac Studies』で、本作はタイトル通りこれらを抱き合わせた構成となっています。

1967年、ドイツのザールブリュッケンに生まれたStephan Mathieuは90年代にドラマーとして主にベルリンの即興演奏のシーンで活動した後、90年代の終り頃からPCを用いた制作へと軸足を移していきます。その過程で彼はいわゆるグリッチの系譜に絡む音楽家として認知され、いくつかの作品を発表した後、ゼロ年代の半ば頃からはエントロピック・システムを用いた制作に作風を絞り、そこから生み出される優美かつ独特な陰影を持ったサウンドによって主にアンビエント/ドローンの流れで高く評価される音楽家となりました。

本作『FrequencyLib / Sad Mac Studies』に含まれる2作はそのリリース時期からもわかるように、音楽家Stephan Mathieuのキャリア変遷において、グリッチ・ミュージックとしての様相が強い作品の一つに数えられます。特にパブリックドメインの楽曲を素材としループ化、そこにグリッチ的挙動を多く含んだエディットをいわば「たわみ」をもたらす表現として組み込んだ『FrequencyLib』は、Stephan Mathieuのソロ作としてはグリッチ/エディット系統における最終形と言っても過言ではない一作です。音楽的な要素や構成としては、基本的にスタティックなオーディオ・ループがあったうえでグリッチなどが「ちょっかいをかける」ようにまばらに絡むタイプのものがほとんどで、そういった曲が1~2分程度の尺で小気味よく流れていく、時間感覚というか「弛緩と浅いリセットが継続していく」呼吸感はどこかローファイヒップホップに近いようにも思います。そういった意味では氏の作品の中でも親しみやすく、ある意味では生活に入り込みやすい類の音楽であるかもしれません。

そして同時に、『FrequencyLib』にはループ化された元素材のフレーズが最早認識できないほどになだらかな音響へと溶け出した、いわゆるドローン的肌触りの楽曲が複数収録されていることもまた重要です。割合のうえではこちらが作品の大半を占めるというほどまでには至っていませんが、これらの楽曲は小気味いい「ループとたわみ」のトラック群の中に時折挿入され、ふと訪れた微睡のように、一時的にリスナーの時間感覚を中空へ投げ出させるような官能的な効果を生み出しています。先にこの作品をStephan Mathieuの「グリッチ/エディット系統における最終形」と表現しましたが、この点をもって本作は後のアンビエント/ドローン的作品群への萌芽が顔を覗かせている一作と捉えることも可能でしょう(Processed with Soundhack, Argeïphontes Lyre, Max/Msp and Protools Free.とクレジットにわざわざ記していることなどを鑑みれば、むしろ当時アピールしたかったのはこちらの側面だったのかも)。末尾に収録されている『Sad Mac Studies』としてリリースされた4曲は『FrequencyLib』に比べてこのドローン的音響試行が前景化しており、彼のキャリアがどこへ流れていくかを強力に示唆しているように聴こえます。

ソロ・アルバムとしての次作にあたる2002年の『Die Entdeckung Des Wetters』ではエントロピック・システムを用いた ''エディットからプロセスへ'' の作風の転換が色濃く表れ、サウンドのドローン化が全面的なものとなるため、グリッチ/エディット・ミュージシャンとしてのStephan Mathieuの姿が収められたソロ作品は本作が最後となります。ulla『foam』であったりAlexi Baris『Support Surfaces』など、グリッチ・サウンドの再考が伺える作品が多数耳に留まった2022年は、この作品の再聴にも、そして新しく出会うにも絶好のタイミングだったのではないでしょうか。


*以下、宣伝です。
レビュー中では説明しなかったエントロピック・システムや、Stephan Mathieuの音楽家としてのキャリアの変遷については、2022年12月15日に発売された書籍『AGI3/MERZBOW』に掲載の「音楽家Stephan Mathieuの活動終了に寄せて ―A Young Person's Guide To Stephan Mathieu―」という記事で詳細に書いています。よかったら是非読んでみてください。


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