苙 ひなた

よろいぐさひなた | 素敵な言葉を紡ぎたい #ひだまり文庫

苙 ひなた

よろいぐさひなた | 素敵な言葉を紡ぎたい #ひだまり文庫

マガジン

  • ひなたとエトラの共同文庫。

    • 8本

    同じテーマで書いてます

最近の記事

狭いなあって

 自粛生活が始まって一か月が経過した。「案外家から出なくてもやっていける」という声をちらほら散見するが、私はまったくもってそれに頷くことができずにいる。純粋に友達と会いたいし、触れ合える距離で話がしたいと切望している。どうもzoomは肌に合わないらしく、画面の向こうにいる友人はどこか別の世界にいるかのように無機質な存在に感じてしまう。どこかつめたい。それでも、その声が聴けるだけ幾分か素敵だから私もzoomに頼るわけで。  誰かと話しをする機会が格段に減った今、自分は考えの凝

    • ごちゃっ。

       先日、友達から「お前のツイートは全部回りくどい」とのクレームを頂戴した。自覚はあるので反論する気はさらさらないが、回りくどくなってしまう経緯については述べさせていただきたい。   人間だれしも、さまざまな感情が並立している状態で生きているものだと考えている。例えば美しい夕陽を見たとき、「綺麗だなあ」だけで終わらないからそこに芸術が生まれたり、文学が生まれたりするのだろう。夕陽から連想して青春時代のある一点を懐かしんだり、昔の恋を思い返したりして郷愁に浸るのが人間の感性なのだ

      • ことば

        鬱蒼とした日々が続く。せめて天気さえ晴れてくれればなあなんて。 どうも青空がないと陰鬱としてしまうからよくない。単純なことで元気になれる性格だから、さっさと低気圧は去ってほしいものだ。 そう、単純なことで元気になれるし、単純なことで気分も沈むのが私の質である。最近はというと、気分が落ち込む日々が続くので花束を買って部屋に飾ってみたりした。結構簡単に癒されたし、早くも次の花どうしようなんて能天気に考えてみたりした。金のかかる人間だ、ほんと。 私が一番影響される事物はなんだろ

        • 本屋さんの記憶

           亜子(あこ)は小さいころ、とにかく本好きな少女だった。本好きになったわけは、亜子の祖母が、彼女のリクエストに応えて毎月2冊好きな本を買ってくれたからだ。亜子は物語の中に入り込むのが得意な性格だったのだろう、手に取った本の世界観にどっぷりとハマること自体に楽しさを覚えていたようだった。時には同時並行で3冊の本を読み進め、「話こんがらがらないの?」と母親にしょっちゅう言われていた。当の亜子は「うんー、いろんなお話を行き来するのがいいの」とまんざらでもない様子だったが。  そん

        狭いなあって

        マガジン

        • ひなたとエトラの共同文庫。
          8本

        記事

          銀杏と才能

          絢(あや)は普段このイチョウ並木を通ることはない。しかし、今日はどうやら別のようである。というのも、インフルエンザの予防接種のためにこの通り沿いにある医療所に行く用があったためである。高校二年にもなると、もう予防接種なんぞは痛くもなんともなかった。正直、注射しようがしまいがインフルにかかる奴はかかるしかからない奴はかからないだろうというのが絢の考えであったが、「結(ゆい)がかかったら大変でしょ」という母の一言には逆らう必要もないので、仕方なく自転車を飛ばして針をぶっさしに医者

          銀杏と才能

          各駅停車

          西陽が傾く、駅のホーム、二番線、いつもの乗車位置に立つ、午後4時27分。季節は12月上旬。だんだん日本の最高気温は低くなっていき、寒さには一向に慣れないままだ。 この駅は各駅停車しか止まらない。電光掲示板には、「通過」の二文字が表示されている。次の電車まで10分近くあるから、自販でホットレモンを買った。130円。冷え切った手でペットボトルを包むようにすると、手のひらにじーんと電磁波みたいに温かさが伝わった。ずっと持ったままでいると温かさを私の手のひらに奪われてしまうような気が

          雨粒と液晶画面

          ーー雨が降っていた。 11月の雨は薄情なまでに冷たくて、ポツポツと傘にあたる粒の音と、水を含んだコンクリートを歩く靴の音がやたらと耳に響く。夜は人間の感覚を鋭敏にするように思える。 あの人からの返信は来ない。iPhoneの通知センターは「通知はありません」を延々と表示している。夢よりも現実を選んだあの人は、僕への返信なんかを考えている暇はないのだろう。僕とあの人の関係は、あの人が未読無視を続ける限り歪な平行線のままだ。はっきりしないのは嫌いだが、そもそも僕自身がはっきりし

          雨粒と液晶画面

          わたしのこと。

          私はものを書くのが好きだ。それは小さい頃からの性質で、恐らく胎盤から文系だったのだろうと思う。 意味がわからないけど綺麗なものがみたい。理屈を抜きにして美しいものを描きたい。感覚を共有したい。私はその手段として「言葉」を用いる他どうすることも出来ない。だからせめて、自分に素直な言葉の使い手でありたいのだ。 私は感情をそのままに伝えるのが得意ではない。何かしらの脚色をもって相手に伝えようとしてしまう。 だからこの場で、「素直な言葉の使い手」として美しいものを探りたい。そし

          わたしのこと。