「虎に翼」112話、よねの尋問について

「虎に翼」第112話、よねの国側請求鑑定人(嘉納教授)に対する反対尋問があまりにも見事だったので、その解説を試みます。なお、国指定代理人訟務検事の反町は鑑定申請を行い、嘉納教授は裁判所によって鑑定人として採用されているので、嘉納教授に対して行われたのは「質問」(民事訴訟法215条の2)だったのではないかとも思いますが、ここでは「鑑定人尋問」としていた「虎に翼」本編を前提に「尋問」という言葉も用いることにします。

まず、よねの嘉納教授に対する反対尋問を概観してみましょう。

(1)
よね:国際法上禁止されていなければ、どんな残虐な戦闘行為でも違法ではない、そう嘉納教授はおっしゃるのですね?
嘉納:そういうことではございません。
(2)
よね:質問を変えます。いくつかの国際法に「戦闘における不法行為を行った国には損害を賠償する義務がある」と定められています。この義務は国家間にのみ発生するのでしょうか。
嘉納:国際法の原則では、不法行為による損害賠償は被害者個人ではなく国家が請求することとなっています。
よね:では日本国民個人がアメリカに対して不法な戦闘行為による損害賠償を求めても不可能であると?
嘉納:日本国は米国に対する損害賠償請求権を平成条約第19条において放棄したとの解釈ですので、法的には不可能だと考えます。
よね:主権在民の日本国憲法において個人の権利が国家に吸収されることはない。憲法と国際法及び国際条約の規定と法的にはどちらを上位に考えればよいとお考えですか?
嘉納:戦時中に今の憲法は存在しません。
(3)
よね:原告は「今」を生きる被爆者ですが?
汐見:原告代理人、その言葉は質問ですか?
よね:いえ…以上です。

(1)(2)(3)と番号を振ったのは、よねの反対尋問は3つのパートに分かれると國本は考えたからです。それぞれ順に検討していきます。

(1)残虐な戦闘行為と国際法

よね:国際法上禁止されていなければ、どんな残虐な戦闘行為でも違法ではない、そう嘉納教授はおっしゃるのですね?
嘉納:そういうことではございません。

これは、訟務検事反町の主尋問に対して答えた嘉納教授証言の証明力を減殺ないし無効化するための尋問です。反町の主尋問は次のようなものでした。

嘉納:原爆投下が国際法違反だとは必ずしも断定できません。原子爆弾は新しい兵器であるために原子爆弾そのものを禁止する規定は投下当時も現在も国際法上には存在しません。ハーグ陸戦条約や毒ガス兵器など類似のものに関する制限規定があるとしても、安易な類推解釈は絶対に許されないと考えます。
反町:原爆投下を国際法違反と断定すれば、国際社会の秩序を維持するための国際法そのものを歪めることになると?
嘉納:法学者としてはそのように指摘せざるをえません。

主尋問で嘉納教授は、原子爆弾の使用を禁止する明文規定が国際法に無い以上、原子爆弾の使用を違法と断ずることはできないと言い切っていたのです。そこで、よねが嘉納教授に対し、明文規定がない戦闘行為は全て合法になるのかと尋ねたところ、嘉納教授は「そういうわけではない」と言ってしまったので、主尋問における自身の陳述を自己否定したわけです。ここで裁判所(本件訴訟は合議制なので裁判長の汐見、右陪席の寅子、左陪席の漆間の三者により裁判所という一つの機関になります)に対し、よねは、先の主尋問における嘉納教授の該当部分陳述に証拠としての力(証明力)が欠けていると示すことに成功しました。
よねは、すかさず「質問を変えます」と言って、次のテーマに移ります。これが重要です。追い打ちをかけようと同じテーマの質問を重ねると、失敗に気付いた嘉納教授が言い訳を始めて、取り繕うことに成功してしまう可能性もあります。追い打ち質問をかけなくても、時間を与えると嘉納教授が勝手に喋りだしてしまうかもしれません。既に確定したこの論点における勝利を確定させるべく、よねは間髪入れず「質問を変えます」と述べて、次のテーマに移ったのです。

(2)個人の損害賠償請求権と日本国憲法

よね:質問を変えます。いくつかの国際法に「戦闘における不法行為を行った国には損害を賠償する義務がある」と定められています。この義務は国家間にのみ発生するのでしょうか。
嘉納:国際法の原則では、不法行為による損害賠償は被害者個人ではなく国家が請求することとなっています。
よね:では日本国民個人がアメリカに対して不法な戦闘行為による損害賠償を求めても不可能であると?
嘉納:日本国は米国に対する損害賠償請求権を平成条約第19条において放棄したとの解釈ですので、法的には不可能だと考えます。
よね:主権在民の日本国憲法において個人の権利が国家に吸収されることはない。憲法と国際法及び国際条約の規定と法的にはどちらを上位に考えればよいとお考えですか?
嘉納:戦時中に今の憲法は存在しません。

よねの最初と二つ目の質問は、嘉納教授を型にはめるための前振りですね。嘉納教授のどのように答えるか分かっているので、それぞれ引き出しています。よねは最初の質問二つで、そうとは気付かせずに袋小路に追い込んで逃げ道を塞いだ上で、三つ目の質問で嘉納教授を一気に串刺しにしました。
「国際法及び国際条約の規定」よりも各国「憲法」の方が上位であることは、法学者・法律家にとって揺るぎない常識であり、国際法学者である嘉納教授は立場上、その常識を否定することはできません。日本国憲法によって認められた個人の権利を下位規範である国際条約で否定することができるのかと問われ、返答に窮したわけです。
その結果、嘉納教授は何とか言い逃れしようとして「戦時中に今の憲法は存在しません」と全く見当違いのことを述べてしまったのです。この場面では、戦後である1951年に締結されたサンフランシスコ平和条約によって日本の被爆者個人が持つべき損害賠償請求権が消滅したか否かが議論されているのだから、原爆が投下された時期が旧憲法下であったことは論理的に関係がありません。よねはここでも裁判所に対し、嘉納教授の立論根拠が薄弱であることを見せつけることに成功しました。

(3)よね、怒りの尋問

以上は、事前に提出されていたであろう嘉納教授の鑑定書を読み込み、研究に研究を重ねた上で、よねが事前に準備していた尋問です。入念な準備を重ね、それを着実に遂行したことで、よねは成果を上げました。成功した結果、嘉納教授は「戦時中に今の憲法は存在しません」と頓珍漢な回答をしてしまったわけですが、これによねが反応します。

よね:原告は「今」を生きる被爆者ですが?
汐見:原告代理人、その言葉は質問ですか?
よね:いえ…以上です。

自らの反対尋問が成功した結果として引き出された嘉納教授のこの回答を、被爆当事者である原告たちから繰り返し体験を聞いてきたよねは、許すことができなかったのでしょう。よねの怒りが静かに噴き出しました。
鑑定人に対する尋問質問では、鑑定内容に対することしか尋ねてはなりません。「原告は『今』を生きる被爆者ですが?」は明らかに鑑定人に対する質問ではありません。「オマエは何を言ってるんだ!?」という嘉納教授に対する突っ込みが、このような言葉となって口をついて出たものです。そのため裁判長である汐見は「その言葉は質問ですか?」と確認し、よねも「いえ」と認めて引き下がったのです。
よねは実質的に質問を撤回しているので、もしかすると訴訟の公式記録である尋問調書にはこの質問は掲載されないかもしれません。しかし、3人の裁判官たちの心と脳裏には、この訴訟が被爆者たちの「今」を問うている事件なんだと刻み込まれたことでしょう。徹底して準備し、原告の思いを背負って本気で臨んだ代理人の姿勢とスピリットは、こうして裁判官たちに伝わることがあります。

尋問内容自体の解説は、以上です。
この尋問は、本作のストーリー上も極めて重要な意味を持つと自分は考えます。
(1)(2)の部分は、よねの弁護士としての技量と技術を示す尋問です。
(3)は、よねの弁護士としての魂から発せられた尋問です。よねから図らずもこの言葉が出たのは、彼女が原告である被爆者たちの思いを背負ってこの法廷に臨んでいたからです。広島と長崎に赴き、被爆者たちの体験と「今」を聞き取り、その尊厳を少しでも回復するべく提起したこの訴訟の法廷に立っているよねは、嘉納教授の回答を許すことができなかったのでしょう。かつて、ほぼ自分ごととしてのみ社会に対して怒りを感じ発していた学生時代の彼女とは違います。
不平等不公正な社会に対して怒りを充満させていた女学生のよねが、寅子らとのシスターフッドを経て、日本国憲法という武器を得て、虐げられている人々の尊厳を回復すべく戦う正真正銘プロの弁護士に成ったことを見事に描いた場面でした。

とはいえ、鑑定人尋問は原告と被告がそれぞれ主張する法理論、理屈を立証する場面でした。この訴訟の本体ではありません。原爆訴訟の本体であり核心部分、被爆者たちが被った被害と損害の立証はこれからです。

以上



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