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もう一人の私

3月12日は

牧瀬茜さんボーカルのユニット「ワダチのサキ」さん、サックスの國井類さん、
祈りの写経(ボディペイント)麻子さん・真希さんとご一緒に。

茜さんは、写真や詩、歌、多彩にその世界を表現される人であり
その中心に”ストリップ”というジャンルがある。
全国から引っ張りだこの踊り子さんだそう。

実際に見てもらわなければ、到底言葉では表現しきれないのだけれど

捨て身(と、この世界に初めての私には感じられる)でありながら 
なにか、品があり

手を伸ばせばそこに触れられるほどなのに 
手が届かないような、圧倒的な存在感があって
私も
周りの皆も、かたずを呑んで踊りのゆくえを見守っているのがわかった。

普段あまり体験しない状況の中で
気づくと、私は自分を見ていた。

「衣服を脱いでいく人」を見ながら、「衣服を着ている私」が

「さらけだす人」を見ながら、「さらけ出さない私」が

自分の中に、浮かび上がってくる。

ほどなくして
「あなたは私がまだ生きていない、もう一人のわたしなのだ」
という思いが、ふと湧いてきて

衣服という「象徴」をまとって
私は、何を守ろうとしているんだろうか、、?

裸になるどころか、
マスクをつけ
ともすれば、心に鎧をして人と人との間に距離ができていきかねないような世界で

本音や建前や 不安や 疑心暗鬼
攻撃、守りたいもの、抑制、、、

そんなものが溢れている世界で、

常識、当たり前とは?

本当のこととは、美しいものとは、

はだかであること、
鎧のない心とはーーー

どういうものなのか、という問いが
湧いてきて

「自分」と思っていたものが、
解体されていくような感覚さえ覚えた。

茜さんによって、
当たり前と思っている、いつのまにか縛りになっている日常の息苦しさが
解体される、解放されるのだと

そしてまた、
究極のリアリティに
生(せい)の実感を得て、
人は、癒され、救われるのだと

だから、茜さんに惹かれてやまない人が後を絶たないのかもしれないと思った。

自分の心をよく見つめることができなければ、
逆に 脱いだとて 心は鎧を着ているままかもしれない。

こんな真摯に、あっけなく差し出されたものに対して
わたしも歌に、音に
最大限の自分の「真実」を込めるしかないと思った。

・・・・・・・・

この日は、般若心経のボディペインテングなどもあり
それもまた、本当に素晴らしく
美しく、
愛おしく、、

みんな、最大に、切実に、生きている、と思った一方で

この見聞きしたこと

「私」も
「私の生きていないもうひとりの私」も、同じで

「さらけ出す」も「さらけ出さない」も
「裸」も「鎧」も
「リアリティ」も「嘘」も

全て、あるようでないような、空なんだ、とも思ったのは
般若心経に、何日も浸かっていたせいかもしれない。

なにか 人生観を変えられそうなほどの
濃い数日間が終わりました。

そして
胸に抱いて生きていきたいものが、また増えていく。


音を通じて調和する世界を 皆で創造していきたいと思っています。応援よろしくお願いいたします。