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<内と外とをつなぐ色>

シュタイナー教育と水彩・芸術療法としての水彩  
<内と外とをつなぐ色> 宮川より子



  

               
                                
小学生クラス「よつばの会」は、東久留米シュタイナーこども園の卒園児の有志の父兄によって長年続けられている水彩教室です。
そこでの講師の任にあたる者のひとりとして、僭越ではありますが、水彩の意義や可能性について考察したいと思います。

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シュタイナー教育で行われている活動の中に、水彩~ぬらし絵があります。これは濡らした紙に水で溶いた絵具で描く(wet on wet)技法です。※乾かして描く層技法(dry painting)もありますが、ここではぬらし絵についてのみ取り上げたいと思います。
 
濡れた色は鮮やかに輝きながら、画面に漂うように広がり、混ざり合います。絵具は赤、黄、青の原色しか使いません。なぜこのように描くのかという理由は、色を”本来の生きた状態にするため”であるとも言えます。
 
では、そもそも色とは何なのでしょうか?

私達の周囲にはたくさんの色が見えますが、それらの多くは物に付着した色~“物の形の中に閉じ込められた色達”です。
また、そうではない色もあります。空や虹、炎など、自然の“現象に見られる色”です。
さらに、“目に見えない色”もあります。オ―ラと呼ばれるもの、さらに私達のイメージ、そして気分や感情の中に“感じられる色”です。
この3番目の色は、見えない魂的なものであり、アストラル体と言われるもので、感情の働きです。実は、それが本来の“生きた状態の色の姿”なのです。

 また、エーテル体という生命の働きがあります。これは水と深い関連を持っています。
水彩では水を用いることで、この生命体に強く働きかけます。つまり、強引な表現かもしれませんが、水彩は、「アストラル体をエーテル体に映し出す」、あるいは「感情体を生命体に受肉させる」行為だ、とも言えるかもしれません。
 
エーテル体は、肉体に深く作用しますから、こうした色の働きは、生理的にも影響を及ぼします。水の働きにより、リラックスし、呼吸を深め、代謝や循環、分泌・排泄を活発にします。また色の作用により、例えば赤や朱色が体温を実際に上昇させるということもあり得るでしょう。
同時に、魂的にも作用し、快、不快や、様々な感情が揺り動かされます。また、視覚の感度が高まり、感受性が蘇ります。
また、精神的には、調和や美を感じる体験があるでしょう。ときに勇気や大胆さ、または 忍耐や繊細さが要求されることもあるでしょう。法則を知り、混沌の中から秩序を生み出し、その中で自我を表出しようとするでしょう。
 
つまり、描く中で画面が調和していくことを通して、肉体的にも、感情的、精神的にも、調和されると言うことができるでしょう。これが絵画が療法となりうる所以です。
 
では、子どもにとって、このような水彩はどのような意味を持つのでしょうか?

感情の体験は、頭、胸、四脚 で分けるなら、胸部に働きかけるものです。そして、それは夢見る意識でもあります。色を通して、子どもは夢見ます。色はファンタジーを生み出します。それは共感の力であり、血液に働きかけ、子どもの生命力を強めます。
 
それでは、子どもの年齢に沿って、もう少し詳しく見ていきましょう。

幼児期の子どもは、漂う色と自由に戯れます。無心に色そのものになるかのように夢見つつ、没頭します。時には茶色く濁ってしまうこともありますが、次第に色どうしを響かせ、虹のような美しさを楽しむようになります。その夢見るような美しさは天界を思わせます。
 
小学校の低学年は、教師の手引きと共に、色の響きを味わい、そこからバランスや美しさを学びとります。メルヘンなどの題材を通して、色の持つ根源的なファンタジーの力を身体中で吸収するかのようです。

そして、9歳の危機がやってきます。一旦、目が覚めてしまう時です。今まで溢れるようだったアイデアが急に枯れてしまうかのような子もいます。メルヘンにも今までのような入り込み方ができなくなります。色に対しても、どこか距離ができてしまいます。
意識が、主観と客観とに別れる時なのです。

この時、創世記や神話などをテーマに描きます。
エーテルの世界には、四大(地、水、火、風)のエレメントの働きが生きています。アストラル的な色彩にエレメントの力が織りなされ、世界の創造の原理を追体験することができます。

それを経て、高学年に入ります。この頃の子ども達は、流動的でなく形を固め、できるだけはっきりと描きたくなってきます。動物や、植物を描きます。動物はアストラル的な特質を、植物はエーテル的な特質を持っています。それらを色を通して体験することができます。また、植物と共に風景も描きますが、色を、光と闇から生じる現象の姿としても学びます。
 
ここで、一般になされている写生画について触れておきたいと思います。
写生画は、鉛筆等の輪郭線で形をとり、そこにパレットの絵具で彩色していきます。この行為には、二つの要素があります。線と色彩です。線で描くのはドゥローイングといいます。

色によって平面的に描くのはペインティングです。同じ絵を描くことではありますが、これらは全く性質の違う行為です。色彩は感情の働きですが、線描は思考の働きです。色彩は胸部の夢見る意識ですが、線描は頭部の覚醒する意識を用います。
また、「外界を写す」という作業は、客観性を求めます。つまり、子どもは外側から世界を眺めますが、内側の自分とは世界は離れてしまうのです。特に9歳前後に、こうした画を描くことで、他者との比較という自己意識や、上手下手という苦手意識を子どもの中に生んでしまうことがあるようです。
 
水彩での描き方は、主観から描くとも言えるかもしれません。内側から外側の世界へとアプローチしていくのです。色と共に動きから形を“生み出し”ます。形は固まったものと捉えるのでなく、動きから生じた、本来やわらかなものだと子ども達は感じるようになります。
 
シュタイナー教育には、意志・感情・思考をいかに育てるかという観点があります。
7歳から14歳までは、特に感情―胸部を育てる時でありますが、公の教育や現代の環境から、子ども達は、ともすれば思考―頭部に多くの刺激を受け、目覚めを促され、固くなっていく傾向にあります。特に9歳以降、子どもは反感が強まり、冷たく固いものとしての世界と向き合っていかなければなりません。
水彩は、もう一度、固まってしまった形を溶かし、バラバラになってしまった意識をつなげ、夢見、共感を強め、熱を持って、世界に自らが入っていくという力を与えます。
 
小さな画面の上に、色彩で描く時、そこには大きな宇宙が、ひな型のように現れます。それは、内も外も一体となった世界であり、神秘に満ちた世界でもあります。
 
外なる世界の美しさと内なる世界の美しさ気付くこと=「自己と世界との対話」こそが、水彩で描くことの意味であると思います。
 
そのような色を通しての世界を観る眼差しと感受性は、子ども達のこれからの人生の道程を力づけ、豊かにしていくための贈り物であると信じます。

(※2020年 南沢こども園25周年記念に寄せて書いた文章です)


 
 
 


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