色彩瞑想の目指すもの
『色の結び目』ダニエル・モロー著 初鹿野ひろみ訳
<エピローグ>より
外界の光の経過は明確でゆらぎなく、地平線上の太陽の位置によってのみ決められているようです。光が現れると、たちまちのうちに色づく物体との間に距離を作り出し、自分の光、すなわち思考の光を発達させる機会を私達に与えてくれます。この光のなかで、私達は物事を順序立て、一つ一つの形態を状況にあてはめて分類していきます。「気がつく」という時には、周囲との関係を即座に把握しているわけです。つまり私達が空間の法則の中で生きているということです。例えば、ここに何か頭上からつり下がっているとします。すると直ぐさま、「そうか、ランプだな。天井からロープが出ていて球があって、スイッチを入れたり切ったりするのだろう」などと思います。しかしランプがどこか低い床の上に置いてあったりすると、ついまごついてしまいます。経験から学んだ空間に対する論理が邪魔をするようです。空間とは視覚世界における多様な関係性と法則を意味しています。
色は空間の一部であり、正確にいうと、この世界の境界を示してくれるものです。色に助けられて私達はものの形を認識します。自然のものにはデザイナ―が描くような輪郭線がありません。そこに色の対比や陰影を使って境界線、つまり形を捉えるのです。
それができるのは色が物体に付着しているからです。(このような背景についは拙著「光が形態を創造する」の中で展開しています。)
しかしながら流れて「エーテル的」だといわれる空の色は重要な例外のひとつです。そもそも空自体には形がないことに気づきます。様々ある雲は大体において灰色の色調ですが、その色や形をしばしば変化させます。
この辺に一つの謎を感じとり、もっと意識的に光と闇の相互の好意を観察するように、と呼びかけれている気がします。私達は光と闇を活動的な実体としてとらえ、自由に移ろいゆく色彩のクリエイターと考えることができます。
空の現象を観察するわれわれは、ゲーテの色彩論に基づく「共働者」です。他の理論は本当の意味で空の色を説明することはできないからです!
ピュア・カラー(純粋色)ー 物体から分離した色という意味ですが、それを用いて制作しようとする画家は、光を生きた存在として理解するよう学ばなければなりません。
それは大きな課題で、「光は外界のエネルギーである」という共通認識をも克服することが求められます。
色相環(ゲーテ/シュタイナー)の秩序に則って色を運行するにはどうしたらよいかという発想から、より瞑想的に考察する道がはじまりました。
したがってそれは最も重要な画家のトレーニングとなります。青と呼ぶものは、花の色でもラピス・ラズリや石油の基層からできた工業製品でもなく、青という純粋感情になるのです。
『色の結び目』における私達の考察は、このように推移してきました。
周囲をとり巻く灰色から様々な灰色のバリエーションを導き出し、それを色と呼ぶ訳ですが、私達はそういう色と色の純粋な関係性を学びました。
■瞑想的エクササイズ
ここで別の類の瞑想的エクササイズを述べたいと思います。
クリエイティブな存在である光と親しむのにふさわしい練習法です。
<第1ステップ>
今度な実際の感覚ではなく、想像力を使っての心的イメージを描くことからはじめます。まずは人生のある状況と結びつく、純粋な表象からはじめます。
■例1
小さな企業の後継者である自分を想像して下さい。
たぶん40名くらいの従業員が働く小規模な工場のようなところです。この挑戦に対して私達は何の準備もしてこなければ、そのための能力も養ってきませんでした。しかも何らかの特別な理由で、その冷たい水の中に飛び込み、新しい工場長になることを引き受けなければなりませんでした。前の工場主は突然に死んだので、ビジネスのいろいろなことをわれわれに授けることもできなかったのです。さあ、まずは非常に具体的にこのような状況を思い描いて下さい。
あなたは自力でこの類の工場の理論的な流れを学ぼうをしたかもしれませんが、現場を見渡すと、目に入る全ての問題が全く理解できず、疑問となぞに満ちています。
あなたはにはX夫人が部署の長に一度も挨拶をしない理由が分かりません。ある特定のドアはなぜいつも開け放してあるのでしょう?別の部署では、なぜ誰もが前の工場主の名前を口にすることも避けているのでしょう?こうしたなぞが他にもたくさんあります。
あなたにとってその会社は、ほとんどりなくのない灰色の雲のように映るでしょう。この心的イメージが晴れて、すべてが見通せる明瞭な全体像が与えれるまで、内心穏やかではないかもしれません。
しかし、一歩一歩、週を追うにしたがい物事が熟していきます。不可解だったあらゆる現象がそれぞれの色を帯びて固有の輪郭を有してきます。なぞが解けたようです!
今度は工場の全ての経過を心の中に再構築できるでしょうし、もちろんあなたの「明らかにする力」で影響を与えることもできるでしょう。開けっ放しの扉はもはや問題ではありません。個々の現象が相互に光を放って明るさを増していきます。入手できた全ての絵柄をひとつに合わせれば、少なくとも分かりやすい全体像を描けるでしょう。
■例2
そのような状況を想像するのには、少し苦労するかもしれません。
そしたら、もう一つ別のイメージを選ぶことができます。
同じような具合ですが、今度は見知らぬ異国に到着し、長期滞在するために奇妙ない言語を学ぶという挑戦です。住民らが交わす言葉はまるで大きな形のない灰色の膜のようで、意味不明なカオスです。
何か月も何年も経つうちに、言葉が一語一語捉えられるようになり、それぞれの意味を理解しはじめます。あなたは内的なパワーと能力を発達させたので、このい言語の世界で秩序立てるようになったのです。この力はまさに最初のイメージでお話したパワーと同じものです。
<第2ステップ>
瞑想法の第二のステップでは、あなたの精神が生み出したこの新しいパワーそのものを考察の対象とします。様々な現象、絵、言葉が注意から消え去る一方で、あなたは諸々の現象の間にある関連性を感じ取ることに意識を集中します。(例:文法において言葉と言葉のつながりに焦点を合わせるように)。
こうした相互に関連し合うものの中にあなた自身が動いて生きてみると、いかに精神の強さが、最初は単なる内側のスペースであったところを、そのようなスペースに構築するために、働きかけているかということを見出すことができます。そこでは事物が相互に対話しています。
Aという現象は中心にありながら、Bという現象にも何らかの重要性を与えます。しかしCという現象もAと関わるがゆえにBにも光が与えられます等々。今や私達は生き生きとした光という媒質の中に生きています。ここの事象がこのスペースの中で色彩を帯び、面(あるいは顔!)を持ち、意味付ける能力を持って、それぞれに受容性が与えられます。この生きた光をロゴスと言うこともできるでしょう。あなたのまわりの事物、状況、人々が相互に話かけ、あなたの中で膨らみつつある「心的イメージ」に参加していきます。
あなたが最初のステップで言語の方を選択したならば、一つの文章を構成する異なる部分に、どんな重要性があるのか今は感じられることでしょう。重要なのは、動詞から主語へ、形容詞や前置詞から目的語へ、目的語から主語へ等々と、個々の言葉が相互に送り合っている一種の輝きなのです。
それぞれの言語は特別な「光の仕業」、いうなれば時間空間の創造物です。それ故に思考を受肉させ地上に広めることを可能にします。あなたの目覚めた感情は、次のルドルフ・シュタイナーの言葉に心を開くでしょう:
「織り成す光のエッセンスは、人から人へと光線を放ち、世界を真実で満たします。」
世界は真実に満たされます。もし人がそれぞれに自分の顔を持ち、自分特有の輝きを放つならば。
<第3ステップ>
この瞑想法の第3ステップは宇宙的な体験にまで昇りつめます。
私達は今や真実に開かれた内なる目を持って光の中に生きています。
このはかり知れないパワーは中心から周辺とはたらきかけ様々な形や色を生み出します。
すると周囲は多彩な音楽的体験となり美や調和がつくり出されます。
影が何度となく表れては形をとり、配置され、色を帯び、それ自体の本質を明かします。
色は透明で魂的です。
青は外的な対象ではなく「献身的愛」の純粋な表現
です。赤は力強い決断の表現、
オレンジは勇気ある活動の表れ等々となります。
私達は精霊のなかで精霊と共に作業しているのです。
このような段階に達すると、私達はもはや外側の印象の囚人であることをやめます。普段の反応として知覚と共に(あるいはその後で)、世界への理解に到達するのではありません。
なぜなら今や内なる光が、われわれの目や耳に届く以前に、事象のイメージを構築してくれるからです。
つまりは肉体感覚を使う前に見るということです。
この内的光は命の体験、新しい英知、現実に即した具体的なイマジネーションの力です。その力によってわれわれは自由になります。
何事かが起きる以前に、その出来事を把握できる限りにおいてということですが。
未来の画家とは、流れる色彩要素の中で誕生以前に様々な形を知覚できる、このような能力を持っている人のことです。
自由な色彩は画家のパートナーであり助けてくれる存在となるでしょう。
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