見出し画像

この町で、子どもが住み続けたいと思えるような生き方を

峯岸 敏男さん / 峯岸自動車 三代目後継者
昭和51年4月24日生まれ 
小学校4年生の時、昭和24年から続く「寄居で1番古い自動車整備工場」の峯岸自動車整備工場を継ぐ事を決意。
自動車整備士になる為、熊谷工業高校 機械科、埼玉県立熊谷高等技術専門校 自動車整備科と進学し、修行の為、スズキ自販埼玉に就職。
7年間の修行を経て15年前から峯岸自動車整備工場の三代目の後継者として日々精進しています。
生まれてから旅行、入院も含め1週間以上寄居町を離れた事が無い根っからの寄居人です。
自分のモットーは「謙虚」

寄居から離れる、という選択肢はなかった

画像2

- 峯岸さんは、生粋の"寄居人"ということですが、もともとお生まれも中心市街地ですか?

そうですね、生まれも育ちもこの家です。
高校とか専門学校は、熊谷にも行ったんですけど、住んでいるのはずっとここですね。

- 一度、寄居を出てみようと思いましたか?

実際には、就職した時に、一番最初の就職先が秩父営業所だったんです。
当時はまだ、勤務時間が、朝の8時30分から夜の22時~23時くらいまでになることもあった頃なんですけど、そこで働いてる人たちは全員、秩父人で。

だから、秩父人の中に寄居人が1人だったということもそうですし、取引先が全部、秩父の自動車屋さんとかだったんで、秩父の雰囲気にはかなり触れさせてもらって、方言も覚えたし、人柄や文化、地理も把握できて。
なんとなく寄居と似たところもあったんですけど、やっぱりどこか違うんですよね。

- 隣町でも、町が持つ雰囲気や人の印象も変わってくるものなんですね。

馴染めなかったということはなくて、馴染んだは馴染んだんですけど、大本の寄居からは離れられないというか、子どもの頃から知っている人たちとは、ずっと近くにいたかったので、どうしても寄居から離れるという選択肢よりは、寄居から通うという流れになりました。

目的を持った先の、選択肢の一つになれば

画像2

- 寄居を離れたくないと思う理由は、地域のコミュニティとかお祭りとか、そういうところが大きいですか?

子ども時代の思い出として、自分の頭に真っ先に浮かぶのが、お祭りとか商工会のイベントで、それくらい当時楽しんでたものなので、それを今の子どもたちにも味わわせたいと思って。

- 楽しかった思い出を、世代を越えて受け継げるのは素敵ですね。

あと、自分たちくらいの世代から、良い大学、良い就職先イコール寄居ではなくなってるんですよ。
だから、都会でそういう生き方をする人がいてもいいと思うんですけど、自分は寄居に残りたいと思っている人間なので、できればここから離れてもらいたくない、という思いがありますね。

今の子どもたちには、目的があって外に行くなら良いけど、目的もないのになんとなく外に行くというのは、なるべくやめてほしいな、と。

- 確かに、「都会に出る」ということは、手段であって必ずしも目的ではないかもしれないですね。

祭り太鼓の練習を指導していると、中学生が習いに来るんですけど、「将来何になりたいの?」って聞くと、「いや別に、ただなんとなく良い高校入って、良い大学入って」という感じで。
もちろん、良い学校に進めば選択肢が増えるのは確かだけど、今の彼らにとって、その選択肢の中に多分寄居はないだろうな、と思って。

自分たちの爺ちゃんの代とかは、優秀な成績の人は、寄居町内の良いところに就職するという流れがあったんですけど、だんだんと変わっていって、東京一極集中みたいになっちゃってると思うので、行きたくて行く人は全然いいんですけど、なんとなく行くというのは嫌だなあと思いますね。

なので、なるべく子どもたちには、寄居町が、面白いところ、すごいところと感じてもらって、この町に住み続けたいと思ってもらえるように、色々と取り組んでいるところです。

仲間として受け入れる土壌を持つ、程よい田舎町

画像3

- 峯岸さんにとって、寄居のどこが一番「愛してやまない理由」になっていますか?

寄居は、外からの人を受け入れる空気がある一方で、我が強かったり個性的なので、独特なんですよね。
他の地域にはない雰囲気がある、というか。
仲間意識が強いけど、仲間として受け入れることができる地域、というか。

- 一度仲間になれば、町内外関係なく受け入れてくれる土壌が、町の人にはあるんですね。

よく考えてみると、秩父線、八高線、東上線と3路線も走ってる地域なんてなかなかないじゃないですか。
それが、昔から当たり前過ぎて当時はわからなかったけど、そういうのもこの町の雰囲気に関係してるのかなって大人になって初めて思ったりします。

あとは、この前の台風19号でも、周辺と比べて寄居がダントツで災害時の緊急通報が少なかったみたいなんですよ。
だから、アクセスが良いという意味でも、災害に強いという意味でも、総合的に見て、住みやすいんじゃないかな、とは感じますね。

- 都会過ぎず、田舎過ぎずな程よい感じが、寄居独特の魅力なんでかすね。

都会ではないですよ。(笑)
田舎田舎してますけど、その割にそんなに閉鎖的ではないので。
例えば、町内のお祭りでも、町外から越してきた人がいれば「来て!来て!」という雰囲気だし、なんでなんでしょうね。

地域に、子どもに、愛される大人

画像4

- 子どもたちに、「寄居は面白い、すごい」と思ってもらいたい、というお話もありましたが、町内で子どもとの関わりはありますか?

今実は、子どもたちに、「ミートボール」って呼ばれてるんですよ、見た目で。(笑)
近所の小学生とかがすごいじゃれてきて、ジャングルジムのように登ってきたり叩いたりされるんですけど、僕とか、大人から見るとちょっと近づきづらいのか、それを見ている親御さんの方がアタフタされてて、いつも、「大丈夫ですよ〜」と言ってるんですけど、そんなキャラなんで。(笑)

- 親御さんは、びっくりしちゃうかもしれないですね。(笑)でも、地域で愛される大人がいて、小さい時から親以外の大人と触れ合える機会があるというのは、子どもにとっても大事ですよね。

そうですね、それをまた、自分が大人になった時に返したいと思うだろうし、それって結構大事で、そういうことの積み重ねが、この町の色になっていくんだと思います。

あとは、もちろん防犯にもなるし、「昔、近所で面白いおっちゃんがいたんだ!」っていう話から、寄居って昔からいいところだよね、と少しでも思ってもらえたら自分は嬉しいので、寄居に住む選択肢を、どうしても色濃く残したいんですよね。

自分が寄居を選んで、ずっと住み続けてる理由は、仲間なので、自分自身も子どもたちの住み続ける理由になれたら有難いし、彼らが大人になって選択肢が広がった時に、「やっぱり寄居は面白くて離れたくないから、寄居から通える就職先にしたい」とか、そういう選択ができるようになればいいなと思うので、できる限りそういう地域づくりをしていきたいというのが、思いとしてあります。

お互いに助け合える地域に

画像5

- そういう想いもある中で、具体的にはどういう活動をされているのですか?

祭りの太鼓を教えたり、時間がある時は、地域の子たちと遊んだり。
自分たちが子どもの時と比べると、商工会のイベントも、少しずつ大人思考なものになってきたので、それをもう一度、子どもたちも楽しめるようなイベントにしたくて、青年部事業として参加する際に、子どもたちが楽しめる内容のものにしたりしています。

それと、スタッフとして手伝ってくれている青年部員が家族も呼びやすい環境にしたいのと、パパが働いてるところを子どもたちにも見てもらいながら、楽しんでもらいたいというのがあって、子どもや奥さんも来やすい事業を展開しているところです。

- 家族で楽しみを共有できたり、親の頑張る姿を見れるのは、きっと子どもにとっても貴重な経験ですよね。

あとは、寄居町フィルムコミッションの活動に参加しているのですが、代表のサポートはもちろん、子どもたちに「あれも寄居でロケした、これも寄居で撮ってた、寄居ってすげえなあ!」と言ってもらえたらというのもありますね。
自分は、ほとんど子どものことを考えちゃうので。

- ここまで、子どもの気持ちを考えてくれる大人がそばにいるということは、きっと町の子どもたちにとって、とても心強いのではないでしょうか。

この前も、とあるドラマの撮影で、撮影の2日前に突然、「女子中高生15人をエキストラとして呼んでほしい」というリクエストが入ったんですけど、中高生とつながりがない事務局がほとんどという中、自分はすぐに15人集められて。

それが何故かと言うと、みんな太鼓の教え子だったんです。
彼女たちに声をかけたら、喜んで出てくれて、そうすると自分も助かるし、彼女たちも有名なテレビに出られて嬉しいって喜んでくれたので、そういうつながりが持てていることは、良かったかなって。
昔からの地域に住んでれば、いざとなった時に助け合えるので。

失う寂しさを考えたら、自然に

画像6

- 地域の活動に深く関わるようになったきっかけは、あったのですか?

きっかけは、自分が小学校の時に、地元で太鼓を教えてくれてたお爺さんがいたんですけど、中高生くらいになると、同世代で太鼓を習っていた子どもたちが、部活とかでほとんど顔を出さなくなって。
教えていたお爺さんが亡くなりそうになった時に、それを受け継ぐ人の手伝いをしたんです。

その世代から受け継いだことを、自分も若い子たちにやってあげたいという想いで、今の活動をやっているので、一時期抜けたこともありましたけど、ごく自然な流れで、結構早い段階からずっと町には携わってきましたね。

- その時に、なにか、使命感みたいなものを感じたのでしょうか。

自分がやらないと消え去っていっちゃうんじゃないかなというか、実際に消え去りかけたところを自分がやり始めたので。
失くすのは簡単なんですけど、失くしてこれ以上寂しいものはないので、その流れを自然に受け継いだという感じですね。

この町に暮らすきっかけを作りたい

画像7

- 今後、寄居がどんな町になっていったらいいと思いますか?

ハード面は、どんどん変わってもいいと思うんですけど、人だけは作り直せないので、変わってほしくないというか、どんなに町の景色が変わってもそこに住む人のつながりとか、暮らしは変わらずそこにあってほしいと思っていますね。

あとは、車ではなくて、町を歩く風景が生まれたらと思うので、公園があったり、遊歩道があるだけでも雰囲気が変わると思うんですよ。
人が歩いてない町って、賑やかには見えないので、一番は、主婦層とか若い女性の方にもっと興味を持ってもらえるような、歩いてもらえるような町にしたいですね。

あとは、寄居で寝て、都会に働きに行って、休みはまた都会とか町外に出て、というのはもったいないので、たまには町内で買い物してみようとか、歩いてみようと、楽しめる町になったらいいと思います。

- 峯岸さんご自身が、今後やりたいことはありますか?

うーん、繰り返しになっちゃいますけど、今の子どもたちが寄居に住み続けたいと思ってもらえるような活動を続けていって、逆にその子どもたちが大人になった時に、寄居に定住するのはもちろん、「寄居町っていいところだから、住みなよ」って町外から招き入れるようになれば一番嬉しいですね。
そのきっかけを作りたいです。