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2月の和菓子

2月の和菓子、鶯餅の由来


1580年代天正のころ、豊臣秀吉の弟である秀長が、秀吉を招く茶会を開く際に、和菓子を作らせました。
このお菓子は、粒あんをもちで包み、きな粉をまぶしたものでした。
秀吉はその菓子をたいそう喜んで、「鶯餅」と命名。
奈良県大和郡山市にある菓子店「本家菊屋」が原型を考えたという説があります。
そして、こちらの鶯餅は今でもきな粉をまぶしたものを作っているそうです。

鶯色は、ウグイスの色ではない?

現在の鶯餅と言えば、青大豆きな粉を使った、少しベージュ色が混ざったような、沈んだ緑色。
しかし、実際、鳥のウグイスといえば、どちらかと言うと緑がかった茶色。
イメージする鶯色とはちょっと違います。
どちらかというと、それはメジロの色に近いかもです。


メジロ

確かに、メジロの方が鶯色ってイメージかも・・・

もともと鶯餅はきなこを振った薄茶色っぽい餅菓子であった。

では、いつから鶯餅は鶯色に(ややこしいな)なったんでしょう?

現在の鶯餅はほとんど青大豆きな粉を使った、若草色です。
青大豆は江戸時代にもあったようですが、信州や東北等の地域限定作物のようでした。
ですから、青大豆は一般的なものではなかったのです。
それが変わっていくその前に、和菓子自体は戦争により一時途絶えていきます。

戦後を迎えてもしばらくは嗜好性の高い和菓子は空白の期間があり、復興とともに、それまでの抑圧されていた嗜好性が再びさまざまな分野で表現されていくこととなり・・・
本当の鶯はどんな色なのかと言うことよりも、春のイメージを演出するために若草色の餅菓子となって行ったようです。装飾的効果を兼ねて青大豆のきな粉がうぐいす餅にかけられ、現在ではそれが主流になりました。

きな粉バージョンの”鶯餅”
現在の一般的な”鶯餅”はこちらのイメージ

いずれにしても、梅の花がちらほら咲く季節に、春を告げるかのように鳴く”うぐいす”をイメージさせる餅菓子。
私も作るときは青大豆を使いますね。


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