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そのときわたしたちは-その15

待機の間に夫と連絡を取った。無事に着いたよ。今待機中。

わかった。同じ家に帰れるのかはまだよくわからないから、こっちで確認するけど、とりあえずドライバーと来てるから荷物は一緒に家まで運べる。一旦一緒に家に帰って、いろいろ打ち合わせしよう。

飛行機での待機は30分ほどだった。3時間かかった、という人もいたらしいので、ラッキーだったと思う。スタッフの方々が気を使って機内をあれこれ対応していたけれど、やはり今後の詳細はわからない様子だった。

Aグループから順に飛行機から降りるように指示があった。私たちはBグループ。Aグループが出て行くのと入れ違いに空港スタッフ?のような人たちが入ってきて、中国語、英語、日本語で彼らが持っているQRコードをスキャンしてアプリを登録しておくようにと言った。

私はあらかじめインストールしてあったが、次女の分も必要だと言われて次女のスマホから登録した。後方にいた小さいお子さん連れの日本人のお母さんが、子供はスマホを持っていないがどうしたらいいのか?と聞いていた。

飛行機から出ると、10メートルおきくらいに床にテープが貼られており、その横に係員が立っていた。順番にテープのところまで進むように言われる。進む時も止まってからも前後の人とは1.5m空けるように言われた。子供連れは子供と一緒に動いてよかったので助かった。

ジリジリと進んでやっと最初のブースに着く。検温したのちに待合エリアのようなところで座って待つように言われた。順に呼ばれて個別の問診をする場所のようだった。

20分ほど待たされて名前を呼ばれた。パスポートを見せると、通訳が必要か聞かれたが、とりあえず必要ないと答える。日本語通訳できる人も限りがあるだろうから、もっと困っている人がいたら回してあげて欲しいと思ってのことだった。いざとなったらその時考えればいい。

ここでは日本での滞在期間、滞在先の住所、滞在中の体調などについて聞かれた。私たちはほぼ同じ場所にいたので思い出すのに苦労もなくて助かった。最後に日本の住所を書けと言う。住んでないから住所はない、と言うと、どこでもいいから連絡が取れるところを書いて欲しいとのことで、長女の住所を書くことにした。後で行っておかなきゃ。

係員は優しそうな若い女性で、次女にも微笑みかけて大丈夫よ、と言ってくれた。諸々の書類に記入を終えると、パスポートに黄色いタックシールを貼られた。隔離が終わるまで剥がさないように。

剥がさないけど。。これは。

なぜか私の分のシールだけ、手のひらサイズだったのだ。みんな1cmくらいの丸いシールなのに。日本国旅券の文字も隠れるほどの大きさ。これは後で剥がれるのかしら。。

どうしてこのシールこんなに大きいのかしら?と言いながら係員も貼っていた。本当にねえ。。

次は入国審査か?と思うとまた10mテープ。出発便の人やスタッフと絶対にかち合わないように、空港の端から端まで遠回りで動かされているようだった。普通なら到着時に見ることのない出発ロビーが見えて気がつく。ああ、私たちの隔離はすでに始まってるんだ。

進んでも進んでも似たような手続きをするだけで、一向に終わりが見えなかった。着いた先で住所の登録、パスポートの確認(そしてシールの大きさを笑われる)、日本でどのように過ごしていたか。

朝7時に起きて9時の便に乗ってから6時間。いつもならとっくに家に着いている。私がぐったりしているのを見て、次女が言った。

お母さん、これドラクエみたい。

ドラクエやったことないくせに。でもさ、ボス戦のダンジョンてこんな感じでしょう?お兄ちゃんに聞いたことあるよ。倒しても倒しても全然ボスに辿り着けないって。私たち、今ダンジョンにいるね!次はどんなモンスターかなあ。

笑顔で明るく言ってくれる次女に救われた。そうだね、早くボスを倒してここから出なきゃ!猫が待ってるね!

私が疲れている場合じゃないな。子供に励まされるなんて。あと一息頑張らなくちゃ。

機内で登録したアプリのQRコードを見せるとやっと入国審査にたどり着いた。スタンプを押してもらってすぐに夫に連絡した。

入国できた。荷物を受け取ったら出られます。


夫からの返事が来た。

出口を出た時からこっちにいる人と接触するのは禁止だそうだ。ドライバーは使えるから、ドライバーと車を使って。僕は出てきたのを確認したらタクシーで別途家に向かうから。

夫の言った通り、荷物を受け取って到着口を抜けると新たに作られた地区別のブースに誘導された。日本人だとわかると、日本語の話せる人のいる列に並ぶように言われた。日本語はもちろん、英語韓国語にも対応しているようだった。

住所や連絡先を聞かれたあと、どうやって家まで帰るか聞かれた。ドライバーが迎えに来ていると言うと、ドライバーの電話番号を教えるように言われた。地区委員会のスタッフがドライバーに電話をかけ、私たちを迎えにくるように言った。徹底的に出迎えの人間には会わせないようにしているのだ。

私たちは夫が会社のドライバーを手配してくれていたのですぐに帰れたが、ここで帰る手段がない人は、地区ごとに用意されたバスに乗って帰らないといけなかった。バスは地区によってランクも様々な上、満席になるまで発車しないので、バスで3時間待ちなんてこともザラだった。私たちは本当にラッキーだったのだ。

しばらくするとよく知った顔が現れた。ドライバーさん。お疲れ様でした、おかえりなさいと挨拶してくれた。

迎えが来たと伝えると、地区委員会のスタッフが一人ついてきた。車に乗り込むまでに誰かと接触しないか見張るためだ。駐車場までピッタリとついてくる。通路の人混みの奥に夫の顔が見えた。

お父さんがいたよ!

次女が言った。うん、でも一緒の車には乗れないんだって。

えー?お父さんはどうやって来るの?大丈夫かな?と何度も夫の方を振り返りながら次女が言った。大丈夫よ、家までタクシーで帰ってるって。後で会えるよ。

立体駐車場に入る時、次女が私にお母さん、と話しかけた瞬間に離れた車の陰から男性が一人飛び出してきた。大きなカメラを持って。日本語の入ったゼッケンのようなものをつけていたと思う。

そして私たちの後を追いながらシャッターを切り続けた。

次女が怖がってまた私を呼んだ。え?何?どうして撮られてるの?怖い。無言でシャッターを切り続ける見知らぬ男性なんて、私でも怖かった。

大丈夫だから下を向いて。顔を撮られないように。静かにして。

そう言うのが精一杯だった。両手はスーツケースや鞄で塞がっていて、手で顔を隠すこともできなかった。きっと日本人なのに、やっと帰ってきた日本人にする仕打ちがこれなんだ。許可も取らずに黙ってシャッターを切り続けることなんだ。そしてきっとどこかの隅に載せられるんだろう。目に線を入れられて。ウィルス発生の地にわざわざ戻ってきた人々、なんて適当なキャプションをつけられて。

空港から出るまでの間に出会った中国人の係員の人たちはみんなとても礼儀正しくて親切だった。

お疲れ様です。おかえりなさい。申し訳ありませんがご協力ください。日本語の通訳は必要ですか?

みんなそうやって私たちを気遣いつつ、やっと帰ってきたのにさらに手間をかけて申し訳ないと態度で示してくれた。だから私たちも大変だったけれどおとなしく従って来られたのに。

日本人のこの態度は何?祖国に見放されていると最初に私が感じた瞬間だった。